恋する寄生虫の映画みてきた!感想

ちょっとなんか急に原作厨になっちゃった。あんまり良い評価じゃないしドネタバレあるので注意です。最初の方見てすぐ電車で書いたので原作の記憶あやふやなことあります……


三秋縋の描く世界観とか空気感とか人物とか心情描写が好きなのであれば映画の恋する寄生虫はあんまり…原作か本当に好きな人だったら納得いかないんじゃないか?と思った…正直見ながら原作のストーリーサクッと一回人に聞いただけで脚本書いたのかな…と感じたくらいこう、なんか…原作とは違った。映画は映画で小松菜奈がめちゃめちゃかわいかったのでよかった。

まずひじりちゃんがこう…なんかこう…小説だと主人公の家にずかずか上がったり勝手な振る舞いはしつつもなかなか心は開かず大人びていて一人で抱え込んじゃうような性格に感じてたんだけど、映画だとその勝手な振る舞いとつっけんどんな部分が悪い感じに誇張されてるように感じた。序盤にベッドから降りるように言われてヒステリーみたいにぎゃあぎゃあ飛び跳ねて騒いでたのが本当にどういうことなのかわからない…小説だと拒絶されたは声を荒げたりせず、ちゃんと傷付いて帰ってたような気がするんだけど…
あと何でもかんでも声に出し過ぎでは!!?小説たと行動だけで示してたりあえて書かれてなかったよなひじりちゃんの心情をガンガン吐露しててエ!!!?てなっちゃった。原作読み返したのちょっと前だからもしかしたら面と向かって感情剥き出しで話してた場面があったのを忘れてるだけかもしれないけど、私の中のひじりちゃんはこう…もっとそのへんのいじらしさというか、最後の最後まで自分の中で抱え込んでるイメージがあったから印象が全く違った。映画でひじりちゃんが自殺しようとして主人公が止めに行くときにその感情吐露タイムがあったんだけど、虫がいなくなってこの恋がなくなっちゃうのは嫌とか言っててそれはその通りなので良かったのですが、その後、その後の場面で急に勝手に手術された後のシーンになっていて、主人公が「勝手に手術するなんて!したくなかった!」って言ってて…

勝手に手術!!???????!!!???
そんなシーンは絶対に原作にはなかっ
え!??!?勝手に手術!!!??????
原作だと2人で話し合ってたかどうかちょっと記憶が曖昧なんだけどとにかく同意はしていて、虫がいなくなった後本物の恋をしよう、みたいな感じの約束?の描写が確かにあって、自分の意志でそうするって決めて覚悟を決めて、確かに虫なんかいなくてもこの恋が本物だって証明しようみたいなものがあったはずなんですが、アレ!!?勝手に手術!!!??二人の決心は!!?二人の自分たちの想いへの信頼は!!???そういうの全部ふっ飛ばしてなんか急に勝手に手術されてない!??しかもなんだかんだ手術を受け入れてるし…原作だと研究者?の人も無理強いはしない、嫌なら治療しなくていいって感じだったしいろいろ納得する理由をちゃんと丁寧に説明してたのに映画だとあんまりにも強引すぎて違和感あった…

あとラストがちょっと綺麗すぎるというか、俗っぽすぎた……映画だからそれは仕方ないかもしれないんだけど俺たちは三秋縋を観に来てるわけで……原作のラストの方がなんなら綺麗だもんな……あと映画の最後の最後のクライマックスで、流石にここだけは原作通りにしてくれるだろうと思ってたクリスマスのところ…クリスマスに街の人たちが主人公の作ったウイルスで連絡がとれなくなって恋人と会えなくなってる中、主人公にも大切な人が出来てなのに自分のウイルスのせいで連絡つかなくなって、夜まで何時間も待って会うところ、なかった……………………………………全然ウイルス効いてなかったし普通にみんながたくさんいるクリスマスツリーの前で会うし…………そうじゃないじゃんな…………………主人公が何時間もひじりを信じて待ち続けて人がいなくなったところで同じ時間寒い中そこに居続けてたひじりと会うのと、ぼーっと一人で普通〜の時間に人混みの中でクリスマスツリー見てるときにふつ〜によっみたいな感じでひじりが現れるのは違うじゃんな………………というかクリスマスというキラキラしたいかにもなイベントをちゃんとラストに持ってくるなんて、クリスマスツリーの前で幸せなキスをして終わりなんて、そ、そ、そ、そんな、そんなことある!!???三秋縋が!!!??!原作だと中盤も中盤のイベントなのに!

