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ボキャブラリーという名の引き出し

自己満足で終わらないように


いやはや気が付けば、2023年も終わってしまいますね。ご無沙汰しておりました。受験生の息子の志望校選びで学校見学やらで、あっという間に12月になっていました。マイペースで投稿を再開します。

ご縁があってか、最近は翻訳や通訳をする機会が増えてきた。すごくやりがいを感じる反面、「どういう言い回しをすれば、わかりやすいんだろうか」という思いが常に頭をよぎる。読み手もしくは聞き手にわかりやすく伝わらなければ、ただの自己満足になってしまう。場合によっては、読み手もしくは聞き手にとっては、受け取りたくないような迷惑な代物になってしまう。通訳の場合だと目の前の相手にとって、翻訳の場合だと文書の読み手にすんなりと伝わらなければ、お互いモヤモヤが残ってしまう。

ボキャブラリーという言葉の引き出し

わたしの周りには、目をつぶっていると「あれ、この人、日本人なのかな?」というくらい、外国人で日本語が流暢な人もいる。それとは逆に、日本人で「そうか、こう伝えた方がわかりやすい」というような英語のレベルが上の人もいる。そういう人の共通点を見ていると、「母国語でのボキャブラリーが豊富な人、言い換えれば言葉の引き出しがたくさんある人」なのだ。

努力を積み重ねて、第二外国語の理解力を深めることは大事。それと同じくらいに母国語のボキャブラリーという引き出しが沢山あるかないかで、細やかな表現を説明する時に差がついてくる。学生時代にとある講師から言われた、「英語でも他の外国語でも、沢山の単語や言い回しを知っていることはプラスになる。それと同じくらい母国語の引き出し、つまりボキャブラリーが豊富な方が、TPOをわきまえた言い回しが出来る。」というアドバイスは、何十年経った今でも役に立っている。

通訳をやっていると、相手の反応が手に取るようにわかる時がある。「すいません、今の説明だとよくわからないんで、分かりやすく説明してください」と質問されることもあれば、表情や態度に出る時もある。翻訳の場合だとフィードバックという形で自分に返ってくる。
敬語は避けて通れないし、ことわざを使ったものの例えもよく出てくる。どうやってレベルアップ出来るのかなと考えてみると、食わず嫌いをせずに出来るだけ多くの分野の情報に目を向けることが大事なのだ。下準備ともいえるこの地味な作業は、つまらないし華やかなこととは無縁だ。

下準備と高揚感

下準備という言葉は、下ごしらえともいえる。料理を例に出すと、手間がかかる料理であるほど、下ごしらえは欠かせない。下ごしらえを怠らずに作った料理は工程がスムースで無駄なことに時間を取られない。出来上がった料理は美味しく見栄えも良い。逆に行き当たりばったりで下ごしらえを怠った料理は、バタバタと慌ただしく無駄に時間がかかり、味も見栄えも良くないパターンを多く見る。翻訳や通訳でも下準備がきちんと出来ているものは、無駄なことに時間を取られることなく仕事を完了出来る。そして読み手もしくは聞き手にもモヤモヤが少ない。

通訳をやっていると一度口から出たら取り戻せないし、翻訳は依頼先である上司に出した時点で記録として残る。
下準備という地味な作業と、ボキャブラリーの引き出しを増やすことは連動している。この連動がピタッと当てはまった時は、思わず心の中でガッツポーズを取ってしまう。「これって本当に必要なのかな?」と疑心暗鬼を生じるような下準備は無駄じゃなかった、やって良かった!高揚感が頭に、心に広がるのを感じる。地味な下準備を続けるのは、高揚感をまた感じたいというモチベーションゆえだ。それゆえ、ボキャブラリーという引き出しを増やすことに終わりはない。







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