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109「地獄変・戯作三昧 他六編」芥川龍之介

148グラム。芥川龍之介と言えば高校の教科書に『藪の中』が掲載されていた。それを読んで「女が悪い、先生、女が悪いんでしょ」と延々と迫っていた女生徒がいた。「そもそもそういう話ではないんじゃないか」と思いながら聞いていたが、考えてみればあんなに楽しんで芥川を読んでいた女子高生すごい。

 何年か前に、動く芥川龍之介を撮影した貴重なフィルムが発見された、というので、ニュースになっていたことがある。
  自殺する年、36歳の芥川が木登りをしてる。子どもが先に身軽に上っていくのを下から見あげて、すぐさま後についていく。びっくりするほど身軽でひょいひょいひょいという感じ。着ながし、下駄ばきのまま猿みたいにあっと言う間に一番上まで登った。
 ああいう、「本気で子どもと木登りしちゃうような芥川龍之介」がページのどこかに居るはずだ、と思って読むのであるが、なかなかどうして。

 手元にある旺文社文庫の短編集の中で一番好きな文章は、面目ないことに夏目純一のあとがきだ。「芥川さんのこと」と題されたその文章には、漱石最期の日、大人たちが忙しく出入りし足の踏み場もない家でぽつんとしている数えで10歳の純一君と弟に声をかけ、絵をかいたりして一緒に遊ぶ芥川の様子が記してある。
  その後も忙しい日々の中、毎日手伝いに通ってきて、遅くなって泊まっていく日には子ども部屋で河童やら幽霊やらの話をしてくれた、話の面白い人だった、と。
  なんと夏目家に生まれると寝るにも『おやすみロジャー』じゃなく、芥川龍之介怪談ライブなのか、という驚愕。目がギラギラした前頭葉のやけに大きい痩せぎすの芥川が暗がりで幽霊の話をするのはどれほど怖いだろうと思うと好奇心で居ても立ってもいられないような気がする。
 調べてみると、漱石が死んだ1916年、芥川龍之介は24歳である。ずいぶんと優しい。24歳くらいの青年が、そんなに親身によその子の面倒を見るものだろうか。

 その上で収録の短編を読み直すと、『枯野抄』(1918)がまた違ったふうに見えてくる。
 この作品は今しも死んでいこうとする松尾芭蕉を弟子たちが囲んで最後を看取る、まさに臨終の場面をかいたものだが、同じようにして漱石を囲んだのであろう芥川の姿が浮き上がって見えてくるようだ。
  人の死に際して手際よくあらゆる手配に気を配りそれに満足すら感じている自分に気付いてぞっとする気持ち。死そのものにたいする生理的な嫌悪感。悲しみを自制する力の足りない門弟にたいするいら立ち。師匠の死を悲しんでるじゃなくて師匠を失う自分たちを悲しんでるな、なんて冷めてきてしまうこと。
 繊細なうえに頭がいいというのは大変なことで、見えなくてもいいことが全部見えている。ずいぶん疲れるんだろう。

 いかにも秀才顔のシュッとした美男子で、子どもにやさしく、博識で、話がおもしろく、木登りまでうまいとは。思えば、芥川龍之介こそが日本文学界きってのいい男なのではあるまいか。
 なにやらうっとりさせられる要素を持った特別な作家だと思うのではあるが、ひとつ問題がある。読むのが苦労である。「うまいし、美しいなあ」と思うのであるが、どうにもそれ以上のひっかかりがなかなか見つけられずに目が滑る。
 寝る前にあの不健康そうな顔で語ってくれるなら、『地獄変』あたりはぜひ聞きたい、病的にメラメラした面白い話なのだけど、私にとって活字の中の芥川はどうにも印象に残りにくいのはどうしたわけか。

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