”アサクリ炎上”で発覚した、トーマス・ロックリー日大准教授・問題と、「これがポリコレの狙いだ!」
炎上しているフランスのゲームと、元ネタのポリコレ日本史
炎上内容をコンパクトに
トランプ大統領を狙ったテロ事件も気になるところですが、またもやなかった闇の日本史が静かに作られているということを知って、これは今のうちに嘘は嘘、インチキはインチキ!と、声を上げとかないと大変なことになる!と思い、まずはこちらを。
フランスのゲーム会社UPIのゲームソフト「アサシン クリードシリーズ」の最新作が戦国時代に実在した人物、”黒人侍”・弥助を主人公にしたもので、同シリーズが”史実に基づいた”を強調していることで、「ポリコレで歴史を湾曲するな!」と炎上している
ゲームには元ネタがあり、それは日本大学の准教授で、英国出身のトーマス・ロックリーが書いた”African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”。どうやらこの人物は、ポリコレという津波にマッチした新しい日本史を海外に広めることで、ALT(学校に派遣される外国人のアシスタント教師)から准教授に昇りつめたらしい。ただし、本人は同ゲーム開発とは無関係と言い、SNSから逃走中。
トーマス・ロックリーの作品を元にした作品は、映画化ドラマ化されて、最強の侍は黒人侍だったという勘違いを広めていたことに多くに日本人が気が付き、炎上中。ちなみに批判は、日本人からだけではなく、ポリコレにうんざりしている日本人外からの批判も一部あるもよう。
問題点を一言で
史実とファンタジーをごっちゃにして、白人のためのポリコレに有利になるような歴史修正が行われている。
個人的に「日本人の外見が馴染みないので?」とか、「今風のポリコレを受け、ゲームやドラマで黒人侍を主人公とした作品を作ります!」というのは、自由に創作すれば良いのではないかと思います。ですが、歴史書の中に、数行の記述しか見つからない人物の偉業を作り上げるために、他国の歴史を書き換えようとするのは、いかがなものかと。私たち日本人は、嘘の歴史をばら撒かれていることに沈黙し、痛い目に見た過去が・・・いや現在進行形でありますしね。ちなみに、私はゲームよりも、査読なしの論文を歴史的な事実のようにばら撒いている、トーマス・ロックリーの方が問題だと思っています。
弥助って誰?
実は、私自身、以前から弥助という人物には、関心がありました。というのも、私の仮説の中で、日本が植民地にならなかった理由の1つに、弥助が信長にもたらした海外情報が関係するのではないか?というのがあったからです。しかし、残念なことに彼についての資料は、いくつかの文献に数行記載されたのみ。そのため私の仮説は、希望的観測。そして、今回のコラムの前提として、私は今も昔も、”弥助”という歴史上の人物にかなり好感を持っています。
記憶にある限り、文書として弥助についてわかっていることは以下の通り。
イエズス会が当時ポルトガル領だったインドから連れてきた黒人奴隷。当時の植民地事情から、弥助はモザンビークあたりから連れ去られて奴隷にされたのではないか?と言われている。
日本での布教を拡大したかったイエズス会宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、当時勢いを増していた織田信長に謁見。彼が連れていた黒人奴隷に織田信長が興味を示す。
初めてみた肌の色を信じられず、擦ったり洗ったりしたが、実際の肌の色と知る。また、少しの日本語を理解した弥助は、信長に気に入られ、家臣となった。(武器持ちのような立場で、いつも信長の側にいて、敵を威嚇。民衆の注目を浴びた)
本能寺の変の時に、信長の近くにいた。その後、信長の息子の信忠がいた妙覚寺で、明智勢に捕まる(「刀を渡せ」と告げると、刀を渡してきたということがイエズス会の文書に残っている)。明智光秀は、「黒人は人間ではないから処分しない」とし、イエズス会の寺に送られた(このセリフが弥助を救うための方便か、差別発言かは光秀のみが知るとされている)。
弥助のことについてではないですが、本能寺の変については・・・
