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117「オリヴァー・トゥイスト」 ディケンズ

 上下巻415グラム。どうも筋道が見えにくい、と思ったら、月刊雑誌に2年にわたって連載されたものだった。なるほど連続ドラマを見てるときの印象に似てる。
 「面白かったけどストーリー上は捨て回だったな」とか「ダレ気味であると踏んで強引なてこ入れをしてきたな」とか、意図を邪推しながら読むのが楽しい。当初のテーマがどこへ行こうがとにかく一回ずつの盛り上がりに全力を尽くす人気者ディケンズ、ちょっとクドカンみたい。

 救貧院で生まれた孤児のオリバー君がなぜか下層階級と上流階級の間で奪い合いをされるという不思議な展開。オリバー君自身は、大事なときはだいたい倒れてるか熱を出しているか逃げまどっている。しっかりしろ。
 不幸な孤児の成長譚となると、「勉強して立派な人になりました」か「大悪党として自由に生きました」のどちらかになりそうなものだが、これが全然そんな話じゃない。

 むしろ読んでるとこの小説の主人公は19世紀のスラム街であるような気がする。街並みにははっきりと意志がある。

老朽して危険な家が数軒あったが、道路にしっかり打ち込んだ太い木の棒で壁を支え、表通りに倒れないようにしてあった。しかしこのようながたの来たあばら家でさえ、宿無しルンペンの夜のすみ家に使われているらしかった。というのは、ドアや窓代わりに打ち付けてある粗板はたいていもぎ取られて、人間の身体が抜けられるだけのすき間ができていたからだ。どぶはよどんで汚らしく、鼠さえ飢えのために見るも恐ろしい姿をして、その中に倒れて腐りかかっていた。

 猛烈な迫力、かつ雄弁な町の荒みようである。
 鼠がどぶで飢え死にしている町なんて伝染病で全滅しないものだろうかと思ったら、案の定この町は葬儀屋が繁盛している。それも子どもの葬式が多いので、子どもの葬式の演出用に、哀愁をそそる面構えのオリバーが従者として丁稚奉公に売られてきたほどだ。
  そんなに不衛生な町の中でまだ抵抗力のついていない子どもが育つのは難しいはずだが、救貧院や路上には家のない子どもがまさに売るほどいる。町そのものが児童虐待装置だ。どれくらい誇張でどれくらい現実なのかもわからない町のおぞましさが、奇妙に魅力的である。

 このジャーナリスティックに陰惨な光景を、同時代イギリス人が喜んで雑誌を買って読んだわけだ。
 あまりに力強い描写に、貧しい人の視点から社会の矛盾を告発する作品なのかと思って読んでいくと、後半からはオリバーが実は金持ちだったことが判明したり、オリバーとあまり関係ない金持ち同士のラブロマンスになっていったり。だんだんどうしていいかわからなくなる。

 リアルタイム読者は、いったいなんだと思って二年間も読み続けたのか。この児童虐待の告発を、続く一連の娯楽要素のひとつとして無邪気に読んだのか。
 だとすると「工業化による急激な人口集中、技術革新で仕事をなくした大量の労働者、弱者である子どもにひずみ……」などと考えこまねば面目ないような気になってしまう私などより、受け止め方がはるかにおおらかだ。
 同時代人として、あの話とこの話とこっちの話、同じストーリーの中で楽しく読めちゃっうのって、すごく楽観的なパワーじゃないか。
 そういえば、なにが起こってもなんとなくぼんやりしていて絶対めげないオリバー君にもそのつかみどころのないパワーがある。
 深く考えない。機会あらばたのしむ。 そして全体に芒洋としている。

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