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オーディオブックは本の世界をどう変えるのか?

ここ数年、飛ぶ鳥を落とす勢いなのが「オーディオブック・サービス」です。

オーディオブック・サービスとは、定額サブスクリプション型サービスで、月額でいうと約5ユーロから20ユーロくらいの価格帯で朗読された書籍がほぼ聴き放題になるというもの。オーディオブックだけでなく、電子書籍が読める場合も多いようです。日本でも大手を始め、複数のサービスが開始されているようですね。以前、よこのななさんが書かれた、「大手オンライン書店以外から本を買う(スウェーデンの場合)」 でも同サービスが言及されていましたが、北欧を中心にスウェーデン発の企業に勢いを感じます。今回はその良し悪し、出版業界や書き手の受け止め方、今後はどうなっていくのかを考えてみたいと思います。

まず消費者として。本は当然持ち運ぶ必要があり、鈍器本(分厚いハードカバーの書籍など)は筋トレに…ならないかもしれませんが、移動でも場所を取ります。オーディオブックはスマホにアプリをダウンロードし、契約すればいつでもどこでも聴くことができるのが利点。家なら落ち着いて本が読めますが、移動中、特に運転中などに有難いです。私の場合は、ご飯を作りながらヘッドフォンで本を「聴く」こともあります。(Podcastや動画もよく聞いています)

※【注意】料理の時に聴くと、夢中になってフライパンなどを焦がしやすいです!(あまりいないか、こういう間抜けな人)料理の時に聞こえる音って大事ですよね!そろそろ火が通ったなとか色々「聴いて」判断してるんですよ)

これらの利点は、再生速度を調整できるので、ノンフィクションでさらっと聴きたいときに嬉しいです。人が本を読む時にそれぞれの速度があるんだなぁとしみじみ思わされた点でした。自分で読む場合には何度でも行きつ戻りつ、好きにできますよね。

照明が暗くてもオーディオなら問題なし。乗り物酔いする人にも向いているかもしれません。そして中高年の皆さま、老眼になると暗い所で小さい文字が読みにくくなりませんか?オーディオブックだとその点も解消。私の場合、一日かなりの時間スクリーンを見ている計算になるのですが、疲れ目の症状が出るときも、オーディオブックは助かります。

あと個人的にこうしたサービスではフィンランドの作家の本をよく探すわけですが、他の言語の書籍も結構選べるので、外国語学習(いつの日か初歩のスウェーデン語を再開するとして)朗読を聞いて勉強にも使えます。実際、日本在住の友人が北欧語を忘れない為にこれらのアプリを利用しています。睡眠学習でペラペラに…なれる…かもしれませんが、保証はしません。(昭和の時代にそういう広告がありましたっけ。小学生の頃、オーソン・ウェルズのあれ、すごく欲しかったのを思い出します)

そしてプロのナレーターが朗読をするので、耳障りがとてもいい。学校の授業で、国語や英語の時間に先生に当てられて「はい山田君、次のページの段落全部読んで」ってありましたよね?恥ずかしくて棒読みで終わるや否やすぐ座った方もいらっしゃるのでは?(私もその昔、当てられて読む時は赤面してました)朗読とは、どこで区切るか、強調するかが分かっていないときちんと読めないので、理解度を試すのにもいい方法だと思うのですが、フィンランドの作家で、小説を書いているとき迷った文章は声に出してみて「うん、これならいける」と判断する人もいるとか。

さて、ここまでオーディオブックで気に入っている点を挙げてきたのですが、では逆に消費者目線で「ここはちょっとな…」という点も挙げてみます。

気軽に聴くことができる=聞き流してしまって、頭に残りにくい。すぐ忘れるんですよ…大事な本は紙で読む、または両方使うのもありだな、と思いました。好きな本で、朗読者もはまり役なら二度味わうのも良さそうです。
お手軽すぎて集中できない、ということもあります。(いや、これは私自身の問題かもしれません…)本を読むというのは、やはり「よし読むぞ!」という脳内切り替えスイッチがあるように感じていまして、それだけ一対一で向き合っているのだと思います。あとこれ!大事な点ですが、ビジュアルがポイントの書籍(マンガ、図版が多い書籍)はオーディオブックには当然不向きです。

