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35歳のおじさんがプロダンサーになるまで2nd season⑤〜ダンス出会い編Ⅴ〜

22歳。
初めてロックダンスのチームを組んだ。

メンバーは大阪から帰ってきたコーシンさん。
当時よく一緒に動いてくれていたダイスケさん。
そして、私。

コーシンさんは、さすが大阪でダンスを習ってきただけあって、ダントツに上手かった。
ダイスケさんは、なんか黒人みたいなノリがある不思議な人だった。

あと、コーシンさんは全然練習しない人だった。
あっという間にフリを覚えてサッサと帰り、でも本番はバッチリ決める天才全開な人で、うらやましかった。

「ちゃんとダンス続けていれば」と思うともったいない。
でも、センスがある人に限って、別の選択肢を選ぶのは世の常だ。

逆を言えば、飽きずに同じモノを選択し続けられることも、ひとつのセンスと呼べるのかもしれないと今なら思える。

いろいろな場所でショーケースをした記憶があるが、実はもうほとんど思い出せない。

ダンスに本気で取り組んだというよりは、練習でもショーケースでも、ダンスを本当に楽しんでいたことはハッキリ覚えている。

レッスンもほとんど無ければ、バトルもコンテストも無い。
無いものが多い代わりに、純粋にダンスを楽しむ気持ちというのは、常に近くにあった。

この時期、もう一つ大きな出会いがあった。

残念ながら若くしてお亡くなりになってしまったが、萩のよしろーさんと『mixi』で繋がり、一緒に練習することになった。
待ち合わせの場所は、萩の田町商店街だった。

そこにハタさんがいた。

ハタさんは、初代『Be Bop Crew Gang』として、若かりし頃に博多でダンス修行をしていた、いまも良くしてくださる山口の大先輩だ。
(ただしその日、ハタさんはかなり酔っていて、ほとんど踊っていなかった。)

以前は山口市でレッスンやイベントをよくされていて、私も島根からよく行っていた。

東京の有名イベント『SOUL STREET』が山口で一度開催された事があったが、ここにもハタさんが関わっている。
ハタさんも含めたあの時の『Be Bop Crew』のショーケースは最高だった。
私は最前列でかぶりついて観ていた。

そんな出会いを重ねながら時は経ち、24歳になった私は、転勤で出雲に移り住むことになった。

【未来の自分から一言】
ダンスを始めてから、数えきれないぐらい本当にたくさんの人達と出会うようになったね。
みんな元気でやってるのかな?
出雲では5年間暮らすよ。
そこでキミは、色々な出来事を経て成長する。
諦めずに一歩ずつ。

《ダンス成長編Ⅰ》へ続く…

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