学校から挑戦者は生まれない
日本には世界に挑みに行けるような挑戦者が少なすぎる。だから、挑戦する人が増える、そんな学校を創りたい。
これ、思ってる人めちゃくちゃいますよね。
僕もこれまで多くの人に会ってきて、言われたことは一回や二回じゃないですし、こういった場を目指して作ろうと動いている方も知っています。ビジネスの場合でも、ベンチャーキャピタルとか大きな会社が投資する先がないからと、その芽から作ろうというプログラムをやっているのも珍しくなくなりました。
でも、僕はそういうものから挑戦者と呼べる人が出てくるようなイメージが湧かないんですよね。
起業する人が少ないのは、起業する術を知らないから。
じゃあ、その方法を教えれば挑戦するようになるかっていうとそうではないんですよね。知識とか術なんて今更語るまでもなく、本やネットにあります。なのに知らないってことは、そもそも知る動機がないって話です。
同じように、挑戦をしないのは挑戦することを知らない・その術を持たないからだ!っていうのは、違うんじゃないかと思います。
挑戦の種類
僕自身、20歳から起業家になると挑戦を始めて今で7年目です。
その七年間で、何度も事業を失敗しましたし、自分のやっていることに疑問を持ってきました。そして、その度に考え直して再挑戦をしてきました。その中で思うのは、挑戦っていうのは自分の心に生まれた激情を元にしたもの以外は偽物でしか無いなということです。
何かに挑もうと動く時ってそう多くないですよね。特に人生を懸けるような挑戦の場合、それに至る過程もそう多くないと思います。例えば、これまでの自分が嫌になって、変わるために新しいことに挑戦するとか、単に損得勘定で儲けを目的に挑むこともあるでしょう。けど、そういうコンプレックスとか損得だけで挑むことってその人にとって意味はあっても、社会にとってはそれほど意味のないことです。それを本物の挑戦と呼んで良いのかというと僕はなんとなく違うんじゃないかと思います。
じゃあ、本物の挑戦ってなんだろうなって思いますよね。
そもそも挑戦者とは?
「誰もが諦めた社会が抱える難題を解消し、多大な価値を創出しようと動く人」
これが僕が考える挑戦者です。
そして、この挑戦をビジネスという手法で達成しようと考えるのが起業家だと思います。
個人で見れば、例えば転職をするとか、個人事業主として起業するとかそういうことも挑戦だと思います。それを否定したいわけではなくて、ここで言いたいのは今まで日本が課題としていた「挑戦者が生まれない社会」においての挑戦者というのはこういう人だろうってことですね。
それこそ、歴史に名を残すほどの影響を与えられる人です。
じゃあ、そういう人ってどうやって生まれるのか?どうすれば、そんな大きなことに挑戦することになるのか。
理不尽の中でしか、挑戦者は生まれない。
自分の経験を踏まえても、大きな挑戦をすることになる原動力って「怒り」だと思うんです。
どうしようもない悲劇で大切なものを失ったり、環境のせいで自分の意志を曲げないといけなかったり。
それこそ歴史においての革命っていうのも、誰かが理不尽に泣き、怒りを覚えたことが発端になって、「こんな世界を変えないといけない」って思ったから、そうなった。
もちろん、人によってはこの怒りを正義感とか使命感とかっていう人もいると思いますが、それらが芽生えるきっかけってやっぱり怒りです。
「世の中にそうあってほしくない」
そう思って、変えるためにどうすればいいか考えて行動して事を成す。これって、元々その人が社会を変える術を持ってたからとかそんなんじゃないですよね。むしろ逆で、自分が無力で何もできなかったから、挑もうとするんだと思います。
挑戦へのトリガーを養殖できるか?
ここで、話を戻して。
そんな挑戦者を日本に増やすためにどうすればいいか。
やっぱり僕は学校ではないと思うんですよね。誰かに整地された場所で、与えられたきっかけで動き出しても、それは世界を変える挑戦にはならないと思います。
挑戦するということは、例えるならば理不尽や抑圧をトリガーに、怒りを炸薬にして、方法論や戦略を弾丸として世界に打ち込むことです。
これのどれか一つでも紛い物では、世界を穿つことはできない。
だからこそ、学校とかそういう方法で人工的にきっかけを与えても本物には成りえないんです。
それでも、挑戦する人を増やしたいならば。
理不尽を知ること。
これが最初に必要です。
生活圏ってどうやっても限られますし、自分が関わっていない業界とか会社とかってどんな内情かとかってわからない。
でも、例えば会社を出て人と喋ってみるとか、興味を持ったことを知ろうとするとか、そんなところからまずは始めるしかないんだと思います。そして、行動量が増えていけば、それだけ理不尽な場所に出会うことも増えていきます。もし、自分に理不尽が降り掛かってこなくても、理不尽に泣いている人と友達なるだけで「なんとかしたい」って思ったりもします。
そうやって、覚えた「怒り」を見て見ぬ振りせずに、言葉にして、自覚して、どうすれば変えられるかを必死に考えて、行動に移せばそんな自分に共感してくれる人が増えて、できることも増えてくる。その経験の中でレベルアップしていくものだと僕は思います。
最後に
挑戦者を増やすために動くなら、まずは自分が挑戦者でいれているかを問う。そして、安易に仕組みや箱を用意するのではなくて、自分自身のことを発信して多くの人と喋る。そして、その繋がりの中で、怒りを覚えているのにうまく出せない人に話をしてみたりする。
そうやって、こんな風に挑戦をしていることを知って、自分の「怒り」を何度も見つめて、人生を懸けてでもなんとかしたいって思いにまで磨けば、足は自然と前に進みます。
抽象的ですが、1番大事な部分。
そこを無しにして、本物はあり得ないと僕は思います。
読んでくださりありがとうございました。
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