アクアンカ

週刊コミック誌にはまった人たち この指と~まれ!

 毎週あるいは毎月、発売を心待ちにしていたコミック誌がある、という経験をお持ちの方は、この話に共感してくださるのではなかろうか、との思いを込めて、この記事を書いている。

 普段、コミック誌の発売を心待ちにしていたみなさんは、一体どのようにしてそれを手に入れ読んでいたのだろうか…。郵便や宅配便、あるいは書店から直接自宅に届けられていたのだろうか。書店や駅の売店に自分で出向いて買っていたのだろうか。また定期的にやってくるそうした楽しみに、浮き浮きしていたのは、一体いつ頃のことだっただろうか…。子どもの頃? それとも、少し大きくなった中高生の頃? いやいや、大人になった現在のことでもあるのだろうか。

 今回、ここで話題にしようとしているのは、フィンランドで最も発行部数が多く、国民に広く愛されている、あるコミック誌のことである。その名は『Aku Ankka(アク・アンッカ)』。主人公の名前も「Aku Ankka(アク・アンッカ)」。ちなみにこの名前、日本語名では「ドナルドダック」、英語名では「Donald Duck」と呼ばれている、おそらく世界で最も有名な名前のひとつだが、人気という点では、日本ではミッキーという名のネズミに今ひとつ押され気味の、真っ白・でっちり・そしてブルーのジャケットがよく似合う、あのアヒルのことを指している。ここでフィンランド語の「アク・アンッカ」のことを、ごくごく簡単に説明すれば、「アク」というのは、時には「アレックス」なんていう、ちょっと長目の人間の名前のニックネームだ。一方、「アンッカ」は英語の「duck(ダック)」、つまり日本語の「アヒル」を意味するフィンランド語に当る。

 先ず、この雑誌のフィンランドでの人気ぶりを数字で見てみよう。第1号、つまりこの雑誌の創刊号は1951年に発行されている。その時の発行部数は3万4千部強。ちなみに発行部数の最高記録は、2007年3月に出した320,514部。当時のフィンランドの人口は、現在とあまり変わらず530万人なので、およそ16人に1人の割で読んでいた計算になる。残念ながら、発行部数に関する最新の公式データは手許に持ち合わせていないが、2014年のそれは22万部程度だったといわれている(Wikipedia)。また、この雑誌は創刊当初は月刊誌だったが、現在は週刊誌に変わり、毎週水曜日に購読者の手許に届くのが、定番の購読スタイルになっている。もちろん、現在では電子版も普及している。だから、ということでもないのだろうが3歳~16歳を対象とした全メディアの購読状況を調べた結果では、今や、この年代の約3分の2の子どもたちがこの『アク・アンッカ』誌を読んでいるという(2019年発表)。加えて、この雑誌の出版社では、アク・アンッカ専用のWEBサイトも運営しているので、これを使えば、単に発行年代別だけでなく、登場人物別、話のテーマ別、そしてイラストレーター別などでも検索でき、自分の好みに合わせて過去の作品を購読することも可能になっている。

 次に、筆者の個人的経験を通して見た、このコミック誌の浸透ぶりを紹介しよう。
初めて受けた“アク・アンッカショック”は、語学研修のために初めてフィンランドに滞在した1988年夏のこと。宿泊施設になっていた学生寮の共用スペースにこのコミック誌が、それこそ山のように積まれているのを見た時である。それも数冊程度などの生易しい量ではなく、優に1年分くらいがあったように思う。当時は、まだフィンランド語の能力が十分でなかったので、その本当の楽しさ、面白さを味わうことはできなかったが、学生寮にドナルドダックの「コミック誌がある、しかも週刊誌で、家(学生寮)にまで届けられている」らしいことを知ったのだ。心底、驚いた。それこそビックリ仰天、驚愕した。
 その後、友人たちの、長い夏休みや春・秋の週末を過ごす森の中や湖に面して建てられている夏小屋と呼ばれる別荘を訪れると、そこにも必ずといってよいほど、この雑誌のための定位置があるのを見つけ、毎度《一家に1冊アク・アンッカ現象》を確認したものである。男の子も女の子も、老いも若きも、共に夢中になる、家族みんなが楽しめる雑誌が存在している! 驚き以外の何物でもなかった。

 ここでフィンランドでの人気ぶりを窺える「出来事」をいくつか紹介してみよう。

その1)フィンランド民族叙事詩『カレワラ』からストーリー誕生(1999年発表)
 ドナルドダック作品を生み出すイラストレーターは、優に100人を超すといわれる。その中でも人気のイラストレーターが手がけた作品を、いくつかまとめて編集・制作される「アルバム」と呼ばれるハードカバー本が、2年~3年に1冊程度出版される。そして、それら数多くのドナルドダック・イラストレーターの中で、フィンランドで圧倒的な人気を誇るDon Rosa(ドン・ローザ)は、『カレワラ』に登場する、日本で言うなら打出の小槌のような宝物を挽き出すミル「サンポ」を題材に「サンポの秘密(英語名:The Quest for Kalevala)」という話を描いている。

