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70代になった両親との小さな変化。

「わたしが運転するよ」

いつものようにそう言ったら、この日は母が
「お父さん、お願いしたら?」と父の顔を見た。

父が少し逡巡したのち、素直に車のキーを渡してきた。

先週末、久しぶりに両親と出かけた、2024年11月17日のことである。
わたしは心の中でこの日を「ハンドル記念日」と名付けた。



実は長い間ずっと、心のどこかで気になっていた。

年老いた両親と、寄りかかる側、そして寄りかかられる側の役割をバトンタッチするのは一体いつなのだろう。と。

ここでいう役割というのは、
たとえばご飯をご馳走する側とされる側だったり
車の運転をする側とされる側だったり
相談をする側とされる側だったり
荷物を持つ側と持たれる側だったりする。

そして声をひそめていうけれど、大変におそろしいことに、父母との関係において上記のぜんぶ、40代になったというのにわたしはずっとされる側、してもらう側だった。


それがおかしいだろうことはもう、だれよりもわたしが分かっている。
たぶん世の中の人たちは、するりと上手に、その役割を交代しているのだろう。

でも、わたしが頼りないからかわが両親がタフすぎるのか。父母が全然、現役を譲る気配がないのだ。

それぞれの生活があるので、両親に会うのは年に数回。役割をアップデートできないままに気づいたらこの年になっていた。

先日も、久しぶりにひとりで両親の家を訪れる機会があったのだけど
駅から近いというのに、父と母はそろって歩いて改札まで迎えにきた。

「ちょっとあんた、貸しなさい! まー!これ重いじゃないの!」

母がそう叫ぶなり駆け寄るようにして近づいてきて、黙って手を伸ばす父とで両側から荷物をはぎ取られる。

「いや、大丈夫だって!ちょっと、やめてよー」
奪い返そうと引っ張るも、
「貸しなさいっ!」
さらにとんでもない力で最後に残ってた肩かけバッグまでも奪われた。

ぽつーーーん。
着の身着のまま置いてかれる心細さって、こんな感じなのかしら。

しかも荷物を取られないようにというつもりかなんなのか、二人して背中を見せ、信じられない早足で去ってゆく。

もう、完全に追い剥ぎ。笑うしかない。
健脚すぎるて。。。

「ちょっとおおおーーーー!」
どんどん小さくなる二人の背中に叫んだ。


両親の中ではわたしも幾つになったって子どもで、守るべきもので、あれこれ心配するもので、
重たい荷物は持ってあげるもの。だったから。

もうすっかり大きくなった体で、たとえそれを縮こめてみたって小さな頃のようには甘えることもできず、それを当たり前にもできず、
どうにも落ち着かない居心地の悪さを感じていながらも、甘えられるうちはこの関係でいたいような、気持ちが複雑に揺れる。

というか、ここに「年老いた両親」と書いている時点で正直罪悪感がすごい。
70代って、一般的にどんな感じなのだろうか。

確かに少し白髪は増えたけど。
実物、全然年老いてないんだもの。

外に30分もいれば熱中症で倒れそうな暑い日も、
はたまた寒風吹き荒ぶ日も、
いまだに週5で(しかも午前・午後の2部制)テニスをしているおじいことうちの父と、気持ちも見た目も大変に若い母。

だけどそんな両親も、実際もう70代なわけで。。

数年前にめちゃくちゃ売れた、宝島社のムックがある。タイトルは、「60歳すぎたらやめて幸せになれる100のこと」。
中尾ミエさんが表紙で、一時期どの本屋でも目立つところに面陳列されていた。

60代になったら、煩わしい近所付き合いや友人親兄弟との関係や、人付き合いもいらない習慣も、どんどん手放して小さく暮らしていきましょう
というような内容だったと思う。

流行っていたから、なんの気なしに当時60代だった母にそれを渡したとき
「・・・こんなのって、なんか、古いわぁ」
母は一瞥して珍しく嫌悪感を示した。

そして60代になったらもう引っ越しやリフォームは見送ろう、というそのムックのアドバイスなど歯牙にもかけず、その後実家を畳んで綺麗さっぱり売り払い、父と2人でおしゃれな地区の新築マンションに引っ越した。

図面とにらめっこしながらインテリアも内装も自分でイチから考えて
新しい環境に胸を躍らせながら日々近所のお店の開発などに余念がない、そんな母の心の若々しさというものが、わたしには眩しい。

こどもからあのような本を渡されたことは、まるで年寄り扱いされたようで嫌だったのだろう。


健康でエネルギッシュな父母だからこそ、ますます交代のタイミングがわからずにここまで来た。

車の運転も、家族みんなで出かける時は、いつだって父がハンドルを握った。
わたしの定位置は、運転席の後ろの席。


「わたしが運転するよ」
そんな声かけには、
「ええ。かえって危ない。」なんてキッパリハッキリいうのが父だったのだ。


それがついに、父が運転席を譲ってくれた。
長距離だということもあっただろうけれど、
これは間違いなく我が家にとってのハンドル記念日なわけで。

「免許証は?!ちゃんと持っとる?」
「車間距離!」
「ここはそろそろ右路線に移っといた方がええ」

などなど、時折まるで免許取り立ての若者に対するような声かけを後部座席から受けながらも、感慨深くドライブした。

目的地について駐車場にバックで車を停めたあと、
「にいちゃん、運転上手いが」
と父がつぶやくように言った。

母から少し伝え聞いたことはあっても、
わたしの記憶の中で、面と向かって父に褒め言葉らしきものをもらえたのは、これがはじめてのことじゃないかと思う。
そのときに、ああ、父も歳を取ったのだと思った。


いつか重たい荷物も、代わりに持たせてくれるようになるだろうか。

レジの前で伝票を出しても、体ごと突き飛ばすように押しのけるのをやめ、会計を任せてくれるだろうか。


親のものだった役割を譲って、頼ってもらえるということは、とてもうれしくてほんの少しだけ寂しい。


▼実家の家族の話。
父はわたしのことを、にいちゃん、と呼ぶ。


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