【実録】私のウェディング No.2
おはこんにちばんは、nonです。
ウェディングレポ第二弾・ハネムーン編のご紹介です。
通常結婚式の直後に行かれる方が多い新婚旅行だが、
私たちの場合は入籍後すぐにスペイン1周旅行に1週間行ってきた。
ウェディングより旅レポに近い記事なのであまり参考にならないと思うが、どんなハネムーンだったか詳細に綴っていこうと思う。
行き先・旅行代理店探し
ハネムーンの行き先選びだが、大きくリゾートか観光メインかという軸があると思う。
行き先としてはハワイやグアム、モルディブなどの南国、ヨーロッパの都市がよく挙げられる。
私は転職を機に1ヶ月の有休消化が入籍の月にあったのと、
旦那氏の会社が柔軟に休みを取りやすかったので「もうこの機会に行っちゃおう!」ということで2ヶ月くらい前から色々なサイトで旅先を探していた。
私たちの入籍1ヶ月後はちょうど私の兄の結婚式が沖縄で行われる予定だったため、「リゾートはその時に楽しめるね」ということでヨーロッパに行くことに決めた。
ヨーロッパ旅行は複数の国を横断するか1カ国に絞るかが焦点になるのだが、スーツケースを持っての他国移動は疲れそうということで1カ国周遊に決めた。
肝心の国選びについて、私は過去スイスに3年いたこともあってちゃんと首都に行ったことのない国がフランス、スペイン、ギリシャ、北欧、中欧諸国くらいだった。
旦那氏もサッカー好きというのもあり、スペインのスタジアムへ行ってサッカーユニフォームを本場でゲットできるならとスペインに行こうかと落ち着いた。
トントン拍子に旅行計画を立て、個人で行くかツアーで行くかも決めるのだがスペインは1周するのには広大な国であり、治安も日本ほど良くないので団体で安心して行く方がいいと決めた。
実際バスツアーでスーツケースを持って行かなくて良かったのと、飛行機代や宿代・食事代が個人で行くより安かったのが決め手だった。
(ちなみに団体で行くとガイドさんや他のツアー客の方が、ツーショットを撮ってくれるという安心ポイントがある笑)
旅行代理店(HIS)ではハネムーン特典で飛行機の席を隣に手配してくれたので結果オーライだったと思う。
1日目 羽田〜フランクフルト〜マドリード
1日目はほぼ移動で終わる。
羽田空港HISのカウンターで手続きに行きチェックインしてガイドさんや他のツアー客の方と顔合わせをする。
なんでもない平日の1週間だったが、30人くらいツアー客はいたと思う。
フライトに12時間ほど乗った後、中継地のフランクフルト空港に到着。
スイスに住んでいた頃も何回もお世話になった空港だが、相変わらず空港内でトランジットのために移動する距離が長く遅刻するんじゃないかと心配になる。
こんなに大きな空港なのに羽田ほどご飯は充実しておらずショップやトイレが無機質なのも変わらないな(笑)と思った。
ドイツ名物のプレッツェルとホットドッグを食べて、飛行機を待った後2時間半ほどしてマドリードに到着。
ここもかなりローカルな空港でシンプルすぎない?となるくらい質素。
ちなみにツアー客で早くもラゲッジロストしている夫婦がいて可哀想になった。
もう辺りは夜だったのでホテルに着いたら翌日の集合時間だけすり合わせたのち、私たちは床に着いた。
2日目 マドリード観光
ここからバスツアー観光が本格的に始まる。
気温は約40度でカラッとしている。
日陰に入ったらすごく涼しいが日なたはめちゃくちゃ暑いのは
どっちもじめっとしている日本の夏とは違う肌感だ。
朝からマドリード市内に向かいまずはプラド美術館を目指す。
美術館内は写真撮影禁止のため残念ながら私の写真は載せられないが、
スペインハプスブルグ家の残した珠玉の名作を中心としたスペイン芸術が多数展示されていた。
個人的にはよつばchさんというYoutubeでスペインハプスブルグ家の歴史を趣味で予習していた私は大興奮だった笑
プラド美術館での私のお気に入り作品は、
ベラスケスの『ラス・メニーナス』