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このお話は『カレワラ』の中では、「サンポの奪還」と呼ばれるくだりである。この作品を含むハードカバーの表紙絵(写真参照)は、フィンランドを代表する画家アクセリ・ガッレン=カッレラの手になるもので、「サンポの奪還」のアク・アンッカ版である。このストーリーが誕生した背景を少し調べてみると、1998年3月のドン・ローザのフィンランド訪問がきっかけになっているようである。彼の大ファンであり友人のフィンランド人が作品のヒントにならないかと提案がてら紹介したのが『カレワラ』の「サンポの奪還」だったという。その後、ローザは、『カレワラ』をテーマとした作品を描くことを決めると同年11月にフィンランドを再訪。『カレワラ』に関する資料が収蔵されているフィンランド文学協会を尋ねた他、あらゆる『カレワラ』関連の資料をつぶさにあたり作品作りの準備をしたようだ。ストーリーは、ほぼ『カレワラ』に着想を得ているので、流れはその通りだが、終わり方が少し違う。彼の作品では「サンポの奪還」の戦いから数十年の後、サンポの奪い合いの戦いに挑んだローペおじさん(スクルージ・マクダック)は、アクやアクの弟たちとフィンランドまでやって来て、《永遠に裕福であり続けられる宝物を挽き出すミル》サンポを見つけ出す、という結末になっている。

その2)アク・アンッカコミック誌発刊50周年記念切手(2001年発行)

画像2 ↑切手図案の説明 左からフィンランド語版コミック第1号(創刊号)の表紙(1951年)、フィンランド初のコミック漫画と男の子のシルエット、フィンランド国旗を掲げるチップとデール、ドナルドダックのシルエットとヴァイナモイネン(『カレワラ』に登場する主要登場人物の一人)、ドナルドダックとヘルシンキ大聖堂

 切手の絵柄デザインには、「キャラクター」をモチーフにしたものは不可欠のものであるらしい。日本では、過去5年に限っても、実に様々なキャラクター切手の発行があった。記憶にあるものだけでも、2015年には「ムーミン」、16年には「ミッフィー」や「ディズニー」のキャラクター、17年には「ドラえもん」そして「サンリオ」のキャラクター、18年には「スヌーピー」や「スーパーマリオ」、19年には「リサとガスパール」「ミッフィー」「ぐりとぐら」「星の王子さま」等々、枚挙に暇がない。切手の絵柄、中でも「さまざまなストーリーの主人公=キャラクター」は、それを見る人に楽しい気持ちを抱かせ、また、大人には“過ぎ去った日々”を思い出させ、当時の“童心”を再び蘇らせる魔法の杖になっているのだろう。「アク・アンッカ」の切手にも、まさにそういった切手という魔法の杖の働きでフィンランドの人々を引き付けたと思いたい。
 なお、この切手シートを見ていて今ひとつ目につくのは、切手にとって極めて大きな要素のひとつ、目打ちの“目”が通常の切手より粗いことである。これは、アク・アンッカの切手だからという“遊び心の表れ”、と見て間違いはないだろう。

その3)フィンランド独立100周年にアンッカ・ギャラリー特別展開催(2017年)
 フィンランドには国立美術館がいくつかあるが、歴史的価値のある作品は、フィンランドを代表するこの「アテネウム美術館」(ヘルシンキ)に収蔵されている。国を代表するこの美術館で催された『フィンランド独立100周年(2017年)記念展覧会』で、「アンッカ・ギャラリー」珠玉の作品11点が展示された(2017年10月2日~2018年2月25日)。

当時の展覧会の様子は、以下のWEBサイトで今も楽しめる。
ANKALLISGALLERIAN AARTEITA(Fin語版)
TREASURES FROM THE NATIONAL GALLERY OF DUCKBURG(英語版)

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「アンッカ・ギャラリー」にも、フィンランドの独立前後から現在に至るまでを辿れる美術品が数多く収蔵されていて、その作品の中の、”選りすぐりのもの”が特別に出品・展示されたのである。フィンランド人であれば、誰もが必ず知っている有名な作品が、この「アンッカ・ギャラリー」にも収蔵されていることを意味している。つまり、フィンランドでの「アク・アンッカ」の存在意義は、単に人々の日々の生活に“楽しさ・うるおい”を与えているだけではなく、フィンランド文化の担い手として、時空を超えてそれを守ろうとしている、そうした存在であることを意味している、ともいえるのではなかろうか。

