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原田マハの空気感が好きすぎて書いた話2

 三両編成の三両目、一番後ろの窓際が僕の特等席だ。二年間も通っていると、車窓の景色は目を瞑っていても見えるくらいに焼き付いている。そんな景色をあえて眺めてみると、電車の左右の窓に映る景色はやがて後ろへと流れてゆき、誰もいない運転席の窓の奥へ奥へと吸い込まれていくように見えた。

 「もう三年生か」

小さく呟いた僕の声もまた、電車の発する雑音に巻き込まれながら遠くへ遠くへと吸い込まれていった。

  先月までの教室に向かおうとする脚をなんとか制御しながら、僕は新しい教室に入った。中にはぽつりぽつりと人がいて、好き勝手に談笑したり、イヤホンをつけて音楽を聴いたりしている。教卓付近には今年から使うであろう数学や現代文などの教科書がそれぞれ積み重なっている。僕はその新しい教科書たちを一冊ずつ手に取って、自分の席についた。窓の外をじいっと眺めていると、桜の花びらが散っていくのがよく見えた。実際そこにはほぼ満開の桜が美しく広がっているというのに、僕には散っていく姿の方が目についた。

 将来のために今がある、という言葉が正しいとすれば、毎日学校に来て勉強をすることで将来の道が開けるはずだ。でも、僕は勉強すればするほどに未来が見えなくなっていた。どんな大学に進学して、どんなところに就職して、何をして生きるのか。自分のしたいことができるのか。そもそも自分の本当にしたいことって何だったっけ。今の勉強はいつか役に立つのだろうか。そんな苦しみが毎日あった。

 

 あれは何年前だっただろう。桜がすっかり散った頃、十時二〇分。二時間目の算数が終わるチャイムがなり、同時に二〇分の休み時間が始まる。その瞬間に男どもが喜びの声をあげながら外に駆けていき、女子たちは教室内に三つくらいの集団をつくりそれぞれで恋の話だとか嫌いな先生の話だとかを思い思いに語り始める。ぼくはそんなクラスメイトたちを横目に、引き出しにしまってあった宗田理を取り出して、その世界に没頭するのだ。

 十時三〇分、「なに読んでるの?」という声がぼくを現実に引きずり戻した。顔をあげると、そこには一人の女の子がいた。

「いっつも本読んでるよね。」

「いいだろ。」

「変わってるね。」

「そんなことないよ。」

「私も好きだよ、本。」

考えてみれば、新しいクラスメイトとちゃんと喋ったのはこれが初めてだったかもしれない。その子は一人でいた僕に気を使ったわけではなく、ただ純粋な好奇心でぼくに声をかけてくれていたように見えた。ぼくは自分の読んでいた本の魅力について語りはじめ、彼女はそれを嬉しそうな表情で聞いた。嘘のように楽しかったその時間は始業を告げるチャイムが鳴るまで続いた。

 それからというもの、ぼくが新しい本を読む度に彼女はぼくの席に本の話を聞きに来た。自分の好きな小説の話を喜んでくれる人がいる、この上ない幸せだった。僕たちは中学に進学して、それでも僕たちの読書談義は続いていた。そんな日々が永遠に続けばいいな、なんて僕は中学生ながらに思っていた。

 月日は流れ、彼女も僕も同じ県内の進学校に進学した。高校の勉強は思っていたよりも難しかった。勉強ができる方でなかった僕は、いつだってテストのために、受験のために勉強をする生活になっていき、伴って小説を読む時間は短くなっていった。彼女と話す機会が減っていった事は言うまでもない。


 教卓で手に取った現代文の教科書に目を落とした。高校に入ってから読んだ小説は国語の授業で扱ったものくらいだったな、などと思いながら新しい教科書を開いて目次を眺めた。その『無用の人』という題名はまさに今の自分を映しているように見えて、僕の興味を惹くには十分すぎた。

 教室が賑やかになってきた。これまでの二年間で既に仲のいい人たちがかたまって笑い合っている。普段の僕ならきっとイヤホンをつけて授業の予習をし始めていただろう。しかし今日は違った。原田マハの描く静かに美しいその世界に僕は没頭していた。新しい担任がやってきて年度始めの話が始まってもなお読み進めた。読み終わっても、二度、三度と繰り返し読んだ。

 新年度初日の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。僕はもらったプリントや教科書、参考書、そして現代文の教科書をカバンにしまい、未だ咲き誇る桜の見える教室をあとにした。真っ先に教室を出たのは勉強をしに家に帰るためではない。彼女のところへ行くためだ。

「あれ、何組だろ」

クラスを調べていなかった。思わず溢れた独り言は、長い廊下に小さくこだました。


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