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新陳代謝とカタルシス

 大通り沿いの建設途中だった建物が、いつの間にかほぼ完成していた。何階もある立派な庁舎。つい最近まで更地化してたような気がするのに、実は数年を余裕で経たうえで今の姿がある。時の流れは早いなーと、こうした建造物などを見ると思う。

街を歩くと、建物をはじめ道路や公共物など、モニュメントたちの新陳代謝は激しい。残念ながらコロナの影響で閉めたことで取り壊される建物なども多いんだろうが、さまざまな理由がありつつも、部分的な変化の集積が徐々に全体的な生まれ変わりへ至る様は、さながら人間にとっての細胞のようだ。

そう。地球にとって人間は、人間にとっての細胞。こう考えると、一見税金の無駄遣いに見える道路の拡張工事やアスファルトの張り替えなども、打算や建前とは別の次元で、大きな DNA 的インスピレーションの無意識的な集合体が行動に駆り出している可能性もあるんだな…と思ったりもする。

何かしらの維持活動のために、根本意識として避けて通れない新陳代謝の思考が、本能レベルで強く組み込まれているのかも知れない。表現においても「破壊」と「創造」にカタルシスを覚える人が多いのはそのせいなのか。

友人・知人関係もこうした新陳代謝で成り立つ人も多いだろう。僕がそうだ。入れ替わりは決して少なくない。けど、同時に身がどんどん軽くなるカタルシスを覚えていることも間違いない。

根本では知っている。知っているからこその性善説と性悪説のせめぎ合い。作るために壊すこと。色々と思索が飛躍していく。でも説としては横に置いておくと自分自身思考の手がかりになったりもする。

物言わぬ細胞たちは、果たして何を思っているんだろう。

今日はこんなところで。

※扉写真はイメージです

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