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穏やかでいる覚悟

 自分が穏やかでいようと心がけていると、不思議なことに自然に周りも穏やかな人たちで溢れる。

おかげさまで、今僕は家族・友人・知人関係でストレスを感じる事がほとんどと言っていいほどない。「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、これは本当だなと思っている。

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 僕にとっての「穏やかでいること」は、常に心の状態を捉え、中庸さを調整し続けると言う事だ。色眼鏡をかけず、目の前の出来事に対して決して感情を露わにする事なく、淡々と見つめる事ができる姿勢を持っていること。

自分で自分をコントロールする自覚を持っていること。

心が穏やかでいる人ほど、視野広く変化に対してとても柔軟で、未来志向を持っているのではないかと思っている。

穏やかな人は、余計な事を言わない。それだけに、一見 "主張のない人" という印象を受ける。しかし、外側にいちいち言わないだけで、心の中では実は圧倒的な自問自答を繰り返している。

"他人に対し闘いを挑むこと" が世間一般ではもてはやされるが、僕が出会った人たちに沿って言うと、穏やかな人ほど「自分との闘いを済ませた人」が多い。

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 感情が "善にも悪にも極端に振り切れる" タイプの人が一定数いる。

なかでも、変化に対して極度に否定的な感情を露わにしてくる人。情緒を盾に判断を求めてくる人たちが苦手だ。

フラットな視点がないまま受け取った野ざらしの一時情報だけに振り回され、"恐怖" という心理状態をいっさい濾過せず、そのまま他人へパスしようとしてくる人たち。

感情で訴えてくる人ほど、自分が感情をコントロールできていない印象を覚える。

そういう人たちほど「声が大きい」ので、どうしても多くの人が振り向き易くもあるが、ただただエモーショナルに偏った人たちで固められた同調圧力の中に、僕はいたくないなと思う。

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 穏やかでいる事は、一般的な評価と真逆のベクトルを持つことになるので、それなりの覚悟がいるが、慣れてくると評価自体にも興味がなくなる。

つまらない男・個性のない男と揶揄されようが、「穏やかでいる」世界にいる方が幸せなので、僕はこれからもこのスタンスを貫き続けたい。

今日はこんなところで。

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