35歳のおじさんがプロダンサーになるまで2nd season⑥〜ダンス成長編Ⅰ〜
24歳。
転勤で出雲に移り住んだ。
出雲ではヨウジさんのロックダンスのレッスンがあった。
主なメンバーは、
後に結婚することになるメグちゃん
変態的練習量を誇るカイくん
よく3人でレッスン後に出雲市駅で練習していた。
それと、
大阪でWaackerとして大活躍しているアヤノちゃん
広島を代表するオールマイティダンサーMITOくん
なんかと知り合ったのも、この辺の時期だ。
(仲良く話すようになるのは、もっともっと後。)
この時期、私がバトルに挑戦し続けるきっかけとなったイベントがある。
『ROUTE』という山陰では有名なバトルイベントで、ジャッジ陣はいつも豪華だった。
この時はたしか、岡山の『ADETOO』のみなさんや、大阪のYUKARIさんがジャッジをされていた。
そこでなんと、ダンスを始めたばかりのカイくんが、ベスト4に入ったのだ。
これは当時、本当にすごい快挙だった。
私はというと、いまも尊敬する山陰の先輩シゲさんに1回戦で負けた。
ちなみにメグちゃんも1回戦で負けていた。
いつも一緒に練習していて、しかもダンスを始めたばかりのカイくんがベスト4に上がり、一方の私は何もできずに初戦敗退。
めちゃくちゃ悔しかった。
負けるというのは本当に良いことで、人間が1番分かりやすく頑張れるきっかけなのではと思う。
それまでろくに基礎練習をせず、緩い練習を続けていた私だったが、一転して毎日毎日、何時間もアイソレーションやアップダウンといった基礎練習をするようになった。
とにかくバトルで勝ちたかった。
いま振り返ると、この考えが自分に合ってなかった。
焦りを生んで完全にスランプになったのだ。
(結局、30歳までスランプから抜け出せなかった。20代はそういう意味で、とても長いトンネルの中にいた。)
いま思えば、練習内容もツッコミどころ満載。
ふつう1時間もやれば十分な基礎練習を3〜4時間、毎日仕事終わりに深夜までやっていた。
それで疲れ果てて、それ以外の練習は全くやっていなかった。
基礎はもちろん大事だか、やるべき事はまだまだある。
いまでこそ、その時培ったものが役立っているが、圧倒的な遠回りだった。
まったく思うように踊れないし、むしろ下手になっていってる気さえしていた。
いろいろな人のレッスンを受けてみたが、「何か」がハマってない。
しかもその「何か」の正体がハッキリ分からない。
そんなモヤモヤとした日々が続いていた。
その時期、さらに焦りを加速させる出来事が起こる。
当時20歳だったメグちゃんのダンスが、一気に開花したのだ。
大阪に一度レッスンを受けに行って、帰ってきたら別人になっていた。
そんなこと普通起きるのかと思うが、目の前にいる本人の踊りが別人のようにかっこよくなっているから、夢ではなかった。
そこからメグちゃんの快進撃が始まった。
【未来の自分から一言】
本当に苦しい時期が始まったね。
自分のダンスにいつも落ち込んでたね。
でも大丈夫。
ネガティブな気持ちですらエネルギーに変えて、ポジティブにさせてくれるのがダンス。
今はまだ、充電の時。
☞《ダンス成長編Ⅱ》へ続く…
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