ゴヤの『着衣のマハ』
と王道中の王道である。
ちなみにゴヤの名作はマハシリーズ以外もあるのだが、
スペイン内戦の暗黒時代の作品とかは暗くて怖かったのでここではあまり紹介しない(笑)
他にもキリスト教絵画の傑作・エルグレコの『受胎告知』などもそのキャンバスの大きさとタッチの勢いに圧倒される。
一生に一回は行っておいて損はない美術館だと思う。
美術館見学後、お昼ご飯までは少しフリータイムを取りつつサンミゲル市場やマヨール広場付近を少し散歩しつつ写真をパシャリ。
この後ガイドに連れて行ってもらったレストランだが、
パエリアが出てきたものの正直チキンのダシが上手く利いてなくておいしくはなかった笑
そしてスペイン人はなぜか大きいグリーンサラダを出すのだが、ドレッシングは100出されないと言っても過言ではない。
テーブルにはわずかなオリーブオイルと塩が置かれており、味付けはただそれだけである。
この日以降お昼ご飯にはどの地域に行っても、このベーシックサラダが付きまとうことになり後半にはもうみんな辟易していた笑
これ以降はフリータイムだったので、私たち夫婦はサッカー関連の施設に行くことにしていた。(ちなみに私はサッカーに全く詳しくない)
まずは、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ。
言わずと知れた名門サッカーチーム、レアル・マドリードのお膝元である。
現在は改修工事中ではあるものの、サッカーツアーを開催しており旦那氏は日本にいる時から見学予約を入れていた。
最初に駅からスタジアムに向かった際あまりにもスタジオが広大すぎて、正門がどこなのか分からず集合時間に遅れそうになった笑
無事サッカーツアーに合流し、英語でスタジアムの構造や様々なトロフィー、スペインサッカーの歴史を丁寧に解説してもらう。
ここでスペインのサッカーキッズが多数入り乱れ、国レベルでサッカーへの温度感の高さを感じた。
その後、オフィシャルショップに立ち寄って記念に撮ったツーショット写真を受け取り、正式ユニフォームを旦那氏はゲットしていた。
(お揃いを買おうと思ったが、私の分は高すぎて買う気が起きなかった笑)
そしてディナーはMESON TXISTUへ。
(いまだに正しい読み方を知らない)
こちらのレストランはレアル・マドリード選手の御用達レストランだそうで、ちょっと高級なバスク料理レストランである。
実際店内にはサッカー選手たちの写真が多数飾られていた。
もちろん旦那氏のリクエストで予約を入れてもらった。
ここのレストランの名物はTボーンステーキなのだが、
残念ながら日本人夫婦2人の胃では食べきれないくらい大きかった。
もう後半には味を覚えていないほど量があり、お店には申し訳ないくらい他の料理を頼めなかった。
そんなに頼んでいなくてもなかなかいいお値段はした笑
これから行くサッカーファンはお腹をかなり空かせて行くことをおすすめする。
マドリード観光はこの1日で終了し、次の日はコルドバ・ミハスに旅立つ。
3日目 コルドバ・ミハス・グラナダ
マドリードからアンダルシア地方のコルドバへは電車で1時間半超である。
この日は朝早くからマドリードのアトチャ駅から高速鉄道でコルドバへ向かう。
この間に車だと4時間以上かかるので、観光バスは私たちのスーツケースを入れ先にアンダルシア入りをしている。
コルドバ歴史地区に降り立った途端、都会のマドリードとは全く違う異国情緒を肌で感じる。
歴史地区の正門に入り、まずはユダヤ人街の白と黄色を基調とした狭い通路をガイドしてもらう。
この地区にはユダヤ教のシナゴーグがあったりフォトスポットの「花の小径」という青と白の通路がありとても可愛らしい場所である。
思う存分写真撮影を楽しんだあとは、メスキータを目指す。
個人的にはこのメスキータはこのスペイン新婚旅行で一番の写真映えスポットだと思っている。