 ちなみに、ここで展示されたものは、フィンランドならぬ「アクランド」にある、アテネウム美術館に相当する美術館「アンッカ・ギャラリー」に収蔵されている作品だ。建物もアテネウム美術館にそっくりで、ファサードには、アク・アンッカたちがあしらわれている。アク・アンッカを愛するフィンランド人の心の中にある美術館である。

 今回、筆者は20代後半から60代のフィンランドの10名以上の友人たちに、「フィンランド人にとってアク・アンッカ誌はどのような存在か」についてコメントを寄せてもらった。この雑誌がフィンランドで最初に発行されてから今年(2020年)で69年になる。月刊誌から月二回発行(1956年~1960年)を経て、週刊誌での発行が続いているその魅力を友人たちの言葉を借りて紹介しょうと思う。 

画像4↑アク・アンッカは、ペーパーバック化もされている。

フィンランド語訳のテキストが素晴らしい 
 子どもに読みやすく、また、安心して読める文章だ、というのが大方の人が挙げる魅力のひとつだ。確かに、日本の漫画であれば、吹き出しの中に散らばるセリフは、それを発する人物の性格とその場面の状況に合わせ、時として粗暴であったりするが、アク・アンッカの場合、例え作品の中のキャラクターが驚き、怒り、憤慨していたとしても、セリフはさほど乱暴ではなく、標準語での会話が進んでいく。キャラクターの表情は絵で読み取ってもらえばいい、とフィンランドの出版社は考えているようだ。加えてゲスト登場人物の名前が、時宜にあった政治家やスポーツ選手など、有名人の名前をアク・アンッカワールド用に翻案したものになっているので、ストーリーそのものがフィンランド社会にうまくはめ込まれていることも評価ポイントになっている、といえる。

 文字が読めるようになったのは、アク・アンッカのお蔭 
 この雑誌が家にあったので「5~6歳の頃にはもう字が読めた」と学校に上がる前にちゃんと文字が読めるようになっていたことをちょっと自慢気、得意げに知らせてくれた人も多い。ちなみに、フィンランドの就学年齢は7歳である。そして、学校に上がってからは、毎週水曜日、帰宅後、鞄を置いたらまず「アク・アンッカ」を手にしていた、という。両親が共働きで、学校から戻っても家には誰もいなかったけれど、水曜日は、アク・アンッカが待っていてくれた、という声も聞かれた。弟妹にアク・アンッカを読み聞かせをしたとか、夜寝る前の”お休み物語”だったという人もいる。一方、アク・アンッカから卒業したのは、小学校4~5年生頃だったという人から、親元を離れる(多くの場合、高校卒業後)頃と、人によってバラバラ。大人になっても、時間があって手の届くところにアク・アンッカがあれば、なんとなく読んでしまう、という人が多かったのも、このコミック誌がフィンランドの人たちの心のどこかに、常に存在し続ける側面をもった雑誌なのだな、と感じさせてくれるコメントである。ただ「今の10代は、あまり関心がないようだ」と、親世代はいう。「インターネットやゲームなど、娯楽の選択肢が増えたから。これも時代の流れかな」というのが、これら親世代の、今の若者たちに対する理解の仕方である。

フィンランド語は日本語と同じく膠着語(言語の形態論的分類の一つ。接辞や助詞・助動詞などの付属語によって文法的な関係を示す言語。日本語、朝鮮語、トルコ語、フィンランド語など=講談社カラー版『日本語大辞典』1989年第1刷)なので、ひとつの単語がどうしても長くなる。その長い単語から出来ているフィンランドの言葉を、コミックの吹き出しに収まる言葉を選び出しながら行う翻訳作業はどれだけ大変か。「自分が翻訳の勉強を始めるまで、そのことに気づきませんでした」というのは翻訳を業にしている友人が寄せてくれたコメント。映画やテレビの字幕翻訳も制限文字数と格闘するが、制限文字数が吹き出しのサイズで決まる、という点はまたコミック誌独特の、違った面白さと大変さを伴った作業だといえよう。

最後に、アク・アンッカ誌のCMについて。30代前半の人たちは、このCMを見ると泣けてくるそうだ。たとえ懐かしさを感じなくとも、ホロリとするのは、アク・アンッカワールドが描き出す、独特の世界観に依るのだろう。

CMのタイトルは「アヒルとぼくの物語」。
「おとなになんてなるなよ…… 
  アク・アンッカ」

ご案内;フィンランド民族叙事詩『カレワラ』って何?という方へ。
2種類の全訳と「子ども向けの『カレワラ』」の日本語訳がある。興味のある方は、ぜひ手に取ってみてほしい。
  『カレワラ フィンランド国民的叙事詩 上下』 
         講談社学術文庫 森本 覚丹 訳
  『カレワラ フィンランド叙事詩 上下』
         岩波文庫 小泉 保 訳
  『カレワラ物語 フィンランドの国民叙事詩』 
         春風社 キルスティ・マキネン 編 荒牧 和子 訳

(文責・上山 美保子

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