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35歳のおじさんがプロダンサーになるまで2nd season⑧〜ダンス成長編Ⅲ〜

これから書く話は、この『おじプロ(長いので省略)』を執筆する中で、

「最も書きたかった」

「最も知ってもらいたかった」

そんな話の1つです。

私の文章能力でどこまでお伝えできるかわかりませんが、
一生懸命書きますので、どうか最後までお付き合いください。

時は2009年。
25歳になった私は絶賛、仕事とダンスに悩みながら日々を過ごしていた。

その日は出雲の『アポロ』というライブハウスで、ダンスショーケース込みのDJイベントがあり、私はそこに足を運んだ。

当時住んでいた場所から歩いて5分と近かったこともあるが、それよりもこの日のショーケースが気になっていた。

女性ダンサーのコダさんが、約1年ぶりにショーをするのだ。

コダさんは私より2歳年上で、挨拶程度の会話をする仲だった。
1年前までは、出雲でイベントがあれば必ずといって良いほどショー出演していたコダさんだが、急にパタリと出なくなった。

それが今回、久々に出演するということで、なんとなく気になっていた。

そして、ショーが始まった。
コダさんと一緒に踊っている相方は、1年前と同じ女性だった。

着物をリメイクしたような衣装に、ベリーショートの髪型。
アジアンビューティーのような印象を受け、衣装からも力強い気合いを感じた。

コダさんが踊りだした。
jazzをベースにしたようなダンスだった。

…………。

気付けば私は、完全に言葉を失っていた。

もう、1年前とは別人も別人。
なにもかもが別次元。

圧倒的なダンスだった。

コダさんが踊るたびに、体から波のような「何か」が広がって、会場を包み込んでいた。
(この後の人生で数回だけ同じような現象に出くわすが、この時が初めての体験だった。)

終わった後の私は、めちゃくちゃテンションが上がっていた。

当時、山陰のダンスシーンのレベルはお世辞にも高いとは言えなかった。
そんな中、ついに本物が現れた。
地方の限界の壁を越えた人が現れたと思ったからだ。

ショーケースは早い時間帯にやっていたこともあり、残念ながらコダさんの踊りを観れなかった知り合いもたくさんいた。

その知り合い達に、
「コダさんのダンスは半端なかった」
「観れなかったのが本当にもったいない」
と熱く語った記憶がある。

当時、ダンスで悩みまくっていた私は急いで控え室に向かった。
コダさんに、この1年間はいったい何をしてきたのか、詳しく教えてもらおうと思ったのだ。

しかし、残念ながらタイミングが合わず、コダさんはすでに会場を後にしていた。

コダさんはおそらく、都市部で修行して、そこで気付きがあり、圧倒的に進化して帰ってきたんだろう。
そう私は予想した。

近々またどこかに出演するはずだ。
次も必ず観に行こう。

そして、今度こそお話を聞かせてもらおう。

そう決意した。

1ヶ月後。

たしか、仕事で会社の現場に向かう準備をして、車に乗り込んだタイミングだった。
ダンスの友人から、1通のメールが届いた。

「ええええぇぇえ!!!」

仕事中で周りに同僚がいることも忘れ、驚きと共に声を上げてしまった。
メールの内容を簡潔に書くとこうだ。

「コダさんが死んだ」

理解ができなかった。

なぜ急に……
せっかく希望が現れたのに……

詳しく話を聞くと、もっと理解できなかった。

コダさんは末期の乳がんだった。

ショーケースを踊ったあの日には、すでに余命1ヶ月だったのだ。

残された人生の時間。
最後に踊ることを選択したコダさん。
抗がん剤の治療もあり、満足に練習ができなかった。

しかも当日は薬の副作用で、全身に激痛を走らせながら踊ったらしい。

踊り終わってステージからはける時のあの笑顔からは、そんな様子は1ミクロンも窺えなかった。

メールを読みながら、全身に鳥肌が立ち続けていた。

同時に、全細胞が向かうべき道を見つけたように震えていた。

この時の変化が後に、私のダンサーとしての人生を大きく変えた。

当時、私はすでに積極的にダンスに取り組んでいて、いろいろなダンスイベントで、日本のレジェンドと呼ばれる人達の素晴らしいダンスを間近で観る機会も増えていた。

あえて言い切る。
その人達と比べても全く遜色が無かった。

言い方は悪いかもしれないが、コダさんは、田舎で仕事をしながら趣味のダンスを楽しむ、どこにでもいる普通の女性だった。

正直に言うと、私は1年前までのコダさんのダンスがそこまで好きではなかった。
人間関係的に恋愛感情も無ければ、友情と呼べるほどのモノがある距離感でもなかった。

それがどうだ。

田舎で
アマチュアで
余命1ヶ月で
治療で体がボロボロで
練習もろくにできず
当日も万全では無かった

そんな人が、

自分のダンスをそこまで好きではなく
自分に恋愛感情もなく
自分と顔見知り程度の関係で
自分が病気だなんて全く知らない

ほぼ他人とも言える人間の心を、圧倒的に貫いたのだ。

こんなことがありえるのか。

例えば、プロダンサーとして第一線で活躍してきた人の、人生最後のショーケース。
もしくは、深い恋愛感情や熱い友情で繋がっている関係であれば、こういう事が起きても不思議ではない。

でも、私達の間には、そういったモノが一切なかった。

ただただフラットな関係。

人と人。

間に存在したのは、

純粋な《ダンス》

それだけだった。

爆発間近の極星のような圧倒的な輝き。
それを至近距離で見た私の《社会的な目》はこの時失明した。
そこから私の世界は《心の目》で見える風景のみとなった。

人間の可能性。
ダンスの可能性。

それは宇宙だと思う。

人智の及ばない領域が、この世界には確実にある。

いままで付き合ってきた、肩書きを中心とした世界。

それもこの宇宙の中では、圧倒的に儚い。

あの人はプロだ
あの人は運動神経が良い
あの人は骨格や筋肉量が人と違う
あの人はずっと都会の良い環境にいる
あの人はダンスを練習する時間がたくさんある
あの人は小さい頃からダンスを始めてる
あの人は100年に1人の逸材だ
あの人は天才だ

全ての肩書きを越えた《ダンス》

そんな《ダンス》を、
人生の最後にコダさんは踊って、
踊りきってみせたのだ。

あの日、あのダンスを見てしまってから、自分の人生の目標が決まった。

「生涯最高の踊りを、生きている間に、1度」

いまだに、まだまだ目標には遠く及ばない。

魂の内側から「何か」が溢れてくるような感覚は数回だけあるが、きっとまだまだ足りない。

答えは見えないし、分からない。

しかし、目指すべき価値がある。

肩書きを越えて、自分自身の存在すべてを肯定した先に、「それ」は待っていると予想している。

あまりに短い生涯。

その最後が良きものだったのかは、コダさん以外には分からないだろう。

しかし、私はコダさんの生涯に、最大限の敬意を捧げたい。

あなたのダンスを一生忘れません。

そして、ただひとつ。

ただひとつだけ、あなたを表現するに最もふさわしい肩書きを捧げたい。

あなたこそ、まさしく、

《ダンサー》

でした。

【未来の自分から一言】
この日からキミは、語り部のようにいろんな土地のいろんな人にこの話をし始めたね。
この日からキミは、人間の可能性、ダンスの可能性を心から信じ始めるよ。
不器用でいい。
魂から育てよう。

《ダンス成長編Ⅳ》へ続く…

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