世界史的観点から少し解説すると、こちらのメスキータ(スペイン語でモスク)は、8世紀のイスラム勢力である後ウマイヤ朝時代から建設が始まりその後10世紀まで拡張が続いた巨大モスクである。
その後、13世紀にキリスト教勢力がレコンキスタ(国土回復運動)でスペインの再征服に成功すると、モスクの一部を破壊しキリスト教会として転用する運びとなる。
そのため、このメスキータの中にはイスラム建築様式と中世ヨーロッパ建築様式が絶妙に入り混じり、この世に2つとない不思議な建物が出来上がっているのである。
この異質でとても広い空間は美しく、私たち日本人には到底想像が及ばない世界観・宗教観を醸し出しており本当に見ていて飽きない。
スペイン旅行ではぜひ訪れてほしいスポットである。
午前のコルドバ観光を終え、ランチをとった私たちは次の目的地・ミハスへと足を運んだ。
こちらは控えていた観光バスに乗り、2時間ほどして到着する。
アンダルシアの観光地域・コスタデソルの一角にあるミハスは一言でいえば「白い村」である。
雰囲気はコルドバのユダヤ人街やギリシャのサントリーニ島に似ており、
白い壁にかかった青の鉢植えと石畳が可愛らしい街並みが広がっている。
ミハスには可愛いお土産屋さん、ジェラート屋さんが多く、小さな闘牛場もあるアットホームな街である。
ミハスの観光を一通り終えたのち、次の日の観光に備え一行はグラナダへと向かう。
こちらも車であればミハスから2時間とちょっとあれば着き、夕方には現地入りした。
ホテルのレストランで、生ハムとスペイン風オムレツ、チュロスを食べてグラナダのフラメンコショーを夜見に行く。
私たちがお邪魔したのはRestaurante Flamenco Cueva La Rocioというお店。
ドリンクをサーブされトンネルのように細長い店内に通され、一列に並んだ椅子にそれぞれ着席。
時間になると店内の照明が青赤く暗くなり、ダンサーとボーカル、ギタリストが入場する。
ダンサーは女性2人と男性1人。
意外と若い方ではなく、ザ・ベテラン!という感じのダンサーで割と体型もふくよかな方が踊っていた。
扇子を使ったりタップダンスも披露したり、踊りのバリエーションは踊り手によって自由である。
踊り手とはほぼゼロ距離だったので、こんな近くで芸を鑑賞するのは初めてだった。
これぞ想像する情熱の国・スペインだなーと思いながらおよそ1時間ほどお酒を片手にフラメンコを楽しんだ。
フラメンコの帰りは、次の日に見学するアルハンブラ宮殿の夜景を高台から高台から望んだ。
4日目 グラナダ
この日は待ちに待ったアルハンブラ宮殿の観光である。
この建物は紹介したいパートが非常に多いのだが、キリがないのでお気に入り部分だけ抜粋する。
朝8:30頃、ホテルから5分ほど歩きアルハンブラ宮殿に入る。
まだ日差しが強くないので、快適な温度である。
アルハンブラ宮殿の入口付近にはヘネラリフェという素晴らしい庭園が離宮にあり、糸杉の門やお花がたくさんあるガーデンを楽しむことができる。
その後スタスタ歩いて行くと、今度はカルロス5世宮殿というヨーロッパ調の建物に辿り着く。
ここはアルハンブラ宮殿のなかでも、レコンキスタでのグラナダ陥落後に建てられた建物である。
中に入ると、円を囲った中庭が見えその回廊は開放感を醸し出している。
カルロス5世宮殿を後にし、次はナスル朝宮殿に入る。
ナスル朝宮殿は、アルハンブラのメインスポットでありいくつかの宮で構成さている。ナスル朝宮殿の導入部分は、メスアール宮という宮殿でとてもシンプルだがイスラムらしいタイルや壁面彫刻を楽しめる。
その次のコマレス宮の中にも写真スポットが多数ありカメラは常に持っておくべきだが、一番のみどころはなんと言ってもアラヤネスの中庭である。
私の中ではアルハンブラ宮殿といえばこのイメージが訪れる前からあった。
中の池に建物が反射した幻想的な水鏡を楽しめる。ここはアルハンブラに来たら外せない光景。
ちなみにコマレス宮には、大使の間という広間もフォトスポットとして有名である。