時々聞くのは、「紙の本だと木を切って製紙するところから環境破壊なのでは?電子の方が環境にいいのかも」という疑問。私の好きな在フィンランドのドイツ人ジャーナリストですが、自分の著作(一冊)ができるまでに何本もの木を切り倒すことになっていて驚いた、と言っていました。正確な数字はそのインタビューでは言わなかったのですが、確かに木を切ってパルプにして製紙するだけじゃなく、印刷、製本、倉庫、物流、書店、家にいきつくまでCO2も出ますね。ただ保存状態がよければ千年でももつ、というのも素晴らしいと思います。
電子書籍やオーディオブックは、それ自体は見えないデータがどこかの(クラウド)サーバに保存されていて、誰かが読もうとクリックすると、データがインターネット上をかけめぐって私たち消費者の持つ電子機器(スマホなど)の画面に表示されます。その処理(クリック→データ呼び出し→ネットワーク上の転送)でもデータセンターにあるサーバは熱を発し機器を冷却する電力が消費されますし、そもそも、電子機器を製造するには金属その他の原料を鉱山から掘削したり、プラスチックやコンポジット部分の製造に水や電力をかなり使って加工し、物流で本より更に遠く、地球上のあちこちに運ばれます。

従って、紙と電子書籍やオーディオブックのカーボンフットプリント(二酸化炭素排出量)の試算や算出はかなり複雑です。だからと言ってあきらめるのは、ある意味「逃げ」ではあるのでいつかちゃんと調べたいのですが、結果的に個人レベルでは「ほどほどにバランスを保って使用する」に落ち着きそうだなと想像しています。

消費者の視点を書いてきましたが、コンテンツ(小説)を書く側はどうでしょう。オーディオブックばかりになると何か変わるのかどうか?
フィンランドでは、作家協会のアンケートで、紙の本が一冊売れると平均3-4ユーロのロイヤルティ収入が作家に入っていたのが、オーディオブックの契約ではダウンロード一回あたり平均70セント~1ユーロで数分の一に減ってしまうというデータがありました。(ちなみに翻訳者の場合はこちらでは一冊単位の買い切り契約が多いので、売り上げがどうかということはあまり影響しないのですが、その辺もやもやする訳者は多いようです)ポテンシャルとして捉える作家もいます。ナレーターはこの人(俳優)がいい!と想定して書くストーリーであったり、フランスが舞台の作品に微妙にフランス訛りのあるナレーターを起用したりという事も考えられるのでは?という話を聞いて、なるほどと思いました。そうなると新たな付加価値ですよね。元々、小説で舞台化や映像化を想定して書く人もいましたが、朗読を想定して書かれるケースもすでにあるようです。

作家の新作が出るシーズンは、ミステリなら夏休み前、また秋の書籍見本市やクリスマス前を狙うことが多く、作品が出たタイミングでオーディオブックの一か月無料体験で人気作品を数冊読んでお金を払わず解約されると、もやもや度は更に増しますね。(ここは、無料体験期間だろうがなんだろうが、「ダウンロード一回されたらその分作家に還元」となっていれば解決する点かと思います。ご存じの方教えてください!)これも十年前なら、新聞を始めとするメディアに新作の書評が出て、それを読んだ読者が書店に押し寄せたものでした。そうした光景もあまり見られなくなり、「無賃乗車」的な使い方が普通になるとすると、何とも世知辛い世の中ですね。本を読まない人が増えた分、せめてオーディオブックで単価は下がるとはいえ、一回ダウンロードあたりの新規「読者ORリスナー」開拓を図った方がいい、と思う作家もいるようです。超がつく売れっ子だと、ダウンロード回数もすごいので、紙だろうがオーディオだろうが、あまり気にしないのかもしれません。