明智軍は、織田信長の首を見つけることができなかった。全て燃え尽くして灰になったのではないかという文書も残る。
弥助にまつわる噂として、古くから日本にあるもの:
信長亡き後、狙われるであろう後継者を救う必要性を理解していた弥助は、本能寺の変が起こっていることについて、いち早く信忠に知らせた(信忠に知らせた人物は、他にも候補がいて、そちらの方が信憑性高め)。
この時代の戦いにおいて、勝者が敵の”大将の首”を持ち帰ることの重要性を理解していた弥助は、信長切腹後、彼の頭を抱え、戦場となった本能寺から脱出し、静岡の寺まで運んだ(1万人の明智軍に囲まれた中、脱出できたとすれば、圧倒的な体格と、普段見かけない見た目から、他の信長兵よりも持ち出せる可能性は高いのではないか?と推測できる)。
織田信長のデスマスクと伝えられているものは、弥助が持ち出した信長の頭を使って作られた(デスマスクの素材がこの時代にしかなかったものということは確認されている)。
トーマス・ロックリー問題が緊急度も重要度も高いと考える理由
トーマス・ロックリーが拡散しようとしている”弥助”像
弥助は日本初で伝説(日本最強)の黒人侍。
弥助は奴隷にされ人身売買された可能性はあるが、宣教師に雇われた頃には自由人になっており、宣教師のボディガードとして来日。
弥助は、信長に雇われたアフリカン・ウォーリア。
宣教師が信長に謁見したのは、あくまで出国する際の当時の儀礼に沿ったもので、その際に、ボディーガードとして弥助を随伴させた。
弥助はLGBTQ侍。
トーマス・ロックリー説の根拠のなさ
「トーマス・ロックリーが拡散しようとしている”弥助”像」が根拠がない妄言と私が考える理由。
本能寺の変で戦ったとされる記録はあるものの、当時は農民も、僧侶も戦っていた時代。また、信長の家臣になり、刀持ちとして随行していた記録はあるものの、一般的な侍のように、刀を使って戦うスキルがあったかは不明。”盾代わりに鎧をかぶって刀で戦う”という侍の戦闘方法は、他の国にはみられない特殊な戦い方のスキルと言われている。特に”鎧をかぶって戦う”ためには、かなりの体力が必要だと言われているが、西洋化される前(明治維新前)の日本人の体力は当時の世界で異常だったという史実もあるほど。怪力との記述が残っている弥助ではあるが、出会いから本能寺の変に至るでは、たった3年間と言われており、その間に高度なスキルを取得する訓練を受けたり、それを実践で活かせるために必要な持久力を身につけることができたのかは疑問点が残る。 また、本能寺の変の記録の中に、”「刀を差し出せ」と言う敵に従い、刀を差し出し、捕らわれた”という記述がある点でも、一般的な侍の行動と少し違う印象を受ける。仮に、この記述が事実ではなかったとしても、捕まった後にも殺されなかったという事実から、少なくとも光秀にとっては、弥助が信長の仇をとろうとする相手とは考えなかったと推測できる。
弥助がポルトガル領で奴隷にされた黒人でないという可能性があるのならば、逆に聞いてみたい。16世紀のポルトガルは奴隷貿易の真っ最中。さらに「教えを世界に広めたいイエズス会と貿易と布教の正当性が必要だったポルトガルの間に協力関係があった」「イエズス会が日本人奴隷を国外に連れていっていることを知った豊臣秀吉がイエズス会に抗議した」という史実が残っている中、弥助が奴隷だったと考えない方が難しい。弥助が自由人として来日したという証拠があって初めて、弥助は宣教師に”雇われた”ボディガードと言えるのでは?
信長の刀持ちをすることもあったというような記述は残っていても、刀を持たせてもらったからと言って、”戦士”なのかといえば、微妙。そもそも渡されたものは、短剣だとされている。 ここで考えてみたいのがともに出自がはっきりしない、信長のお気に入り、豊臣秀吉との比較。秀吉が急速な出世をするにあたって必要になったのがそれに相応しい苗字であり、”木下”や”羽柴”、そして”豊臣”と変えている。 一方、弥助は?というと、信長が弥助という名前を与えた際に、住宅等も与えるほど高待遇だったようだが、そのような中でも苗字は与えていなかった。これはあくまで私の推測の域を出ないが、信長のお気に入りには違いない2人だが、弥助と秀吉では、信長が期待する各自の役割が違ったのでは?