こちらは非常に高い天井にも関わらず、細やかな装飾が丁寧に散りばめられており見るたび圧巻された。壁にもコーランがびっしり刻まれており、見る人は息を呑むような仕上がりである。
コマレス宮の次は、ライオン宮へと移動しライオンの中庭に着く。
動画をメインで撮っていたためあまり見どころが写真に収まっていないが、この噴水の後ろの柱のディテールが緻密で近づくとその細やかさに魅了される。
ライオンの中庭のすぐ近くには、二姉妹の間がありこちらもどうやって先人たちが作ったのか気になる空間が見れる。
燕の巣のように何層にも分かれた鍾乳石をベースに、お花や星をモチーフにした天井である。天井の下の壁のカリグラフィーも壮麗で素晴らしかった。
最後はナスル朝宮殿を出て行くといつのまにか、貴婦人の塔とパルタル庭園に繋がって入り込んでいた。
この貴婦人の塔からはアルバイシン地区を見下ろすことができる。
パルタル庭園で綺麗なお花を楽しんだ後、宮殿を出てホテルに戻った。
そして次の日にタラゴナに移る前段階としてパテルナのホテルへ。
グラナダからパテルナまでの間はスペインの中でも人が住むには厳しい地域で、わずかに生えたオリーブの木以外禿げ山が絶え間なく続く光景である。
およそ7時間のバス移動でこの日を終えた。
5日目 タラゴナ・モンセラート
今回の周遊旅行の最終目的地はバルセロナであり、マドリードからバルセロナをめがけてスペインを囲うように巡っていく。
カタルーニャ地方にあるタラゴナはスペインの中でもローマ帝国時代の面影を残す歴史情緒あふれる海辺の街である。
タラゴナの古代遺跡は世界遺産になっており、外国人にとってのスペイン旅行ではマイナーな観光地だが時間に余裕があれば立ち寄りたい。
港のある市街地から4kmほど離れた陸地にローマの水道橋が現存されており、5日目はこちらの観光でスタートを切った。
この橋だが実は橋の上に1mほど細長い通路があり写真を撮ることもできる。
高さ27m、全長217mとかなり大きな橋がこうして20世紀以上も存在し続けているのはなかなかお目にかかれないと思う。
その後市街地に出向き、バスで降り立った場所のすぐそばには巨大な円形劇場があった。
ランチまでフリータイムが1時間ほど設けられたが、「ローマにもコロッセウムがあるからここは近く行っても足場悪そうだしもういいか(笑)」と思った私たちは、ちょっと歩いたところにある大聖堂へ向かう。
壮大なエントランスに反して中は少しカビ臭かった(笑)が、中庭(パティオ)の方はスペインなのにハリーポッターに出てきそうな回廊を見かけて少しテンションが上がった。
ランチを取った午後は110kmほど離れたモンセラートへと向かう。
モンセラートとは、ギザギザの(ノコギリ)山という意味でありその名の通り鋭く尖った岩の塊で構成された山に囲まれた地域だった。
バスで向かう途中の道から見えた山もギザギザすぎて、魔王が住んでいそうな山だなーと思ったくらいである。
ここモンセラートという山には何があるかというと、カトリックの聖地であるモンセラート修道院である。
カタルーニャのキリスト教信者はこのモンセラート修道院に安置された聖母マリアの銅像を拝みに巡礼のため足を運ぶという。
ちなみに今回のツアーでは、聖母マリア(通称黒いマリア)の銅像の見学部分がツアー料金に含まれていないため、私たちは事前に所定の時間に予約を入れていた。
着いた先はまさにギザギザの岩を切り分けて作ったような修道院だった。
大聖堂に入ると部屋がいくつも分かれており順番に辿っていく。
ステンドグラスがとても綺麗な部屋や、ビザンツ帝国っぽい金ピカのキリスト教壁画もあり、スペインらしいというより様々な文化圏のキリスト芸術が入り混じっている雰囲気の教会である。
ここでのフリータイムは1時間ほどだったので、お目当ての黒マリアとも写真を撮り夫婦円満の祈りを捧げたあとは綺麗なキャンドルを見て大聖堂を後にした。
モンセラートからはバルセロナまでは1時間ほどで着く。
