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【短編小説】 妄想女子飯 第一話 「参宮橋 〜ロス・レイエス・マーゴス〜」

東京都渋谷区。年明け早々、私はパワーをもらうため、明治神宮へ訪れた。

新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、はあ〜っと吐き出す。冷たい空気とは裏腹に日差しはとても気持ち良く、気分がととのうと同時にワクワクしてきた。

「神様、今年もたくさん美味しいご飯に巡り合わせてください!28歳、五十嵐美智。仕事も精いっぱい頑張りますので何卒……!」

五円に到底見合わない願いをぶつけたら、お腹が空いてきたみたい。散策がてら、どこかでランチにしようっと。

普段はいかない道を歩こうと、参宮橋方面へ下っていく。道中には芝生の広場があり、ここに桜が咲いたらどんなに綺麗なんだろうと妄想をすると、自然と足取りが軽くなった。
 
明治神宮を出て、参宮橋方面へひたすら歩いていると、駅が新しくなっていることに気づく。木材を使用した門がまえはなんともモダンだ。
日本っぽさが表現されており、これなら外国人ウケも良さそう。

早く出張で海外を飛び回れる日がまたくるといいな、最近は隈研吾設計のホテルなどが人気だからその風潮だろうか、などと考えをめぐらせた結果、「これがカルチャー誌編集者の職業病か」となんとも言えない気持ちになる。

「さ、ご飯ごはん〜っと♪」

気持ちを切り替え、再びお店探しを始める。私は、散歩をしながら発見したお店に入るのが好きだ。近頃はSNSやグルメサイトなどが溢れ、巷で人気の飲食店をいとも簡単に探せるようになった。

特に食コンテンツのチームに異動になってからは、そういうツールを駆使するのも仕事のうちなのだが、プライベートの時間くらいは自分の嗅覚を大事にしたい。

今日はどんなお店に出会えるだろうかと妄想しながら歩いていると、ふと、ラクダの置物が目に留まった。

「『ロス・レイエス・マーゴス』? ふうん、スペイン料理のお店ね。」

たまには嗜好を変えてみるのも良いか、とドアを開けて様子を伺う。ビンクの壁にポップなラクダの置物たちがなんとも華やかだ。運の良いことに、今日は35周年記念でたまたまランチタイムもお店を開けているそう。

「こんにちは〜。一人なんですけど、大丈夫ですか?」
もちろん大丈夫よ、と気さくなおばさまが席へ案内してくれた。

メニューを手渡され、どれどれ……と眺める。今日はもうお酒を飲むと決めているのだ。

まずは、ということで、カヴァとイワシの酢漬けを注文。ランチタイムにお酒を飲む背徳感が、食事前の気持ちをより一層昂らせる。

きっと、笑顔がキュートなこのおばさまが店長だろう。周年のお花が店内を埋め尽くしており、「地元住民にも愛されているお店なんだな」と思うと、なぜか自分まで嬉しくなった。

「はい、カヴァのグラスとイワシの酢漬けだよ。ゆっくりしていって」
ありがとうございます、と小さく返事を返す。
 
さあて、幸せタイムの始まりだ。「かんぱい」と小さく呟き、乾いた喉を潤す。しゅわしゅわとした喉越しの良い液体が、歩き疲れた身体に心地よい。

次はイワシの酢漬けを……と思ったところで、ふと声が聞こえてくる。
 
「美智ちゃんはさ、参宮橋が有名なアニメの聖地ってこと、知ってた!?」
黒い長髪をラフに後ろで束ね、顎髭が生えた褐色肌の男。整っているのに何処か可愛らしさが残る顔が、ウキウキした目でこちらを覗き込んできた。

彼に名前をつけるとしたら、「クレト」だろうか。スペイン人の父と日本人の母との間に生まれた彼は、スペインで生まれ育ち、留学で来日。日本のアニメを愛しすぎて、なんとしてもアニメの聖地である日本に来たかったのだとか。

「僕がここに来たかった理由はね、新海誠監督のアニメの聖地巡礼をしたかったからなんだ!『秒速5センチメートル』に出てくる桜並木はとても綺麗で、僕もあんな綺麗な景色を美智とも一緒に見たいよ。……まあ、実際にはその桜の木は無いんだけどね」

ウキウキと話し出したかと思ったら、最後には急にしゅんとする。絵に描いたような素直さだ。
しかし、歯が浮くようなセリフをさらっと言ってくる様は、さすがラテンの地の育ちか。慣れていないせいで、言われたこちらが恥ずかしくなってしまう。

新海誠監督のアニメがいかに素晴らしいかを話を聞きつつ、疎かになっていた手元を再稼働する。

イワシの酢漬けを口に運ぶと、イワシとオイルのまったりとした旨みが舌を包み込む。そして、酢と後がけしたレモンの酸味が口の中をさらりと流れていくのだ。これはカヴァによく合う。
未だ楽しそうに語っているクレトにも「食べなよ」と促し、無我夢中でひと皿めを堪能した。

頃合いをはかって、先ほど追加で頼んでおいた魚介のパエリアが運ばれてきた。
エビとアサリ、ムール貝をつかったベーシックなパエリアは、早く食べてくれと言わんばかりの香りをはなってくる。ごくり、と唾を飲み込み、赤ワインを追加で注文。

「わあ、すっごく美味しそうだ!故郷を思い出すよ。僕のグランマが作るパエリアも絶品なんだよ。いつか美智に食べて欲しいな。」
本場のパエリアは、一体どんな味がするのだろう。
クレトのおばあちゃんは、きっとクレトと同じように陽気で包容力があるお方なんだろうな……と妄想する。そんな人が作る料理は、総じて幸せの味がすると決まっているのだ。

海外に行けるようになったら行きたいところが、また一つ増えた。
でも、本場で食べるパエリアはもう少しお預け。まずは目の前のこの子を堪能しよう。

一口頬張ると、ガツンとエビの旨みが襲ってくる。追って貝類の深いうまみとスパイスが複雑さを醸し出し、このまま香りまでもを飲み込みたい衝動に駆られた。
少しだけ息をとめて口の中で香りと旨味を堪能したのち、ふうっと息をつく。そして赤ワインを口にふくみ、余韻を楽しむ。

何を隠そう、私は食事を楽しむという、この瞬間がたまらなく好きだ。

食べ歩きが唯一の趣味になってからというもの、一日のうち限られた回数しか楽しめないこの時間を大切に考えるようになった。

「ふふ、とっても幸せそうに食べるね。次は一緒にスペインのレストランに行こう」
クレトは嬉しそうに私の顔を覗き込みつつ、そんな言葉を残していった。

「ごちそうさまでした」と、空になったお皿にスプーンをおく。

そして、また私の妄想が暴走してしまった、とちょっぴり反省する。
一人で食べる食事も美味しいが、隣においしさを共有できる人がいる方が、より一層食事を楽しめるからだ。

これが一人でなければ、他のメニューも色々食べられたのにと心残りをしつつ、店を後にするのであった。

もちろん、「今夜は何を食べようか」とワクワクながら。


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