見出し画像

やわらかさのお供に擬音を少々

今日は読谷村のスタバで作業しようと思い、意気揚々と出発したはずだったのに。太陽燦々の道を歩きながら、小学校から流れてくる三線の音と、スカートにくっつくひっつき虫と戯れていたら、3分で迷子になりました。
700m先のスタバにたどり着くのに30分くらいかかってしまって、たどり着いた時には汗だっくだくになっていて。でもまあ、旅なんて迷子になってなんぼだと思っているので、総合すると楽しかったのです。

今日はなんだかちょっとお疲れモード。声のトーンも少し低め。多分だけど、この1週間ずーっと誰かと過ごしていたからな気がしています。私はやっぱり、リズム的には3日誰かといたら、1日はひとりでじっとしていないと、自分が崩れてしまうタイプな気がしていて。

だから多分、会社という仕組みがダメだったのでしょう。
もう、エネルギーの充電が間に合わないんです。
もし、会社が3日に1度おやすみだったら、わたしは会社員だったかもしれない。それほどに、誰かといるときに削られるエネルギーは凄まじい。

かと思えば、1ヶ月ずっと毎日一緒にいても疲れないひともいて。その人とは疎遠になってしまったけれど、あの空気感は、なかなか作れるものではないなあ。声のトーンとか、会話のリズムとか、体の芯が重なっていた気がします。元気かな。すこぶる元気なのは知ってるけれどね。

今日ふわふわと迷子になっているときに、「やさしいことば」について考えていて。やさしい、柔らかいことばの作り方は色々手法があるけれど、わたしのやわらかさのスパイスは多分、擬音にあるなあ、と思いました。

意識しているわけではないのだけれど、生粋の擬音フリークなので、ついつい文章の中の擬音の登場頻度が高いのです。

擬音、本当に好き。
つくってくれた日本人、ありがとう。

ふうわり とか、 ゆったり とか、 ほろほろ とか。
好きな擬音はたくさんあるのだけれど

今日は一段と日差しが強かった

みたいなことばがあると

今日は一段とピカピカ太陽が光っていて、体温がゆるく上昇していった

みたいなことばに直したくなる。というか、スパイスを加えたくなる。

改めて、擬音が好きなのだなあ。と気づいた本日の迷子でした。

東京は夏が駆け足で去っていった、と聞きました。
沖縄はまだまだ、平成最後の夏が続いています。
まだ夏が恋しい方、沖縄でゆるうり、待ってます。

今日も、良い夢を。

MainVisual: takumi yano

いつもありがとうございます。いただいたサポートの一部は書く力の原動力のおやつ代、一部は日本自然保護協会に寄付させていただいています。