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116「神曲 煉獄篇」ダンテ

260グラム。「煉獄」は、地獄行きにはならない程度の善人が天国に入れてもらうために罪を浄化する場所。
 人に祈ってもらうと浄罪がはかどるということで、ダンテに会うとみんな「現世に帰ったら親戚に真面目に供養するように伝えておいて」と言伝てをする。中世のイタリアって知らない人が急に訪ねてきて「お宅の亡くなった某氏が煉獄でよろしく言ってました」とか言っても怪しまれないくらいおおらかなんだろうか。

『地獄篇』ではサディスティックな拷問の創意工夫に感心し、怪物の種類に括目し、場面ごとに恐怖の種類が入れ替わるアミューズメントパーク方式を堪能する一冊であったが、そこを抜けて一転『煉獄篇』は少し明るい世界観になる。

 「地獄」は穴だったが、「煉獄」は山なのだ。なんといっても景色がいい。そして頂上まで登れば、憧れのベアトリーチェが待っている。

 とはいえ『煉獄篇』は怒られる。最初から怒られる。
 地獄を抜けてほっとしたダンテと案内人のウエルギリウスが和んでいると、そこに川を渡って死者の魂がたくさん運ばれてくる。
 煉獄ともなると死者も比較的のんびりしてるから歌なんか歌っている。そこで死者たちはダンテをみとめ、「おお、生きてる人がいる。すげえすげえ」とちょっとした騒ぎになるのだ。ダンテは知り合いをみつけ「今地獄から抜けてきたところで気が沈んでるから何か歌ってよ」などといい、みんなでワイワイやる。
  そこに、やってきたのが煉獄の門番をしているおじいちゃん哲学者カトーさんだ。「何をぐずぐずしてるかっ」と一喝、全員蜘蛛の子を散らすように一気に退散するのである(第二歌)。
 大人なのに怒られる。そんなに悪い事してないから煉獄に来てるのにやっぱり怒られる。死んでも怒られる。つらい。

煉獄は罪を浄化するためにちょっとわけのわからない苦役をする。意味がわからなくてとにかく面白いのは「怠惰の罪」を贖う人たちがずっと一心不乱に走っているくだりである(第十八歌)。

 生きてる間に怠惰だったから死んでからむやみに走って取り戻す、というのもすでに面白いが、このランニング・デッドたちがダンテとウエルギリスを追い越していく。
 追い抜きざま、ウエルギリスは道を聞くが、彼らは足をとめない。その代わりサン・ロゼーノ寺の僧院長をしていたという、たぶんかなりえらくて、厳かで、高齢と思われる人が駆け抜けつつ、自己紹介と自分の後継者の悪口を言いながらみるみる遠ざかっていくのだ。
 どう想像してもかなり笑える。ダンテはどれくらいニヤニヤしながらこういうのを律儀に韻を踏んだ三行詩なんかに仕立てていくのだろうか。

 ロールプレイングゲームのようにいろんな人に話しかけ、贖っている罪の内容をきき、親戚筋への伝言など頼まれながら山頂へ。
 待ちに待ったベアトリーチェはいきなり高圧的に登場し、とりあえずダンテを叱り飛ばす。
 大人なのに叱られる。なんで叱られてるのかはっきり言わないまま雰囲気で叱られる。気絶するまで叱られる。

一時は私が私の表情で彼を支えました。
 若々しい目を彼に向けて
 私は彼を導いた。そのころ彼は正道をすすみました。
しかし私は、第二の齢の声を聞いたとき、
 世を変え(現世を去り)ました。
  すると彼は私を捨てて、よそ人の許へ走ったのです。

  ベアトリーチェはダンテと同い年。9歳のときにダンテが一方的に見かけて恋に落ち、でも富豪の娘だから手出しのしようもないまま悶々とし続け、そのあと18歳のときも道で会ってどうやら挨拶くらいしたらしいのだけど、それだけの関係。ベアトリーチェはお金持ちの銀行家と結婚して、24歳のときに亡くなってしまう。そんな普通の良家のお嬢さんが、ほぼ無関係なダンテに何を怒っているのか。

 死んだときの姿で天国にいるなら24歳だが、ダンテの気持ちを考えると結婚前の姿まで若返っていそうな気がする。もっと言えば、一番印象深かった時の姿、なんとなれば9歳の顔をしていてもおかしくない。
 一方のダンテは人生半ばで道に迷った35歳。ちょっとした政治家だし、詩人だし学者だし、とにかく名士である。それが9歳児に頭ごなしに怒られてるとすれば、チコちゃんに叱られるみたいな絵面だ。

 怒られて始まり、起こられて終わる煉獄篇。
 天才のうえに、こんな壮大な叙事詩で自分を主人公にしてしまうくらい自意識の強いダンテは、中年になって自分をふりかえるに、ずばっと怒られたかったんだろうか。大人になってから怒られるの、凡人には厳しいけどねえ。

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