研究所?のおじいちゃんを悪者にしてるのもちょっと違った…というかそもそもフタゴムシの生態が違った。気がする。これは気のせいかも……あと主人公の希死念慮がさ〜〜〜映画だとすごい浅くて…小説にあった母親との関係が私は結構好きというか大事なところだと思うんだけどそこが一切描かれてなかった。あと三秋縋の書く主人公てだいたい村上春樹テイストの、社会不適合者だけど飄々としてて口は回って落ち着いてるイメージだったんだけど、それも違った。ちゃんとしたいい年したどもれる陰キャだった。まあそれは、仕方ないね……仕方ないか……?

なんかとにかく三秋縋が描きたい世界と映画の世界は良くも悪くも違ったきがする。小説と時間の限られた映画じゃ色々違うのは仕方ないんだけど、三秋縋の世界観とか間のとり方とか思想が好きな人向けの映画じゃなかったと思う。私の、ド所感ですが…小松菜奈は好きだし顔面はひじりちゃんに似合うんだけど、三秋縋特有の風が吹いたら消えそうな女の雰囲気は全くないしどちらかと言うとオイル塗って群青日和とか歌ってそうな力強さがあり、生命力ばかりが目立ってたな〜という感じです。

原作って恋と同じくらい死が強調されててそこが三秋縋感を感じるとこだと思うんだけどやっぱりさっきも書いたようにとってつけたような厭世観で、文ならいいのかもしれないけど肉声があるとどうしても薄っぺらく感じるというか、あと3時間、あと3時間くらいあれば原作並みの情緒が描けていたのかもしれない、


今帰ってきてちょっと原作読み返したんだけどやっぱひじりちゃんのイメージが全然ちがうな〜〜〜……映画だと2人が惹かれ合う理由というか人間的な魅力があんまり感じられなくて、虫のせいですって言われたらああ虫のせいか……って納得しちゃいそうなんだけど、原作読んでるとこれが虫のせいなわけないだろという気持ちにちゃんとなる。あとやっぱ映画ひじりちゃんちょっときつすぎるな……映画みてて最初に大きい違和感あったのがヘッドフォン盗られて主人公呼び出すところなんだけど、映画ひじりちゃんはもう初手からギャンギャン泣き叫んでて会話もできない状態で、主人公の問いかけにも答えないわ最後までどこにいるかも言わないわそれまでろくな関係築いてるように見えなかったのに急に「私のことどうでもいいと思ってるのは知ってるけど、来て欲しいの!」の、来て欲しいの、がそらここかわいいとこ!ここ情緒のところ!って主張されてるみたいで???てなった……原作読み返したら泣き叫んでないし最初に今ここにいる、ってちゃんと言って、主人公の問いにも素直に答えててそりゃそうだよな……になりました。

ひじりちゃんって感情を全身で表現するタイプじゃないし、泣き叫びながら本音を言うより寂しそうに笑おうとしながら本音を濁すような子だと思ってたからそこのギャップが大きかったのかも。本音を言う時も声を震わせながらなるべく感情を抑えて淡々と伝えるのが原作なのに、映画では常にギャンギャン感情押し出してるから三秋縋の世界観にも主人公にも合わないタイプの女の子に見えた。
何気に気に食わなかったのはあの……視線恐怖症の女の子が道のど真ん中をポップコーン抱えて齧りながら歩くか……?ホットドッグ大口で食らいながら外を平気で歩くか……????何か原作にはないひじりちゃんの人間性を誇張したさに絶対そんなわけないことになってるんだよな……

それとタイトルにもある寄生虫への敬意(え?)がなかった……原作読んでると寄生虫も生きるのに必死だったりしてその描写が丁寧で、そこが死にたい人間たちとの対比になってるようにも見えたんだけど、映画だと寄生虫はこうです。フタゴムシはこういうヤバい寄生虫です。という説明しかなくて、ひじりちゃんの寄生虫への愛もあんまり伝わらないしこっちもどこかいとしく思えるということがないからかわいく思えない……そもそもかわいいもんでは、ないのですが、別に……いやでもこの辺は私がそもそも普段映像作品を滅多にみないから映像から情緒を受け取るのが下手なだけで、ちゃんと伝わる人には伝わってるのかもしれない。ここまで書いた他のことも全部……

とにかく印象としてはなんか月並みな原作厨の表現になりますが、原作へのリスペクトがあんまり感じられないな〜という感じでした……原作見ずに普通に見る分には全然良いと思うけど、敢えて三秋縋を手に取って夢中で読むような人間にはちょっと違和感があるかもしれない。でも全然、三秋縋が色々介入しててこれで!ってGOサインだしてる可能性もあるし全然俺が愚かなだけかもしれん。さっきも書いたけど映像作品見るのが本当に下手なのでそっちの方が可能性が高い。ほかにもいろいろ書きたいことあるけど文読み返してて小娘が作品に向かって生意気な……という感情になってきたのでそろそろやめな。ボケが。

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