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ネガティヴとポジティヴは共存しつつもどちらよりかで何かは変わる

おはようございます。こんにちは。こんばんは。2021年、早くも1月後半に差し掛かりアセアセしております。

(あせあせって急に頭に浮かんだのでググってみたらhttps://withonline.jp/lifestyle/life-news/RGgbZ これが出てきた)

真面目に書いてみる。暇な人間の深夜ゾーンで覚醒した戯言でしかないので読んでいて何言ってんだよと思ったら読むのをやめてくださいね。

誰もが予想だにしなかった災難に見舞われた2020年が明け、2021年を迎え、不安を抱かざるを得ない毎日が繰り返されている。人の思考回路が変化する。

2021年は更なる変化の年。

日本で開催されるはずだったオリンピックをはじめイベントごとが行われない、営業が制御される、遊び場や娯楽が減少して行く、夢や希望も持ちにくいなどという前代未聞の環境で何を思うのか。どう感じるのか。さまざまな不幸、不安、不満、それぞれの生活が一変し、常に心は痛い。

地球に生まれ、コロナ禍の現状に晒された時こそ、初めて自分自身のことや、近い人間の言動で本心や本質がわかったこともある。

大きな打撃をうけていても心の底ではどこか良かった部分も多いのかもと思っている自分がいる。

自分自身はネガティヴな性格だと思っていたのだか。

2020〜2021にかけて気付けば、周りを見るとどちらかと言えばポジティヴな人が周りに多くなった。付き合いが自動的に狭まる中で仕事を含め、周囲を取り囲む人々の"前向きさ"に助けられていることに気づく自分がいる。

逆境がきたときに前を向けることがわかった。

結果はまだまだ出てはいないが経過として、、、

"類は友を呼ぶ"といった言葉はすごいもんでやはりポジティヴに考えている。逆を返せば自分が自然にそれを選択してるってことか。

ポジティヴな思考の人って、ネガティヴなことを言ってもどこか明るい。なんとかなると根拠のない明るさも時には大切。

一例をあげると、"働き盛りの年齢の知人"

はこの状況を目の当たりにし、将来や老後の心配をしながらも、スポーツに勤しんだり、都内の一頭地から家賃10分の1くらいの土地に引っ越しし、今までならば仕事に追われできなかったことをどこか、楽しんでいるようにも見える。

苦肉の策で無理矢理、楽しんでいるかもしれないけど、行動力高さにも驚く。側から見れば落ちぶれたと言う人もいるのかもしれないが、"これこそ生きる醍醐味"だと言わんばかりに贅沢な生活から一変した質素な生活にすぐに順応した。

それを苦と思っていても明るい。

そして素直に不安を表現する。

それも、人らしい。

この人、見事に心から話をしてると時に感じる。

カッコつけていない感じがカッコいい。

ナチュラルポジティヴ。そう言う人が生き残る時代なのかもしれない。

こう言う人が近くにいるとどんな環境でも共に楽しんでいけるのではないか。と言ういい意味の錯覚に陥れる。錯覚でもありがたきポジティヴ。

些細なことやくだらない事で笑えたり共感できることは人間としてとて大切な事なんだと改めて感じられる。

なんか、よくある歌の歌詞みたいなことを言ってますが。こんな人といると割とそんな感じでいられて未来まで明るく見える。


一方では根っからの"ネガティヴ要素がダダ漏れ女子"

がいるのだが、発言一つ一つが、ネガティヴだ。独特な雰囲気と要らないプライドばかり高く、こう言う災難に見舞われた時に辛い気持ちを、よりネガティヴに見せるのに長けている。タチが悪い謎の承認欲求も加わり更に変なものが出てしまう。例えるならば燻った煙が頭の周りからゆっくり出ている。

大きな特徴は笑顔のときも心から笑ってない。

この状況への不安が発言や行動にあからさまに出てきてしまうため、周囲に不要な心配をかけていることを本人は気が付いていないドツボちゃん。

このドツボちゃんは"自分は頑張っている"とか、"自分ばっかり辛い思いしてる"と言ってさらにドツボへ。

ドツボちゃん周りを見て。みんな頑張ってるんだ。むしろ君よりもね。

と言いたいがネガティヴドツボちゃんには言いにくい。落ち込まれても困る。無意味なプライドを傷つけない様に周囲は大人な対応で上手くあしらうだけ。負のスパイラル。損してる。余計なお世話か。

こう言う人といる時はその時の発言や行動が気になりすぎて目の前のことだけで精一杯になることがあるのでつまらない。

大きく2種に分類するとしたら物事に対する思考が

"ネガティヴ"寄りか

"ポジティヴ"寄りか

に分類してみると面白い。 (物事により異なるとは思いますが基本スタンスはあると思います)

『不安』は皆ある。それぞれの生活や環境は違えど

財を成した方、大きな業績をあげていたとしても自信や心に余裕あったとしても、きっと、コロナウィルスへの不安は皆同じなはず。

どう立ち回り、どう思うかの思考次第で人生は変わる。

自分にとって全てをプラスに持っていく回路を作る。

ネガティヴなことを言っていても自虐ネタに出来てしまう人は結果、振り切っていてポジティヴに思う。

楽しめる範囲は少なくなってしまっても、この状況下でどう人生を楽しむかを考えてみることだけでも新たな施策は生みだせる。考えが行き詰まってもそんなことを考えてる自分に笑える。全てにおいてポジティヴに持っていくようになると時にちょっと怖い…

でも今はそのくらいで良い。せっかく生きているならこの方が楽でもある。楽=楽しい 。

ふと思い出したので、少しそれますが究極にポジティヴと思う知人の話。

説明の仕方によったら『おバカ』と言われる人ですが毎日を『無欲』に生きていて、脱サラして会社経営をした時に数千万騙し取られ、律儀に返済し、一文なしで会社勤めに戻り、年下恋人に生活費を数年間貢がされ、別れ、それでも憤りはなく幸せを感じているそうです。自分が悪いとか人が悪いとかのネガティヴな思考がなくて。さらにはコロナ禍で生活困難に陥った海外に住む友人に自分が働いた給料を渡したりしている。自分を守るより困った時に助ける精神がすごい。

こんなことがあっても文句ひとつ言わずに仏の様に笑って生活している。なんかすごい。とたまに思わされる。

結果お金の部分だけでいうと騙されても貢がされても結果その人のためになったならいいと思えると言う心の持ち主。

"私は流石に自分はそれは無理だ。"

騙されたり貢がされたりするならそこには飛び込まない。もしもされたらそんなふうに仏の様な心でいる精神力はないな。胡散臭いことから避けてきた。人を信用するのに時間をかけた。それは自分こその生き方なんだと言うことも感じ、人の経験談や自分の経験値をもとに回避はできる。

失敗などの負があった時に物事をポジティヴよりに捉えられるだけで間違えなく楽しめる。

自身の思考次第で人は変わるとつくづく思う今日この頃でした。



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