モンセラートを出た瞬間、大雨が降ってきて「これ明日のバルセロナ観光は厳しいかもな、、、」と思いつつバスに乗っていた。
このタイミングで旦那氏は実は熱もあり体調を崩していた。
4日目に止まったホテルの空調が合わず喉が乾燥してしまったのだ。
(今思えばコロナだったかもしれないと語っている)
この日は喉飴を大量に舐めていたが風邪の症状は良くならず心配だったのだが、バルセロナのホテルにチェックインした途端にサッカーショップへと向かった。
その次の日の大半は観光スケジュールが組まれており、フリータイムも日中はガウディのその他の建築を見に行く予定だったので、この機会を逃すまいと一人FCバルセロナショップでユニフォームを買うその執念には驚いた。
ちなみにこの日と次の日泊まったバルセロナのホテル・ラディソンブルは綺麗でサグラダ・ファミリアからも近く、次の日の観光前にフライングして夜景のサグラダ・ファミリアを見に行ってから床に着いた。
6日目 バルセロナ
スペイン旅行でバルセロナに行かない人はあまりいないだろうというくらい言わずと知れた有名観光地。
残念ながら先日の予想通り観光最終日の6日目は雨時々曇りだった。
そのため、晴れた状態でサグラダ・ファミリアを見るためにこの建物が完成したら再び訪れようという決意が固まった。(一体何年後に行くんだよという話だが笑)
1日の始まりはまずはサグラダ・ファミリアから。
目の前の公園の足場が悪く写真を撮るのが大変だったが、外観全体を画角に収めるにはそこから取らないと入り切らない大きさである。
サグラダファミリアの建築パーツの話をここで語るとこれもアルハンブラ宮殿同様キリがないので、ぜひ訪れる際にガイドブックを読み込んで欲しいのだが、印象的だったのは正面ファサードにある蔦の彫刻の扉は日本人アーキテクトの外尾悦郎氏が手がけたものだそうだ。
中に入るとこんなに天井が高い建物に入るのは生まれて初めてというくらい大きな聖堂が控えている。
そしてステンドグラスは、寒色〜暖色とそれぞれの窓のグラデーションが絶妙に調整されていて鮮やかでとても美しかった。イギリスなどで見られるゴシック建築の教会よりも、窓枠のデザインが丸みを帯びているのもサグラダ・ファミリアの特徴だと思う。
雨の日でも日の光が差し込んで綺麗だったので、晴れの日はもっと綺麗だろう。
サグラダファミリアは内部も凄ければ、外部のファサード(正面の意)の意匠も凄まじいのだが、それぞれのファサードは担当建築家の個性が出ていた。
入口の生誕の門のファサードは今にも動き出しそうな躍動感のある彫刻が特徴だが、その反対の受難の門のデザインは直線的でカクカクしたデザインとなっている。
ちなみに受難の門はキリスト教の受難のストーリー以外にも正面はガウディ本人も登場しているという裏話を聞いて面白い!となった。
サグラダ・ファミリアの観光が終わると少し歩いてカタルーニャ音楽堂の外観を見たところでその日は解散となった。(その時は工事中でカタルーニャ音楽堂は見れなかった。)
体調の悪い旦那氏だったが、最終日まで来たらもう全て観光し尽くす勢いで一緒に午後の予定を考える。
少し時間に余裕があったので、旦那氏はCamperで運動靴をお買い上げ。
そして腹ごしらえにカタルーニャ広場近くの人気店Ciutat Comtalへ。
日本人ガイドさんがバルセロナでおすすめしてくれたスペインバルである。
正直なところ、ツアーで料金プランに含まれていた料理で美味しい!と思ったのはこの日まで1つもなかった、、、。
そのため「スペインって意外とご飯が美味しくない国なんだな」と思い、
旅レポにもご飯がほとんど登場しなかったのだがこのお店は違った。
(1日目で食べたTボーンステーキも有名料に対して味は微妙だった)
やはり大都会バルセロナは競争力があり接客と味のレベルは他地域に比べて圧倒的に高い。ちゃんと注文も英語が通じるし。
いくつかピンチョスを頼んだがお気に入りは3つ。
