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主人公たちが話す言葉は? 方言と翻訳 

 小説を読んでいるとき、登場人物が話している「言葉」を気にしていることがどれほどあるでしょうか。登場人物の生きる時代、年齢や出身地、あるいは彼ら、彼女たちの職業や物語上の立場の違いによって話し言葉は、当然のことながら異なっているはずです。
 古典の中でも特に数多くの言語に翻訳されている『源氏物語』。河添房江氏はまず伊藤鉄也氏が「海外源氏情報」というWEBサイトで、英語、中国語等「33の言語」で翻訳されていることに触れておられると紹介した上で、明治以降、与謝野晶子の『新訳源氏物語』を始め、日本を代表する幾人もの作家たちが現代語訳を試み、近くは平成に入ってからも新訳のニュアンスの異なる橋本治、瀬戸内寂聴、大塚ひかり、林望、角田光代の各氏の挑戦が続いているとし、それらは例えば丁寧語を多用している谷崎源氏、男性的な文体の円地源氏、創作が加えられた田辺源氏、自己の人生観を重ねながら平易な語り口調の瀬戸内源氏と、それぞれか際立った特徴をもつ独自の「源氏の世界」であることを指摘されておられます[注1]。
 そうした中のひとつの現代語訳版『源氏物語』を通して「源氏の世界」を楽しんだ私は、外国語に翻訳された『源氏物語』は、出版された国の言語では、果たして古語の世界なのか、現代語の世界なのか、大いに気になるところです。
 「源氏物語」はいささか極端な例かもしれませんが、一般的に「話し言葉」、特に「方言の話し言葉」はどのように翻訳語に置き換えられているのだろうか、と気になります。

フィンランド語の書き言葉 そして話し言葉

 フィンランド語は、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』が編纂されたことで、口承伝承されたことは知られていますが、書き言葉、つまり「文字」に書き記されたフィンランド語の初めての書は、ミカエル・アグリコラ(フィンランド語の祖)が著し、出版されたAbckirja(ABCブック)で1543年のことでした。
 フィンランド語での初めての文学作品である小説『七人兄弟』(アレクシス・キヴィ作)が出版されたのは、それに遅れること約330年、1870年のことですが、このキヴィの作品はその後に続いたフィンランド語の文学作品の書き言葉や形式に大きく影響したと言われています。そうしたこともあって、キヴィがいかに心情の描写や情景の描写に工夫し、かつまたそれらの描写のヒントをどこから得ようとしたか、といった研究もされています。

 では、「話し言葉」の方はどうなのでしょうか。方言の言語学上の分類、つまりバリエーションは「東」と「西」に大別されます。これにフィンランドの支配層であったスウェーデン人が公式の言葉として使っていたスウェーデン語が加わり、3分類ということになります。
 但し、フィンランド語だけに限定すると、少し細かくした地域分類では8つに分かれているとされています。この8つの分類についても、更に幾つかの方言区域に分けざるを得ないような違いがあるとされています。
 フィンランド語の方言の特徴は、地域ごとに使う単語が違うことと、音声的には大きく3種類の違いで区別できるとされています。ちなみに音声的な違いの一つ目は「母音の種類が変わること(母音が長母音か短母音になるかの違いも含めます)」。二つ目は「単語の途中の子音の種類が変わったり、落ちたりすること」。そして三つ目は「語尾が変わること」です。
 語尾が変わること、とは、通常、フィンランド語の書き言葉は、子音と母音の組み合わせで音節ができますが、方言を音の通りに文字化すると、最後の母音が欠落した音になったり、「格語尾」と呼ばれる部分が最後まで発音されていなかったりするのです。
 日本語の場合は、文字化した際に同じような文字並びであっても、抑揚が大きく動くことがありますから、文字化されたものを音声化するのは、容易ではないですが、フィンランド語の音声は、一定の抑揚とほぼ定番といえるものがありますので、その点は日本語ほど大変ではないと思います。それでも、母語ではないモノ(人間)にとってはなかなか難しいことです。


