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【32/1000ノック目】創る側の人間の孤独と希望と。

 とある漫画を読みました。
 主人公は、藝大を目指す高校生の男の子。全く美術とは無縁の生き方をしてきた。ひょんなことから先輩の絵を見て、美術部に入部を決意。真面目な性格でどんどん上達するも、上には上がいる。自分が描きたいものとは。様々な葛藤の中で、乗り越えまた壁にぶち当たるを繰り返す。応援したくなる素直な主人公。そして、「藝大に行くにはこんなことをしているのだ」という、知らない世界を見られる一冊。「ブルーピリオド」

人間には二種類いる。「創る側」と「見る側」

 私は完全に「創る側」の人間だ。創る時の高揚感や達成感、そして人一倍の孤独を感じる。それが中毒のように、創り続けている。手を動かさないと、考えないと、生きた心地がしない。生み出さないと、私は私でいられない。

 「ブルーピリオド」を読んだあと、撮り溜めしたドラマを見ようかと思った。もっと吸収してもいいかと思ったが、なぜか気持ちが悪い。腑に落ちない。
 「イオンに行ってくる」という旦那を見送り、私は夕食を作り始めた。餅入り巾着。お正月につきたてのお餅を実家から貰ったものを、冷凍しておいた。巾着に餅を詰める。人参、玉ねぎを刻み、大豆の水煮缶と共に煮込む。

 その最中での、この文章作成。言語化できるようなできないような、浮遊感。「私には何ができる?」突きつけられているような、希望と絶望。

孤独の中にいないと、創作活動はできない。

 自分の中から生み出される「何か」を捉えなければ、一生孤独のままだ。
 しかし、ひとたび私の中の「何か」とコネクトできた時、孤独から解放される。それは、神にでもなったような。全てを手に入れたような。
 それも束の間。再び自分の中の「何か」を探す旅に出ることとなる。

 「私とは何か」
 「私とは何か」

 延々と続くこの問いかけに、嫌気が差すものの、これが「創る側の宿命」。

 生み出した瞬間のあの高まりは、何物にも変え難い。ひたすらに出しても、枯れることのない泉かと思うと、一瞬にして干からびてしまい、砂漠と化す。

 全ては幻影。

 なぜ、創り続けるのか。苦しみ抜いてまで、なぜ。

 その答えを出すには、私はまだ若すぎる。この人生で答えが出るとも、到底思わない。しかし、誰かの、そして私の「琴線に触れる」存在を生み出し続けることが宿命なのだと、そう思いたい。

 「ブルーピリオド」良かったら見てみてください。面白いよ。

32/1000ノック目

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