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人間は凶暴性を克服できるのか

広島の地に降り立った。たぶん10ヶ月ぶり。
前回は夏で、最高平均気温もろもろを更新しきった昼の公園だった。
今回は夜行バスを降りて早朝の公園。
海外の観光客がわんさかいたところには、犬とランニングをするおじさん、朝練に向かう自転車中学生、早朝出社で小気味よく靴音を立てるお姉さんの姿、ポツリポツリと人影が、脇目も振らずそれぞれの目的地に向かう。

こうして、人の気配が少ない状態にいると、前回感じなかったことに気づいてくる。
一番感じたのは、木の存在。
こんなに木が多かったっけ?
まだ影の長い朝においては、暑いイメージが先行する公園内は涼しい。むしろ肌寒い。
原爆ドームの目の前にも大木があった。きっと戦後生まれ。この公園内の木はきっと全部戦後生まれ。

この戦後の時代を経て僕らは、自ら営む国民国家の持つ凶暴性をコントロールできるようになった。
そう最近まで思っていた。
でもどうやら違ったらしい。

「慰霊」という言葉の通り、霊を慰むるとはどういうことかしら、と思いながらベンチでぼーっと過ごす。
川の向こうから響く行進曲。今日は中学校の運動会らしい。

約束の午前10時。
電話が鳴る。
「〇〇でーす」
変わらずお元気らしい声に安心。
「〇〇さん!ありがとうございます!今向かいますね!」
僕は重い荷物を背負ってちょこちょこと資料館に向けて走っていく。
遠くから見ても、やはりお元気そうでお変わりないようだ。

話す、聞く、話す、聞く
歩く、聞く、話す、歩く

原子力。
数千度の熱エネルギーに変換される、ある種の凶暴性をまだ克服する術を知らない力。
この凶暴さを兵器に利用しようと、あの時代に日本も含め、全世界で躍起になった。
結果、
凶暴性のベクトルは、人間を起点にして、人間に到達した。

語られる経験。
今回初めて、収録させていただけた。
この話を世界に、未来に届けたいがために、約一年かけて僕らのアプリ「shouTpuT」は器を広げてきた。
理想とする人たちに届けるため、理想とする体験をもたらすため。
そして今日、おそらく100年後にも影響を及ぼす(と信じている)記憶が、僕らの手元に渡った。

スマホが重くなる音がする。

この記憶を、shouTpuTを通じて、100年を超えて届けられるとして、未来の人はどう感じるだろう。
その時代は、どうなっているだろう。
自分たちの「志」たるもののために、そんな未来を手にかけんと欲している。

今から、記憶を伝えられる側から、伝える側になってしまうのだ。
光栄でありながら畏れ多い。
でも、それがshouTpuTを作った意味だ。
そのためだけに、これまで無理だの声を砕ける匙を、顔では聞きながら、心で忍んで研ぎ続けてきた。
それもまた、人の凶暴性の一端とも言える。

かつて繁華街だった平和公園は、おそらくかつてとは全く異なる厳かさをもっていた。
歩く、聞く、話す、聞く、そしてまた歩く。
昨年聞いた話であっても、今日聴くとなんか違っていた。
前回は認識していなかった木々は、人の暴力で蒸発してしまった、でもまだ地中にいるかもしれない繁華街の人々が、暑い思いをしないように植えられているらしい。

そうやってこの公園では、80年近く人々が慰霊を続けてきた。
この慰めが意味を持つ日が来るとするなら、それはどんな時代なのだろうか。

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