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甘い物に甘やかされたい

社会で働いていると、どうしても今日は働きたくない、気が乗らない時がある。

スヌーズ機能を遅刻するギリギリまでフル活用し、布団にからめとられそうになる体を、無理やり引きはがし立ち上がる。少し早めに乗っている電車に一本遅れてしまう朝。

いつもならスマホや本を読み過ごす電車の中だが、「もう少しだらけよう」とリュック抱きかかえギリギリまで眠ろうとしてしまう朝。

迫りくる現実に少しでも抗い、時間ギリギリのところまで自分を甘やかし続けている。その状態のまま仕事に入ると、ろくでもない一日が待っている。

危険な一日が始まる予感がすると、いつもチョコレートを食べるようにしている。チョコレートは板チョコ1ブロック程度の大きさの銀紙で包まれやつを食べている。

食べるタイミングは駅から降りて職場へ向かう道中だ。(歩いて15分かかる。)はじめは車道に添って歩いていくのだが、次第に住宅が建ち並ぶ道へと入っていく。人チャンスだ。ポケットに忍ばせていた一粒のチョコレートを包み紙から取り出し、すぐに口へ放り込む。

人通りのない道で食べるのは理由がある。住宅が並んでいるので人目に付きにくく、職場の人に食べるところを見られにくいからである。朝からチョコを食べる姿はちょっと恥ずかしい。もっと重要な理由としては通行人(刺激)が少ないので、私がチョコに真正面から向き合いやすくなるためである。

チョコと向き合う一番シンプルな方法、チョコレートを口の中に放り込み放置しておく。口の体温で彼は徐々に小さくなる。すると減った体積分で甘さも口の中に広がっていく。どんどん広がっていく。甘味が幸福もつれてくる。

味に意識を向け続ける。この時には自分の手足はもうない。世界は自分の口とチョコだけである。チョコは私なのかもしれない。

チョコとのランデブーを楽しんでいると、突然それは起こる。

「口の中、めっちゃ甘い。ねばついてきた。」

そう。チョコレートは一粒を充分味わうと、過剰なほど甘いのである。楽しい事、楽なことだけを選び取り続けた時に感じる不快感が、口の中でも起こっている。新婚夫婦が永遠にアツアツであることはない。

急に冷めた心が、自分の手足を思い出させた。カバンから水筒を取り出し、一気に口の中へと流し込む。水とともに甘さも胃へと流れ込んでいく。口の中がさっぱりする。

そうなればしめたもので、体全体も生まれ変わった気がする。

限界まで自分を甘やかした後に、甘えた自分ごと水で洗い流すイメージ。(チョコレートが一時の幸福を与えられる力を持っているからできることです。)

求めていた甘さに少し不快感が生じた時がチャンス。甘えから立ち上がって自分とともに仕事に向かうのです。

人間は勝手な生き物だ。(自分だけかもしれないが)

ただの思い込みでしかないが、イメージするのは大切。たぶん。

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