特に焼きいちじくは帰国後に家で再現しようとしたが、あのちょうどいい食感にどう頑張っても辿りつかないくらい美味しかった。この後夜もイカスミパエリアを食べに行ったのだが、フリータイムで自分たちで行ったお店の方が美味しかったという裏話である。
そして、バルセロナといえば名匠アントニオ・ガウディが手がけた建築が名観光スポットであり、行けるところは全部行こうと予約を入れていた。
まずはカサ・バトリョから。
私が行ったガウディ建築の中で一番のお気に入りである。
曲線のフレーム感とどこか海やモネの睡蓮をモチーフにしながら、カラフルなタイルやガラスが多数中に散りばめられていてとても可愛らしい。
こんな絵本みたいな世界観で住んでいたバトリョ氏の財力にはため息が出そうだ。
カサ・バトリョのフォトスポットのハガキは記念にたくさん買っておいたくらいここはお気に入りである。
続いての二つはお時間の都合上、外観だけの見学になってしまったのだがカサ・ミラとカサ・ビセンスもお目にかかれた。
カサ・ミラとカサ・バトリョは曲線が軸となっていて外観は似ているな〜と思ったが、カサ・ビセンスだけ全然違う人が作ったのではないかと思わせるようなカラーリングと直線だった。
ガウディは建物によってテーマや世界観づくりを細やかに使い分けていた人なのだと窺える。
そして、夕方になる前に私たちはガウディのもう一つの傑作へと向かう。
グエル公園である。
ガウディの大スポンサー・グエル伯爵の名を冠した公園はかなり広く、少し街から外れた場所にある。(ちなみにグエル氏はお金持ちすぎて、グエル邸というお家も別途市内にある)
しかし、バスで降り立った停留所が正門ではないところだったのか間違えて右入口から入る羽目になってしまった、、、。
なんとか入れたものの、今度は園内の位置関係を把握しておらず同じ場所を行ったり来たり肝心のフォトスポットになかなか辿り着けない。
以前ここを訪れた友人たちが絶賛していたのでとても楽しみにしていたのだが、このルートの分かりづらさと雨で私たちのグエル公園の思い出は期待値を下回っていた(笑)
気を取り直して、波打つベンチのある広場までたどり着いた時はこれぞグエル公園という場所に来れて嬉しかった。
やはり公園は晴れの日向けスポットであり、モザイクタイルの椅子が雨に濡れて座れなかったのが悔やまれるが、ウン10年後のバルセロナ観光でリベンジしようと思う。
そして見どころの中央階段へ。この辺りになってくるときちんと写真を撮り始めたくらいだった。
日が落ちる前にグエル公園をギリギリ見学し終えた私たちは、市内バスでブゲリア市場付近へと戻った。
そして先にも述べたように、新婚旅行最後の晩餐はイカスミパエリアとベルペッパーフライ、タコのピンチョスをワイン片手に美味しく頂いた。
7日目・8日目 バルセロナ〜フランクフルト〜羽田
この日は終日飛行機移動だった。
スペインの名物である生ハムは残念ながら持ち帰ることができないので、
バルセロナの空港のマックで生ハムサンドイッチを最後に食らいつきスペインの地を飛び立った。
今回の旅では、私たちと同様に新婚旅行で来ていたご夫婦や、ご家族で来ていたりみんな出身もバラバラでこのツアーがなければ出会うことはなかったであろう方々と1週間行動を共にした。
その後連絡を取るほどの人たちはいなかったが、お互い写真を撮り合ったりテーブル相席で話したりととてもいい人たちが多くて助かった。
スペイン語堪能な日本人ガイドさんにもたくさんお世話になりなかなか充実した新婚旅行だったと思う。
今後の家族旅行では、旦那氏が長期旅行で体調を崩さないよう体調管理とご飯のチョイスは良いものにしようと思える旅であった。
ウェディング実録、番外編のような新婚旅行編はいかがでしたでしょうか。
ここまでご一読いただきありがとうございました。
次回以降は結婚式準備についてご紹介できればと思います。
今後も楽しんで読んでいただければ幸いです。
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