イエズス会の宣教師が信長に会う目的は、布教拡大のための協力を得ること以外にあり得ない。なぜなら、それがイエズス会がわざわざ危険な航海に出てまでも来日した目的だから。ここはポリコレ的に大きな修正点ではないと思われがちだが、ポリコレの狙いを理解するためには、彼らが”本当に隠したいこと”を見落とさないのがポイントで、それゆえに、この小さな修正点も気になって仕方がない。あくまでも憶測の域を出ないのだが、布教活動や改宗と、植民地拡大や奴隷確保が密接なつながりがあることを隠したいのでは?という気がしてならない。
戦国時代に、衆道があったのは事実で、森蘭丸は信長とそういう関係になったという話はある。だからと言って、弥助がLGBTQだった記録はないし、織田信長(戦国武将)の衆道から、「弥助も侍ならばLGBTQ」みたいな考え方をしているのであれば、乱暴すぎてびっくり。何よりも、恋愛に対するさまざまな制限から生じた衆道を、自由恋愛が認められている現代で行えば犯罪となるが、そんな衆道をLGBTQに繋げて大丈夫?
改めて、トーマス・ロックリーの問題点
繰り返しになりますが、戦国時代の実在の人物を主人公としたクリエイティブな作品だと謳っているなら全く問題のない話です。信長と弥助と仲良く・・・な話でも、そこに蘭丸も登場するようなファンタジーでも、ご自由にどうぞ。しかし、問題は、彼が大学で担当している教科が歴史で、”国際的視野に立った日本史を主に扱う”と公言した上で、実話として、上記のストーリーを拡散していることです。今回の件で、たくさんの批判を受けたトーマス・ロックリーは、「自分はゲームとは関係ない」とした上で、SNSアカウントをクローズして逃亡中とのことでしたが、トーマス・ロックリーに対する批判というのは、ゲームコンテンツのみではなく、ドラマや映画の元になった史実にはない”弥助像”。学者であり、史実として論文を出しているわけですから、それが誤りではないということを、論文で対抗するか、もしくは誤りを受け入れ、訂正する必要があるのではないでしょうか。
まあ、しないでしょうね。というのも、そもそも彼の学説っぽいものがその地位を得るためにやってきたことが、すごいのです。ストーリーの根拠はWikipediaで、Wikipedia記事の根拠は彼のストーリーという、手の込んだ”創作活動”を行っている疑惑出ています(ネット上では、Wikipediaの執筆も本人だと確定されているようです)。この辺は、新聞社が出した記事を、その新聞社のお金も入って設立されたファクトチェッカーが事実認定しているスキームと同じかと思います。ただ、彼の場合、一人でセコセコ取り組んでいたというだけ。今までバレなかったのは、それは残念ながら弥助の知名度かと思います。日本人が誰も気にしていない間に、びっくりするような誤報が広くばら撒かれていたわけです。そう考えると、日本人にとっては、ある意味、このゲームソフトが発売されたことで気が付けて良かったということなのかもしれません。
ポリコレによる歴史捏造に活用される危険性
先ほど、弥助が”侍”かどうか、”ウォーリア”と呼ばれるような活躍をしたのかどうか?という点について疑問があると述べました。しかし、これが誤報だったとしても、日本の歴史以外には大きな影響がないことかと思います(これだって、決して小さな問題ではありませんが)。問題は、もっと小さな嘘。あたかも・・・
黒人奴隷は日本の戦国時代に生まれたもので、白人は関与してませんよ。
と、勘違いが生じるような小さな嘘の積み重ねです。実は、このトーマス・ロックリーはインタビューや自らのSNSを通じて、いろいろヤバい発言をしているようなのです(本人が削除できるものは、削除されたもよう)。
英語と日本語で、都合よく史実を変える
