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アジア系は学業成績は良いが人格に問題あり!?:ハーバード大VSアジア系受験生❶

日本人が知るべきアメリカの現状

アファーマティブ・アクションのインチキを暴く裁判

ハーバード大学をはじめとするアイビーリーグへの留学を希望している、在米日本人の方に、学業成績そのままで入学できるテクニックをお教えします。それは・・・。

ハーバード卒の両親の元に生まれてくるか、アジア系であることを辞めて、黒人かヒスパニックになることか、日本政府に大学へ多額の寄付をしてもらうことです!

最後の寄付元を”日本政府”としたのは、ジョークですが(日本政府の寄付でアメリカの大学に入った日本人も、もしかしたらいるかもしれませんが)、それ以外の部分は事実であると、現在行われているハーバード大学とノースカロライナ大学 VS スチューデンツ・フォー・フェア・アドミッションズ(SFFA)の裁判で明らかにされました。

アファーマティブ・アクション(*次の章で詳細)や、学生のダイバーシティ(多様性)を理由に、高得点を取ったアジア人学生は入学できない憂き目にあっているということは以前から言われていることでした。裁判としても、もう40年くらい争われていることです。しかも、昨年までは、フェアな入試を求めるアジア系学生の方が裁判に負けるという・・・法の元の平等はいずこへ?というのがアメリカの現状でした。

その根拠となっているのが、画期的な判決と言われた、”グラッター対ボリンジャー裁判”。最終的には、大学における多様性を促進するために人種を考慮した入学政策を用いることを、最高裁が部分的に認めてしまっていました。

今回の裁判は、この最高裁判決を覆し、40年間以上続けられてきたアジア系差別が撤廃されるかかどうか?という大切なものになっています。

アジア系学生がなぜ不当な扱いを受けているのか?

なぜ、そんなアジア人差別が罷り通っているのかと言えば、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が背景にあるからです。例に漏れず、これもまた、米国共産主義者の仕業。歴史的に差別を受けていた黒人、ヒスパニック、ネイティブアメリカンの人を積極的に差別をする(優遇する)ことで、過去の差別によって生じていた格差を無くしていこうというものです。このコンセプトだけ見ると、良いことのような印象を受けます。

しかし、重要なのは、誰かを優遇するということは、優遇されない誰かに損失を与えるということが現実には起きてしまうということです。

ハーバード大学の入学試験では、学業成績(高校の成績と共通テスト)、課外活動の評価、人物(性格)評価で合否が決められていると言います。問題になっているのは、このうち曖昧度の高い人物評価。この人物評価が行われる過程で、特定の人種については、アファーマティブ・アクションによる加点が行われるのです。大学側の言い分としては・・・。

アジア系受験者を差別はしていない。黒人とヒスパニック受験者を優遇しただけ。

これまでの裁判でも、この事実は認められています。

この裁判の被告となっているハーバード大学とノースカロライナ大学は氷山の1角です。過去にもアイビーリーグを中心にさまざまな大学が訴えられてきたものの、アファーマティブ・アクションという謎の正義の下に、アジア系に対する差別が正々堂々と行われてきたのです。

ハーバード大学の入学プロセスに見られる人種考慮

受験者データに見られるアジア系差別

”アメリカにおけるアジア系住民”については日本ではほとんど知られていませんので、「そんなこと言っても、そんなことは、落ちたアジア系学生の被害妄想じゃないの?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。ハーバード大学の過去数年間の入学者データについて、統計学的な検討をした結果:


入学したヒスパニックの3分の1以上
入学したアフリカ系アメリカ人の半分以上を含む、
ハーバード大の入学者の少なくとも10%は、
人種に配慮した入学プロセスがなければ、入学できなかった可能性が高い」。

ということがわかっています。ハーバード大入学者の10%がアファーマティブ・アクションにより合格できたということは、入学者の10%は人種を理由に入学ができなかったということになります。

では、この人種を理由に入学できない10%は誰なのか?それがアジア系アメリカ人であるというのが、SFFAの訴えなのです。なぜなら、ハーバード大学の入学プロセスで審査される、学業成績、課外活動、そして、人物(性格)評価の中で、人物評価以外の全てをアジア系受験者の評価平均が人種間比較でトップであるにもかかわらず、人物評価だけが最下位となっているからです。