そして作家からコンテンツを提供され、消費者に売る側である出版社はどうとらえているのか。世の中の潮流がオーディオ比重高めになっているなら、トレンドに乗らないと取り残されてしまうという焦燥はありますよね。紙から電子、電子書籍からオーディオ。次はなんなの?というところでしょう。フォーマットが多いほど手間がかかりますし、ナレーターや設備の確保といった点で、中小の出版社にはオーディオブックに手を出す余裕はないとか。紙と電子版は自社で売り、オーディオ版制作と権利を大手に委託するケースも見られます。

また、フィンランドの版元最大手Otava社(読み:オタヴァ)は、人気の若手Youtuber数名を起用して、お喋りのようなオーディオブックのシリーズを昨年末から出版しています。

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@Otava, Pinja Sanaksenaho (author)

一作目がこちら"Mun huikea elämä - Pinkku Pinsku (私の最高な人生ーピンック・ピンスク)"、小学生くらいの子どもたち向けに、「小さいころはいろんな失敗をしたけど、そんなこと気にしなくて大丈夫!」とSNS時代色んなプレッシャーに悩む子どもたちへの力強いメッセージをお喋り形式で送る作品のよう。読者(リスナーですかね、どっちだ、めんどくさい!)からの評判は「今までの本で一番良かった!」など、上々のよう。二作目が4月に出ます。(こんどは男性2名)

しかしこれは本なのか?きちんとした文章でなく、動画で語りかけるような口調であれば、Podcastとの違いはなんなのか?と困惑の声も。私も、もはやどう違うのか分かりません。版元の担当者は、色々なフォーマットが出てくる中で、Otavaとしても新たな挑戦をした、という位置づけのよう。
翻訳者の会のメンバーからも教わりましたが、Storytel などはそれぞれオーディオブックのみのオリジナル企画も出しているそう。日本でもオーディブル×新潮社の「オーディオファースト」という企画があったそうですね。ますます「本とはなんぞや?」と境界線があいまいになっていきそうです。

さて、ここまで消費者目線、書く作家、そして版元それぞれの視点でオーディオブックを捉えてきました。(あちこち脱線もしました)
オーディオブック人気はいいけど、本屋さんが減る動きに拍車がかかるのではという心配もあります。
そうなんです、「アプリのサブスクで完結」だと本屋さんや図書館に行かない・・・図書館でも実際、オーディオブックを増やしてくれという要望が相次いでいるようです。また、これはフィンランド固有の構造ですが、高校などの教科書販売はこれまでは書店収入の大きな柱でした。2021年に高等学校と職業専門校が義務教育化(教材の無償化=貸与)されたため、学生が書店で教材を買わなくなりました。学校がとりまとめて主に電子教材のライセンスをネット注文するように集約化され、書店にお金が落ちないのです。本屋好きとしては、これも困ります。フィンランドでも、本屋さんがない町が増えています。それに、図書館でも書籍点数が減っていくとなると、図書館が「パソコンやスマホが使えない高齢者がネットバンクの使い方を教えてもらいに行く場所」(長いぞ)の代名詞というか、普通の多目的施設になってしまいそうな…

話を戻します。ついつい、紙の本VSオーディオブックと対立させてしまいがちになりますが、本当に対立なのか。それとも多様化の一つなのか。

文字が誕生して5千年の間に、口承文化は残り続けてきました。今は細々と、かもしれませんが、フィンランドにおいてはここ数年、「詩」の分野でなかなか元気に盛り返しているようで、ご存じのように詩は朗読をベースにする形式の最たるものです。
短絡的にすぎるかもしれませんが、私たちは口で伝えてきた文化に、文字で記録をはじめ、手書きの写本から活版印刷へ、そして紙と電子データに移行し、大きく一周して少し姿を変えた朗読という文化に戻ってきたのでしょうか?

いずれにせよ、興味深い現象として今後も注視していきたいと思っています。今回は深堀りしませんでしたが、どれだけ売れているかとか、紙の本との売れ具合の比較、利用者の年齢・性別の散らばり具合といった詳細にご興味をお持ちの方がおられたら、続編もまた考えますね!

とりあえず今晩は紙の本を読もうかな。
(文責:セルボ貴子)



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