2a-2. 読解方針:主導的な問いを文書について問う 1/3 —量的構成—
前エントリでは、読書会当日以前におこなえる三つの準備作業のうち、[B1-a] 量的構成を確認し、[B1-b] 各章の課題に関する宣言や問いを抽出する、という作業を紹介しました。この項では、これらの作業を行う意味を、「そこで何が行われているのか」という主導的な問いに照らして解説することで、本会で採用する読解の基本方針*の抽象水準を一段下げることを目指しましょう。
* 本会の基本的な読解方針は「実践の記述を行いながら文書に臨む」というものでした。
1. 予備作業の意味1(なぜ量的構成を確認したか):「目次を読む」をする
1-1. 「目次を読む」をする:行為の予告と行為の帰結
[B1-a] では表計算ソフトに目次を書き写し、ページ数からグラフを描きました。これはまずは、「目次を読む」という作業の手助けを狙っています。
目次を読むことの重要性はしばしば語られることですが、しかし目次は文章ですらないシンプルな文言の集積であり、そうしたものを読むのは、実は難しいことです(長い文章よりも短い文章やメモのほうが手掛かりが少ないのですから、短いものの方が「きちんと」読むのは難しい、とは一般に言えるでしょう)。目次が、その文書を読む前に読者に見せるよう文書制作者が意図して先頭に置いたものであるのに対し、量的構成表は、執筆という行為によって意図せず生じた結果の集積です。目次と分量を並べると、行為の予告と行為の結果を対照することで、想像力を限定的に働かせることができるようになるため、短いメモを読む難点は少しだけ緩和されます。
量的構成表は、読むスピードのコントロールにも使えます。この読書会では、対象書籍を事前に三周するというハードルを課していますから、まず最初は「とにかく読み終わる」ことを目指していただかねばなりません。量的構成の把握は、たとえば「分量の多いところは、覚悟を決めて少し速いスピードで読む」といった心づもりのコントロールにも使えます(読む際のこうした心づもりは、いま読んでいる300頁以下の書籍ではあまり大した効果はありませんが、600頁級、800頁級といったサイズの書籍に取り組む際には なかなか馬鹿にできなくなります)。
1-2. 解釈学的循環
私たちの暮らしに広く関わる──ので、文書を読むことにも関わる──よく知られた「解釈学的循環」と呼ばれる事情があります。これを引き合いに出すと、目次について語れることをもう少し増やすことができます。解釈学的循環にはさまざまな定式化が可能ですが、ここでは以下のように定式化しておきましょう:
これは証明ができるような主張ではありませんが、強く反対する人もいないでしょうから、ここではトゥルーイズムの一つとして提示し、自明な前提として扱って先に進むことにしましょう。ここで解釈学的循環を引き合いに出したのは、「目次」というのが書籍の〈全体〉構成の提示を行うものだからです。目次の意味を的確に理解するには内容の理解が必要なので、そのこともあって、目次を読むのは難しい。にも拘わらず、これから〈部分〉(である各章)を読んでいくためには、目次という〈全体〉の提示を踏まえておくことがぜひ必要である。──このように、目次は、我々が有限な存在者であることから生じる原理的に解決できない課題の例に(そしてまた課題への対処策の例にも)なっています。「解釈学的循環」とは、この原理的な解決不可能性を「循環」という形で綺麗に定式化したものなのでした。ところで。
「目次」は「全体の提示」の典型例の一つですが、この例を使うとすぐに、次のトリヴィアルな指摘ができます:
「目次」は、その文書〈全体〉のなかから、一部の特徴的な文言だけを〈部分〉的に抜き出したメモであり、それ自体は「文書全体」ではありません(あたりまえ)。「全体の提示」というものは、原理的にこのように行われるしかないものです(頑張って原寸大の地図を作ってみても地図としては使えない、というのと同様に)。「全体として提示される部分」というこの特徴を使うと、他にもそうした例があることに気づいたり、新しい策を考え出したりすることができます。予備作業において作成したページ数の量的構成表もまた、「全体の提示」の一つのやり方です。分量比の表・グラフは私たちが勝手に作ったものではありますが、しかしこれによって私たちは「全体」の把握の仕方を増やしたことになるわけです。
解釈学的循環に注目すると、ついでに、「文書全体を三周すること」という指令もまた、「よく理解できないままであってもとにかく書籍の〈全体〉に目を通してしまうこと」を狙って設定されたハードルであったことが理解されるでしょう。というわけで、「目次を読む」も「分量比を把握する」も「とにかく読み終わる」ことも、すべて、解釈学的循環を睨んだうえで、それへの対処を考えた際に思いつく複数の対処法なのでした*。つまり、「スタート地点になるべく近いところですぐに、薄くてもいいから・とにかくなんらかの仕方で〈全体〉に触れる」ための手立てを複数用意し、それらを組み合わせて使おうとしていた、というわけです。
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