さらに、別のデータは、この人物評価が入試プロセスの中でかなり高いウエイトを占めていることを示しています。

「個人評価1または2を受けた志願者は全体の20%未満だが、
入学者全体の80%近くを占めている」。

「ハーバードの入試担当者は、志願者を採点するとき、最初の入試を決定するとき、そして入学可能者を絞り込むときに、人種を考慮している。人種による評価は、ハーバードの入試プロセスのすべての段階に入り込んでいる」という指摘があります。この点についても、今回、重視されています。

大学側がこれまで強気な態度をとっていたのは、フィッシャーVSテキサス大学オースティン校の裁判で、入試プロセスの中で人種を考慮することを一部容認する判決を最高裁が出していたからです。しかし、テキサス大学オースティン校が人種を考慮していたのは「"Personal Achievement Score (個人達成度スコア)"を計算する際の1段階のみ」であり、ハーバード大学の対応は、最高裁が容認したテキサス大の人種考慮をはるかに超えています

勉強や課外活動は優れていても、アジア系は性格に難あり!?

アジア系学生の評価が極端に悪いという人物評価(性格、個人)とはどのようなものでしょうか?
ハーバード大では「誠実さ、思いやり、勇気、優しさ、不屈の精神、共感、自信、リーダーシップ能力、成熟度、気概」といった無形の資質を把握するために、人物評価を行なっているとされています。もし、大学側がアジア系学生に差別的な評価は行なっていないというのなら・・・。

アジア系受験者は成績が極めて良く、課外活動も熱心だが、
とにかく性格が悪いために、大学に合格できない。

ということになります。

そもそも会ったこともない学生の、誠実さや思いやりなんて、どうやって評価するのでしょうか?
学校からの推薦状や論文、受験生の地元にいるハーバード卒業生による面接評価等から、点数がつけられると言います。その結果・・・

  1. 同じ学力レベルであるならば、アジア人の人物評価スコアは常に最低

  2. 受験者の学力上位10%でかつ人物評価スコアが高い割合は:

    • アジア系:21%

    • 白人:29%

    • 黒人:43%

    • ヒスパニック:33%

  3. 受験者の学力下位10%でかつ人物評価スコアが高い割合は、どの人種も8〜9%

つまり、ハーバード大学受験者の上位10%に入るほどの、高い学力を持つアジア系受験者のうち79%は「誠実さ、思いやり、勇気、優しさ、不屈の精神、共感、自信、リーダーシップ能力、成熟度、気概」といった点で優れた資質を持っていない。と、ハーバード大学が考えているということです。

もっとおかしいのは、別のデータです。

  • ハーバード卒業生による人物評価では、アジア系と白人は同等であり、黒人とヒスパニックよりも良いスコアになっている

しかし、卒業生による評価はあくまでも参考資料の1つでしかなく、決定権を握っているのは、ハーバードの入試課。卒業生や高校のカウンセラーがどのような評価を行なっていても、最終的には入試課が行う評価で決まるといいます。

つまり、受験生と実際に会った、そして、時期が違えば同級生だったかもしれないハーバード大の卒業生が「優れている」と評価した学生であっても、同大入試課からみれば、イマイチだったというわけです。卒業すれば、就職に最強の切符を手に入れることができる世界的な最高学府は、ビジネス界のリーダーをたくさん生み出しています。しかし、ハーバード大入試課の態度を見ていると、この大学では人間を見る目は養われない・・・と、少なくとも同大は考えているということなのでしょう。

さらに、他でもない、ハーバード大において、この考えが全くおかしいことになるのは、同大はレガシー入学(卒業生の子どもを優先的に入学させる)制度があることです。レガシー入学をはじめとする特別入学枠は、ALDC(アスリート・レガシー・学長(寄付者)リスト・職員の子ども)と言われ、ハーバード大学の白人学生の43%はこのALDCにより入学できたと言います。レガシー入学の正当性として、同大は「卒業生の子どもであれば、厳しいハーバードの学業研鑽に耐えうると考えられる・・・」というようなことを主張していました。”卒業生”に対する絶大な信頼があるのか、ないのか・・・一貫性のなさが、左翼あるあるとはいえすごいです。

人物評価に人種グループごとのスコア差が開くことは可能か?