現在もウェブ上に残っているトーマス・ロックリーのインタビュー記事をいくつかみてみました。最初に英語記事を読んでいたのですが、トーマス・ロックリーは、「弥助は、奴隷経験があるかもしれないが、インドから日本に来た時点では、宣教師が雇った自由人だった」という点を強調しているところにまずは驚きました。トーマス・ロックリー自身の言葉では、取材に対して、下記のように回答しています。
日本に来る前の弥助の記録は、一切残っていません。であるならば、ポルトガルの奴隷貿易には、モザンピークから連れ去った黒人奴隷をインドに送るルートがあったため、奴隷としてインドに連れてこられた黒人が、ポルトガル船で日本に来た、と考える方が自然ではないでしょうか。
また、「当時の日本は残酷な内戦の世紀真っ只中にあったため・・・」って、戦国時代は確かに残酷な時代ですが、ヨーロッパ諸国は他国に出向いてもっと残酷なことをしていましたよね?・・・っていうのは置いといて、次は弥助の元々の身分について触れられた日本語記事によると・・・
”元々奴隷の身分””自由な身分ではありませんでした”とはっきり述べているし、さらに、”宣教師から信長に献上”という”モノ”扱いされていることからも、名実共に弥助は奴隷だったとトーマス・ロックリーは語っています。しかも、彼の物語について、前提として”強制移住させられた人々”とはっきり言っています。
トーマス・ロックリーの問題点は、日本に関する英語と日本語の記事で、全然別のことを言っていることです。
さらに”一人ひとりの物語がある”と、通常では注目を浴びない人にスポットライトを当てたかのような話ぶりですが、英語版のタイトル(”African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”)には、”伝説の”という言葉が入っていますし、タイム誌のインタビューでも・・
弥助は、”日本の歴史を変えたと思われていたし、そのように思われている”人物となっています。え!?どこの国の日本史!?
弥助が信長の首を敵に渡さないように工作したとすれば、外国人である弥助が3年間という短い間に、主君に対する忠義を理解していたという驚きがあり、ここは強調されるべきだとは思います。私も、この”弥助・信長の首、持ち出した説”の支持者です。
とはいえ、仮に、信長の首が明智光秀の手に渡ったとしても、当時の秀吉の手にかかれば、”三日天下”という結果は変わらなかったのではないでしょうか。
しかし、国際的な視点から日本史を教えているという、トーマス・ロックリーによれば、信長の首があれば、明智光秀が日本統一を成し遂げることができたということになります。個人的に、それはちょっと秀吉を過小評価しすぎじゃない?と思うのですが。
何はともあれ、トーマス・ロックリーという人物は、史実に基づいたストーリーを語っているにも関わらず、日本語と英語で全く真逆のことを言う傾向にあるようです。・・・これって、実は、日本人はかなりやられています。日本人は英語記事にアクセスできないとでも思われているのでしょうか。トーマス・ロックリーは、日本人に対して、英語教育を行なっていた経験があるだけに、かなり不誠実だと思います。
日本史捏造により得するのは誰?
そして、この件をいろいろ見始めてから、何だか嫌な感じを受けるのが、アメリカでリベラルを名乗る人たちがやっている歴史や文化の捏造と同じ匂いがすること。(この匂いについては、私の過去記事のハーバードVSアジア人学生あたりを読んでいた抱けると、共感していただけるのではないかと思います)。
トーマス・ロックリーがやろうとしていることは、黒人へのリスペクトを装った、アジア落としで、自分たちの歴史を白くしようとするポリコレ!?
