【デザイン日記25】熱い
秋に入ってもまだまだ蒸し暑い。
今日は、そんな話がしたくて、このタイトルにした訳では無い。熱量の意味での熱いについてだ。
デザインをする上で、必要なものは、たくさんあると思う。代表的なもので言えば、今までの経験や、論理的思考、指先の感覚などが挙げられるだろう。それらは確かに大切なものなのだが、器用にこなすからいいという訳ではなく、多少荒くても強い情熱が煮えて滲みでてくるデザインには、とても心を動かされる瞬間がある。デザインじゃなくとも、アートや絵だったり、映像作品だったり、本や漫画だったり、例は色々あるだろうけど。
私は高校からデザインを続けてきて、そういう時期が定期的にやってくる気がする。まだまだデザインのことを全く知らない高校生の頃は、熱いって気持ちだけでなんとか乗り切っていた気がするし、浪人時代は、デザインなどに慣れてきて小手先のテクニックで何とかしようとしてたと思う。
大学1年から2年の前期までは、その状態が続いていたように思う。熱はあるのだろうが、論理的思考に美術研究所で刷り込まれたことをひたすら正しく守り、続けてきた。でも、それだと見知っているようなつまらないものができたりもする。
大学3年生は、新鮮にデザインとむきあうことができ、今までに見たことない作品を作ることもできた。こうしたように大きくても波があって、熱があったり、平熱だったり、振り回されながらなんとかやっている。
今はまた平熱に戻ってきている感覚だ。小手先のテクニックでうまくやろうとしている気がして、歯痒い。
デザイン日記の最初に書いたのだが、VIVIVIT というドラマを見ている。今日はその生放送を7時から、ドラマが終わる22時半くらいまでテレビに拘束されていた。あのドラマのすごいところは、挙げたらキリがないのだが、一つ言えるのは、そこに携わる人々がとてもじゃないが熱すぎるのだと思う。あっつあっつなのだ。
私もあっつあっつなデザインがまた作れたら…と思う。そのためには、この少し冷めてしまった熱を取り戻すためにコツコツと準備をするしかない。
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