個人的には・・・この人物評価で、人種グループごとのスコア差が開くということ自体が本当にあり得ることなのか・・・理解できていません。

もし、特定のグループに性格の違いが生じるようなことがあるのであれば、考えられるのは家庭教育による影響かと思います。
例えば、日本人家庭では、”悪いことをしたら謝る””嘘をついてはいけない””お友達には優しく”等を小さな頃から、しっかりと伝えていく傾向にありますが、この中に”リーダーシップ”というのは、含んでいない家庭が多いのではないでしょうか。そのため、日本人の評価として、”お財布を落としても戻ってくる確率の高い国”ただし、”強いリーダーシップを発揮できる人はあまり多くない国”のような評価をされるのでしたら、「まあ、そういう傾向はあるかもね」とも思えます。

しかし、ハーバード大の人物評価項目には、当然ながら一般的に相反する気質が含まれています。例えば、”優しさ”や”共感”は、時に”リーダーシップ”とぶつかります。大きな決断をしなければならないときに、その決断により不利益を被る人に共感したり、思いやってしまうと決断が鈍ってしまうこともあるからです。
もちろん、優しく、共感度も高いのに、リーダーシップ能力もかなり高いという人物もいると思います。しかし、大学に入学しようとする青年に求めることは、なかなか難しいことで、全てにおいて優れているというのは少数派だと思います。同時に、「誠実さ、思いやり、勇気、優しさ、不屈の精神、共感、自信、リーダーシップ能力、成熟度、気概」の全てで劣っている人物も少数派だと思います。

ここで先ほどのハーバード大学のデータに戻ると、評価対象となっているのは、ハーバード大学受験者の上位10%に入るほどの、高い学力を持つ受験者です。その中の学力レベルに所属する、アジア系受験者のうち79%は「誠実さ、思いやり、勇気、優しさ、不屈の精神、共感、自信、リーダーシップ能力、成熟度、気概」といった点で優れた資質を持っていないという評価を受けているのです。
”一般的には、学業成績や課外活動が優秀な人は、人物評価も良い傾向にある”という前提を述べた上で、アジア系学生の評価が最低となっている理由について問う判事もいましたが、それに対する明確な答えはなかったようです。

その明確な答えの代わりに投入されたのが”ダイバーシティ(多様性)”。”アファーマティブ・アクション”に続く、共産主義者たちのの正義として使われているコンセプトの1つです。この裁判で議論される、ダイバーシティの重要性については次回検討させていただきます。

アジア系受験者の学業成績や課外活動の評価が高い背景

「おいおい、さっきは『人種グループごとに人物評価の極端なスコア差が出るわけがない』っていったばかりなのに、『アジア系受験者の学業成績や課外活動の評価が高いことは肯定するのか?』と、思う方もいらっしゃるかと思いますが、こちらはあり得る話です。というよりも、「アジア系はスコアが高くて当然」と考えているのは、むしろ、アジア系以外の人の傾向の方が強いかもしれません。

ハーバード大学を受ける学生の学業成績を、人種別に見ると、最も優秀なのがアジア系、続いて、白人となっているそうです。この傾向は、ハーバード大学を受験する学生のみではありません。アメリカ(テキサス)では、小学校の頃から、成績がA(成績が90点以上)、B(おそらく80点以上)以上を獲得すると、就業式で”オールA””オールAかB”という賞をみんなの前でもらえます。・・・というと、びっくりされる方もいらっしゃるかもしれませんが、アメリカの学校のいいところは、この就業式で全ての子どもが何らかの賞をもらえることです。この就業式を見ていると、感覚的なものとなりますが、アジア系のお子さんの成績が良いのは事実ですし、課外活動を頑張っている子も多いのも事実です。では、他の人種のお子さんがどうか?といえば、ここでしっかりと言及したいのは、優遇措置が取られている黒人やヒスパニックのお子さんにも、オールAをもらう子はたくさんいるし、課外活動を頑張っている子もたくさんいるということです。

それでは、人種の差がないのかと言えば・・・1つ事実として言えそうなのは、アジア系のお子さんで、オールAまたはオールA・Bを取れない子はあまり見かけないということです。アジア系の子どもやその保護者には、変なプレッシャーがかけられています。

