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自分とは何か。『ソフィーの世界』より

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『ソフィーの世界』を書いたノルウェーのベストセラー作家、ヨースタイン・ゴルデルの名前を知っている人は多いと思う。
1995年に『ソフィーの世界』が出版された時、この本は哲学ブームを巻き起こした。私もいそいそと本屋さんに出かけていって購入した。

 本書は、14歳の少女ソフィーが哲学者から手紙をもらうことから展開していく。最初に受け取った封筒に入っていたのは紙切れ一枚。そこには「あなたはだれ?」と書かれていた。ソフィーは手紙によって、プラトンの提唱したイデアの世界、プロティノスの考えた光である神、インドの神秘主義、聖書の教える神と人間といった哲学を学ぶ。それらを通し、ソフィーは「自分とは何か」という問いと向き合う。自分とは現実に考え、息をし、物事を自分で決めていく存在なのか、それとも誰とも分からない作者によって作られた物語の登場人物にすぎないのか。

 この本のブームがもたらしたのは、ふだんは哲学とは無縁で生きている人々が哲学を知り、そこでソフィーと同様に自分とは何かを考える機会だったと思う。
 もしこの文章を読んでくださっている方々がいらしたら、ほんの5秒だけ考えてほしい。「自分」とは何か、を。
 自分とは何かという問いの先にあるのは、自分はどう生きるべきかという問題だ。
『ソフィーの世界』の登場人物、哲学者のアルベルトによると、フランスの啓蒙思想家は一人ひとりがあらゆる問いに自力で答えを見つけなければならないと説いたという。

 アルベルトの台詞を一部抜粋しよう。 
「まずは広く民衆を啓蒙することが先決だった。啓蒙っていうのは、暗いところに光をあてるってことだ。それが、社会をよくするための条件とされたのだ。啓蒙主義者たちは、貧困と抑圧があるのは無知と迷信がはびこっているせいだ、と考えた。そこで、子どもたちや民衆の教育が大いに注目された。教育学が始まったのが啓蒙主義時代だったというのは、偶然じゃない」

 この啓蒙思想はやがて市民の自然な権利、個人が宗教やモラルや政治を自由に考え、発表する権利が保証されるべきだという出版の自由、奴隷制度の廃止、犯罪者の人道的な扱いのための闘争へと繋がっていった。この闘争こそがフランス革命だ。

 血みどろの革命に賛同するわけではないが、私たちが今思想弾圧を受けることなく、自由にものを考え、物事を追求する自由があるのは、先人たちの深い哲学思想と権利を手に入れるための戦いの結果ということになる。それならば先人たちが勝ち得てくれた権利を行使すべく、大いに学び大いに思考するべきではないか?

 誰もひとつの思考に長く留まることはできず、数秒で次の思考に移ってしまう。その時に記憶として残るのは、脳裏で取捨選択された重要な物事だけだ。拙訳の『海馬を求めて潜水を』によると、人には、特に強い印象に残った物事は記憶に残し、後は忘れてしまうという性質があるという。それならば、自分がどう生きるか、を決定するのは、特に記憶に強く残った思考ということではないだろうか。

 私たちが自分はどう生きるべきかと考え自分の行動を決定する時、基準となるのは、このような思考の積み重ねではないだろうか?

 これから深まりゆく秋、『ソフィーの世界』や『アドヴェント・カレンダー』、『鏡の中、神秘の国へ』等、ゴルデル氏の作品を読んで、改めて自分はどう生きるかといった問いに取り組んでみようかなと思う。

 最後にヨースタイン・ゴルデル氏と同じノルウェーの詩人、コンスタンセ・オーベック-ニルセン氏の、思考をテーマにした詩の絵本をご紹介し、結びとしたい。

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https://fb.watch/8iXVv48Z3k/

『考えってどこからくるの?(Hvor kommer tanker fra?)』

かんがえ、それは どこから くるんだろう
かんがえが もともと あったなら
ほかの いろんなものと おなじように
わたしがうまれたときに
わたしの ところに やってきたのか・・・

絵本『Hvor kommer tanker fra? かんがえって どこからくるの?』(未邦訳であるため仮邦題)著者コンスタンセ・オーベック-ニルセン、画家トーリル・コーヴェより一部抜粋

ひとりの少女が『考え』はどこから来るのか、私が生まれる前からあったのか、もし考えが見えたらどういうものなのかを詩によって綴り、哲学的な問いかけをする。たとえば私が最初に考えたのは、私が見たもの。顔、誰かのまなざし、影、または灯りなど。

リズミカルな詩の形態を使って自分の頭に浮かぶ考えとは何なのかを、様々な角度からとらえ、問いかけている絵本だ。

ノルウェーに実存をテーマにした秀逸な作品が多数あるのは、Turkulturkoden(野外生活文化)というノルウェー人に独特の風習のおかげかもしれない。それは森や山など自然の中へ出かけていって、自由気ままに過ごして楽しむことを意味する。深い森の緑を眺め、ひとり佇んでいると否が応でも自分と向き合い、自分とは何かといった問いかけを心の内でせざるを得なくなるのではないだろうか。

文責:中村冬美

参考文献:
『ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙』ヨースタイン・ゴルデル作 池田香代子訳
『アドヴェント・カレンダー』ヨースタイン・ゴルデル作 池田香代子訳
『鏡の中、神秘の国へ』ヨースタイン・ゴルデル作 池田香代子訳
『考えってどこからくるの?(Hvor kommer tanker fra?)』コンスタンセ・オーベック-ニルセン作 トーリル・コーヴェ絵 中村冬美仮訳


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