方言と文学作品

 日本の小説では、登場人物がお国言葉で話している作品が時代小説も含め数多くあります。当然のことながらフィンランドにも同じように多くの作品で登場人物たちは、舞台設定となっている地域の言葉で話しています。というのも、使われている方言で彼ら彼女らの出身地がわかり、漠然とではありますがその人間性や社会的背景を読者に伝えることができる効果があることを意識されていたからではないでしょうか。その特質を最も巧みに生かした作品の代表格が、ヴァイノ・リンナ(Väinö Linna)の『無名戦士(Tuntematon sotilas)』(1954年)かもしれません。

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 フィンランドの小説の世界には、物語的な効果を狙って意識的に方言を使うという時代があったようですが、1990年代に入って、フィンランドの一般家庭で広く愛読されていたコミックの『ドナルド・ダック(Aku Ankka/アク・アンッカ)』[注2]が、特徴のはっきりとした、わかりやすい地方の方言で話すバージョンを出版したのに始まり、地方別方言辞書が出版されるなど、方言に注目するという傾向が如実になってきました。
 また最近では、自身の「母語」である出身地の言葉、つまり方言の詩を発表する作家もいます(Heli Laaksonen/ヘリ・ラークソネン。南西フィンランド地方の方言)。さらに2000年代に入ると、自身の出身地の「話し言葉」を使う作品がますます増え、今や一種の流行、トレンドといえる状況になっているとさえいえます。そして、「母語」である方言を使った作品を発表する作家としてよく知られている人にRosa Liksom/ローサ・リクソム[注3]とSinikka Nopola/シニッカ・ノポラ[注4]がいます。

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悩み多きフィンランド文学の翻訳・紹介者 その着地点

 ここで悩ましい思いを抱えるのがフィンランドの文学作品を、外国文学として母国の読者へ紹介したいと考えている翻訳者です。
 いつの日か、日本語にする機会に恵まれたら…と思う作品を幾つか温めている者として、なにかよい方法はないだろうか、と思案していたところ、方言豊かなフィンランドの文学作品を翻訳したいと考える、世界中のフィンランド語翻訳者がオンライン上に集まるWebinarがあると知り、参加しました。
 主催は、「フィンランド文学振興協会FILI」でテーマは「方言と翻訳」。既に「方言で描かれた作品」を母語に訳した経験のある翻訳者が経験談を語るというスタイルで、翻訳時にぶち当たった壁について披露してくださいました。みなさん、異口同音に仰っていたのが、いずれの言語にも方言はあるものの、「その方言が生まれ育った地域の言葉でない限り翻訳文に取り込むことはできない」という極めて当然の指摘。そして、何より危惧するのは、フィンランドのX地域の方言を、母国のZ地域の方言に置き換えてしまうことで、その言葉を話す登場人物の印象が大きく変わってしまう危険性をはらむということでした。
 登場人物の性格や特徴を考慮するのであれば、むしろ「標準的な言葉に置き換えるのが最も安全ではないか」という、きわめて真っ当なところに落ち着いたような印象でした。もちろん、書き手によって文章の雰囲気は変わりますから、一翻訳者としては、文体や類義語なども検討し、その人物ならこう言葉を使うのではないか、こんな風な表現するのではないか、と表現方法を工夫することで切り抜けて行くしかなさそう、というのが今のところの私の着地点です。

[注1]河添房江氏の研究は「今年こそ『源氏物語』……あなたが選ぶ現代語訳は?」と題して、2018.01.11.に読売新聞に掲載された記事より。
[注2]コミック「アク・アンッカ」については、2020年3月4日付けのNote記事をお読みください。
[注3]ローサ・リクソム(1958-) 2021年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した映画『コンパートメントNo.6』(監督ユハ・クオスマネン)のベースとなった本(原書名Hytti nro.6、2011年フィンランディア文学賞受賞)他、新作が常に期待される作家。使用している方言は、出身地である中央・北部ポホヤンマー地方。
[注4]シニッカ・ノポラ(1953-2021) 妹のティーナ・ノポラとの共作児童書「麦わら帽子のヘイナとフェルト靴のトッス」シリーズがある。単独ではエッセイや小説など、出身地、ハマライネン地方の方言で作品を出していた。

(文責 上山 美保子)

#北欧語書籍翻訳者の会 #フィンランド #翻訳 #方言



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