”アジア系なら学業優秀で当然だし、特に理数系が得意”。

このステレオタイプがどれくらい酷いか?といえば、「アジア系の脳みそのつくりは違うから(成績がよくて当然)」と、平然と言われてしまった人もいるくらい。アジア系学生の学業成績が良いこと、理数系が得意なことは事実ですが、それはあくまで子どもたち自身が努力した結果です。そして、それを支える根拠として、”アジアの家庭教育が一般的にアメリカよりも厳しめである”という背景があります。いえ、アジアで教育を受け、アメリカで子どもたちの教育を見守る立場としては・・・。

いやいやいや、アメリカの教育が緩すぎるんでしょ!?

というところなのですが。在米ロシア人の友人にも、アメリカでの教育に不安を感じる人はいました。なぜこんなことになっているのか?と言えば、これもアファーマティブ・アクションの弊害です。勉強が苦手な子どもの能力を引き上げてあげるのではなく、苦手な子がクリアできるようなレベルに下げていった結果が、驚くほど緩い学校教育になった原因だと思います。

(1)とにかく緩い学校教育 【緩くて、厳しい!?アメリカ(テキサス)のスクールライフ】

アジア系移民の中には、”タイガーマム”と言われるような超厳しい教育ママもいるようです。実際、今回の裁判をめぐる議論の中には、アジア系受験者が保護者の収入の低さにも関わらず、優秀な成績を収めている事実についても触れられていました。アジアからの移民の中には、貧困から抜け出すために次世代の教育に全力を捧げるという人が少なくないと言われています。

とはいえ、大抵のアジア系家庭の場合、自分の出身国の教育水準に比べれば、そこまで厳しくはしていないのではないかと思います。
例えば、我が家のケースでは、”2、3桁の四則演算は、電卓ではなく、自分で計算するように促す”ような”厳しい教育”はしていました。これを厳しいというなら、ですが。なぜ電卓を使わせたくないかといえば、MBAを出ていても、数字的センスが恐ろしくない人に、何度も出会ったことがあるからです。数字的な感覚を養うためには、苦手であっても、嫌いであっても、ドリルしかないと思います。

このような感じで、アジア系アメリカ住民は、自分の受けた教育をもとに、子どもたちにアドバイスを重ねているつもりが、自然とアメリカでは”厳しい教育”になってしまうのではないかと思います。

また、アジア系学生をめぐっては、課外活動にもステレオタイプがあります。アジア人なら、例えば・・・

  • 楽器の演奏ができる

  • 水泳ができる

  • テニスができる・・・等々

子どもたちも「アジア系だから成績が良くて当然」以外にも、「アジア系なんだから、楽器できるでしょ?」と言われたことが何度もあるそうです。実際、ピアノが弾けますので、ステレオタイプではないとも言えるのですが、彼らがピアノが弾けるのは、アジア系だからではなく、自ら練習したからです。
このようにアジア系で括られたステレオタイプにより、子どもたちの努力が全て人種的な優位性のようなものに置き換えられてしまうのが現在のアメリカなのです。(ちなみにこの”ピアノが弾ける”も、とてもとても日本では同じセリフが言えないレベルです)。

学業成績や課外活動の評価については、両親の出身国での教育のトレンドや習慣が影響しているように思います。とはいえ、この分野でも、アジアと一括りにして、傾向について語ること自体には違和感があります。私がこの章を書くにあたり、頭にあったアジア系とは主に、東アジアあたりです。というのも、ステレオタイプのもとになっているアジア系がこの辺りの人をさすからです。

実のところ、私は長い間、この人種区分について疑問を持っています。長くなりますので、別の機会に・・・と思いますが、例えば、インド人は所属する地域から、アジア系グループに入っているようですが、コーカソイド系という点では、白人と同じコケージャングループ、肌の色で見れば、ブラックかブラウン(*ヒスパニックはブラウンと表現されることも)になるかと思います。どういう根拠で今の人種区分がさまざまな場面で使われているのかわからないのですが、この区分で何か分析することにどれくらい意味があるのか?ということについては、いつもわからずにいます。

この人種区分問題についても、改めてまとめてみたいと思うのですが、”多様性”をめぐるインチキについて、次回はシェアさせていただきたいと思います。

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