夫の転勤で不登校経験のある娘が転校した話


夫の転勤がきまり、単身赴任だった夫と一緒に住めることになった。

つい最近まで不登校だった小4娘は「転校」を選んだ。

「転校して大丈夫なのかな?」


それでなくても不安定なのに環境をかえていいのか。

母親として、迷いもあった。
不安もあった。

でも、こういう選択に、正解はないんだということはわかっているから。

娘は、パパと暮らすこと。
そして転校すると決めたのだから。

その意思を尊重する。

小4娘にとっては2年ぶり2回目の転校となる。

前の学校では、転校した2年生の時のクラスが荒れていた。
3年生の時は、先生が「お仕置き」というか・・
忘れ物やルールに外れたことをする時に「ペナルティ」という概念があった。(休み時間無しのようなレベルのもの。そして言葉はかなりキツめに叱られていた。)

この学校での生活に娘はすごく疲れてしまっていて、「学校は怖いもの」になっていた。
だから、転校したい気持ちが娘の中にはあったんだと思う。

私にも、学校かわったら行けるようになるのかな・・という気持ちが少しはあったのも本音だ。

(もちろんそんな単純なものではないとわかってはいるけど、、、)

***


そして、転校して2週間が経った。

娘は、ちゃんと不安定で不安そうだ。

ちゃんとね。

2年前、小2で転校した時は、娘はすんなり学校に行った。
当時から、多少の行き渋りはあったが、娘の中でも私の中でも学校には行くものだったから、荒れているクラスの中で、娘は自分の心や体の声を閉じ込めたのだろう。

閉じ込めた結果我慢の限界を超えた結果が、翌年小3になってからの不登校だったと思っている。

子供達の中には、SOSを外に出せない子もいる。
自分の中のSOSに気付けない子すらいる。

このくらいなら大丈夫。やらなくちゃ。
知らず知らずのうちに自分の声を無視するのだ。

そして、娘がそうであることに、私は気づかなくて。
「転校してもいけてるね!すごいすごい」と褒めてきた。

それでますます娘は自分のSOSを出せなくなっていたのかもしれない。


今の娘は、

「緊張する。明日が来ちゃう。やだやだ。」
「もう限界超えてるよーー」

そういって布団をかぶって眠りにつくような毎日だ。

親としては聞いていて胸が苦しくなるような言葉ばかりだ。

だけどその一方で、

不安を感じられる。
自分の気持ちを吐き出せている。

それにホッともするのだ。

もっと言っていいんだよ。
発散していいんだよ。

背中をさする。抱きしめる。
沢山甘えさせる。

「大丈夫よ」と声をかける。

それは、「学校には行けるよ。大丈夫よ」ってことじゃない。「あなたならできるよ」ってことじゃない。

「あなたはそのままで大丈夫よ。不安で緊張して、嫌だ嫌だという。そのままで良いよ。」

そういうことを伝えてる。

楽しく学校に行って欲しい。
親だからもちろんそう願う。

だけど、嫌のままでもいいよ。

学校に行きたくない娘は、そのままでいいよ。

今はそう思える。

簡単に書いてるけど、そう思えることって本当に本当に本当に難しい。
こう思えるまでに、何度も何度も私は泣いた。

転校してからも朝起きると娘はとっても不安そうにする。
私は毎日娘の希望で、教室まで娘と一緒に登校する。

だいたい朝の会が始まる前に「ママ帰って大丈夫だよ」と言われる。

しかし、日々「帰っていいよ」の時間は早くなっていき、今朝は校門の前で、「ママここまででいいよ」そう言われた。

転校したこの2週間で、娘の使う言葉が変わってきている。

「学校怖い。」ではなく「学校イヤだ。」に変わっているのだ。

この差はとても大きい。

「まだわからないこともたくさんあるからイヤだなぁって思うこともたくさんある。途中から入ってるから、思い出もないし、当たり前のことがわからないし。でも、怖いなぁってなくなったんだ。嫌なこともたくさんあるけど、楽しいもたくさんあるんだ。」

昨晩寝る前に娘がこう言った。

かつての私なら「転校したばかりでそう思えるのすごいね!!!」と喜んでいたであろう。

でも、今は違う。

「その自分の気持ちに気づいてどう思う?」と聞いてみた。

「私変わった。頑張ってるんだなぁ。すごいよね。」と答える娘。

「うん。娘自分の気持ちに気づけていて、そう思えるようになったこと、すごいって思う。自分をたくさん褒めてあげて、ねぎらってあげられてるね。」

そう答えた。

なんというか、私の中でこの子に対しての反応というのだろうが・・彼女の発言でジェットコースターみたいに揺れ動いていた気持ちが、高低差が振り幅がとっても小さくなっているのだ。
それは悪い意味ではなく。
一喜一憂しなくなっているのだ。


この子と私は別の人間だと。
そう思えるようになったからなのか。

この子は大丈夫なんだと、芯の部分で思えるようになっているというか。。


もちろん、すんなり学校に行ってくれたらどんなに楽だろうとも思う。
もちろん、思う!!!

でも、それは自分目線での話。

朝の時間がどれだけ自分のために使えるのだろうとか。
登校に付き添うのが単純にめんどくさいなぁーとか。

そのレベルなのだ。


そもそも、娘が学校という制度自体を心から楽しめる時なんて来るのかなぁ?
朝、学校楽しみ!!ってなる時なんて来るのかなぁ?
(少なくとも娘に合った学校を自分で選べない期間はキツイんじゃないかぁ・・)

娘はどんなに朝辛そうにしていても、学校にいる間は楽しそうにしているらしく、先生からも「学校行けてない期間があったなんてびっくりです」と言われた。

でも、これにもまた私が一喜一憂して、大きく反応することはない。(学校と家との態度の差ってあるあるだったりするし、、)

だとしても、学校はイヤで、朝はだめなのだ。

これをなんで?と理由を探してもしょうがない。
行って楽しめてるなら、だったら学校って楽しいものだよね、朝も行けるよねと、そんな単純なものではないのだ。

ダメなものはダメだから。

「学校に行く」という行為への、娘の反応?反射?なのだろう。

その反応が変わる時が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

それでいい。

そして、この反応を変えようと、私が何かするってことはないのだ。

***

不登校経験のある子が転校してみて、私が感じたことはこんな感じだ。


不登校という経験を通じて、そして転校という環境の変化を通じて改めて感じたのは、

親は子供のために何かをしてあげるものだと思ってきたけど、
子供のためにやれることは、そんなにないってこと。

あなたはそのままでいい。
そのまま、そこにいることに価値があるんだ。

私ができることは、そう伝えること。
そして、「大丈夫だよ」といつでも言ってあげられる自分でいること。


当然のことながら、
私もまた、引っ越して新天地での生活がスタートしているのだから。

私は私の人生を生きることに一生懸命になろうと思う。


私がそうあることが、娘にとっても一番良いことで、大切なことだと思うから。


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