ポリコレが、黒人やLGBTQ等をサポートするために、手段を問わず、あれこれやっているということは広く知られているかと思います。しかし、その目的は、多様性等では全くなく、よくわからない介入をすることにより、これまではなかった(小さかった)対立を深めたり、何か利権が絡んでいたりすることにあるのでは?という認識がアメリカでは結構広がってきているように感じます。先日のトランプ大統領暗殺未遂テロ事件に関しても、行きすぎたポリコレが原因という指摘も出てきています。
そのようなアメリカにいる私がなんか匂うな・・・と思うことです。
さて、読んでみたいけど、絶対に購入したくはない、トーマス・ロックリーの著書。その問題箇所の記載がある写真をアップしてくださった方がいらっしゃいました。
向かって右ページの最後から3行目。「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった」。当時、弥助以外の黒人がいたという記録はあるものの、”アフリカ人奴隷が流行った”って、どういう資料に書いてあったのでしょうか?自分の書いた Wikipedia記事なのでしょうか?
アフリカ人奴隷が本当に流行っていたとしたら、信長の後を継いだ秀吉は、なぜ彼らを連れてきてくれるはずのキリスト教の普及を禁止し、ポルトガル船の出入りを制限したのでしょうか?
当時の技術を鑑みて、日本が単独で奴隷船を造船・運航した?なんてことも考えられないですし、仮にポルトガルから購入したとすれば、そのような記述が必ず日本とポルトガルの双方に残っているはずです。
また、これまでのトーマス・ロックリーの様々な発言からすると、”流行りの黒人奴隷であり、日本の歴史を変えるような武勲を挙げた、伝説の侍・弥助”を、秀吉はなぜ自分の家臣として迎えなかった(もしくは、処刑しなかった)のでしょうか?統一したとはいえ、そんな偉大な人物を野放しにできるほど、安定した世の中ではなかったはず。それに苦戦していた朝鮮出兵に、トーマス・ロックリーのいう”伝説の侍”を派遣していれば、それこそ日本の歴史が変わっていたかもしれません。
秀吉が弥助を見つけることができなかったから?
秀吉は、日本中の人々から刀を取り上げた人です。刀狩りができた秀吉に、一際めだつ弥助を探せなかった原因はなんでしょう?探さなかったんじゃないですか。
彼の発言をまともに受けていたら、いろいろな点で、♪教〜え〜て、トお〜マス🎵なのですが、日英の記事で語り分けている事柄からなんとなく漂う嫌な予感が”黒人奴隷って日本の戦国時代が起源でしょ?”説への舵きりです。
そんなバカなことが世界に広まるわけがない!なのですが、そんなあり得ないことが広まってしまって歴史的な事実になってしまった件がいくつかありますよね?
書籍出版や、ドラマ化等から得るお金?准教授、研究者としての地位?それもあるかもしれません。でも、それだけではないかもしれません。
彼の目的はなんだろう?と、モヤモヤ考えていた時に、このモヤモヤがスゥーッと消えたような気がした瞬間がありました。それはトーマス・ロックリーと”難民”とのつながりについてたまたま知ったとき。先ほどから引用させていただいているインタビュー記事、実は、取材元が難民支援協会のものだったのです。
JARがどのような団体か存じ上げないので、この団体についてどうのこうの申し上げるつもりは全くありません。ただ、”難民支援”って、すごくタイムリーなキーワードではないですか?トーマス・ロックリー自身はイギリス生まれですが、彼の祖母が第二次世界大戦中にドイツからイギリスに渡った難民だったそうです。そのあたりは、リンク先の記事にありますので、気になる方は元記事をぜひ。
ここからは独り言です。
何はともあれ、岸田政権になってからの難民政策って、明らかにいろいろおかしいですよね?岸田政権には、ランボーというニックネームを持つ、駐日大使・エマニュエル氏の存在がチラチラ・・・。LGBTQ法案の際にも、この大使、張り切ってましたもんね。バイデン政権下のアメリカがどれくらいおかしなことになっているかは、いろいろな件を取り上げてますので、お時間がある時に、過去記事を見ていただけたら幸いです。記事を読む時間のない方のために、過去記事のポイントを一言でまとめると、ポリコレは利権問題。善意で動いている人もいますが、善人を動かしているバックには必ず儲かっている人たちがいます。
確固たるものがないので、これだ!というのが言えないのですが、”匂い”がちょっとでも伝わってくれたら・・・。
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