割れ窓理論とコミュニティ・ゾーン
誰かがある場所にゴミを捨てたとする。そこに捨てられたゴミを誰も拾わず放置している限り、「ここはゴミをポイ捨てしていい場所だ」という意識が働き、次の人もゴミを捨てていく、といった現象がある。
これは『割れ窓理論』という、割れた窓を放置することにより、そこが "誰も注意を払わない場所" と認識され、おのずと他の窓もすべて割られてしまう…といった集団心理から来るもの。
長く放置された自転車のカゴが、ゴミでぱんぱんになっている光景なども、その代表のようなものだろう。
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先日面白いものを見つけた。
とあるマンションに所用で遊びに行ったら、エレベーターに乗ったときに思わず目を見張る光景があった。
ポスティングでよく見る「水道工事の宣伝用マグネット」が、ドアの上部に尋常じゃない数貼られていたのだ。
思わず写真に撮ってしまった。
確かにうちのマンションでも、たまにエントランスの共用ドアに何枚か貼られている光景は見たことがあるが、この数は異常だ。
おそらく誰かが最初の一枚を貼り、別の部屋の住民が「どうせ捨てるのなら」と面白半分で貼っていったところ、あれよあれよと言う間に他の住民たちもペタペタと貼り続け、誰も処分せず歯止めが効かなくなったことにより、いつの間にかエレベーター上部が "暗黙のスペース" として機能していった形だろう。
これのタチが悪い(良い?)のは、ある種の「共同作業的なコレクション性」が発生することによって、住民あげての一層の土地活用が捗りやすいこと。妙な達成感と団結感が顔も知らない住民どうしで生まれるだけに、いけないこととは分かっているのだが、これは僕自身も正直加担したくなる。
『割れ窓理論』を無意識に逆手に取り、意図しないコミュニティ・ゾーンが形成されていることが面白いなと思えた。
それにしてもよくぞここまで土壌を育てあげたものだ。きっとまだまだ育つのだろう。住民たちの一心不乱な総力戦具合に、狂気を感じる。
万一本当に水のトラブルが発生した際は、エレベーターへ駆け込み、業者への連絡先を確認しに来るのだろうか(目移りしかしないと思うが…)。
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「隣は何をする人ぞ」という言葉があるくらい希薄な住民関係に、ぽっと風穴が開くような瞬間を見た。このマンションでは、老若男女のコミュニティ・ゾーンとして、エレベーター上部が脈々と有効活用されている。
今日はこんなところで。
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