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2a-3. 読解方針:主導的な問いを文書について問う 2/3 —第二水準の要約—

 前エントリでは、[B1]「予備作業ファイルの作成」作業の内の [B1-a]「量的構成の確認」について、それを行う理由を、目次を読むという作業と関連付けて解説しました。このエントリでは、同じく目次を読むことのハードルを下げるために使える追加手段として、[B1-b]「各章の課題に関する宣言や問いを抽出する」作業について解説します。

2. 予備作業の意味2(なぜ課題の宣言や問いを抽出したか):「目次を読む」をする2

 予備作業[B1-b] は、書籍から、その書籍が取り組む課題や問いを提示している箇所を抜き出す作業でした。戸田山和久『思考の教室』から、序章末尾と各章先頭を取り出したものを再掲します:

序章末尾

本書は二部構成になっている。第I部は基礎編だ。原理編と言ってもいいかな。「じょうずな思考」とは何かに答えを出すこと、そして、私たちはそれがヘタクソだということに気づいてもらうこと、この二つを目標としている。第II部は実践編もしくは応用編。私たちはもともと、じょうずに考えられるようにできてはいない。この苦い事実を噛みしめつつ、とはいってもいつまでも噛みしめているわけにはいかない。私たちはもって生まれたアホさ加減を脱却しないといけない。どうやるか。コナンが阿笠博士の助けを借りるように、私たちも様々な補助手段を使って思考の力を増強すればよい。第II部はこのためのノウハウをキミたちに身につけてもらうことを意図している。 

戸田山和久『思考の教室』(NHK出版、2020年)序章第6節「本書の構成と利用のしかた」第1段落

各章先頭

2-1. 序章の末尾では何が行われているのか

 さて。このうち、序章末尾第01段落では*何が行われているのでしょうか。──答えは明白ですね。 
 この箇所は、この本が何を・どんな順番でおこなうかを記しています。この箇所を最初に読むとき、読者はまだ本書を読み終わっていないのですから、文書作成者は、読者がこの部分を予告として読むだろうことを踏まえて書いているでしょう。そして、文書作成者は、こうした予告を行うことによって、読者を誘導しようと(=読み始め・読み進める手助けをしようと)もしています。またこれは、文書作成者が、これから読まれる部分にどのような構成をもたせるつもりなのかを提示した宣言でもあります。なにしろ自分でこのように記したからには、文書作成者はこの先、この記載内容に拘束されることになるわけですから。別言すると、文書作成者は、こう宣言したことによって、それを成し遂げることに失敗する可能性を持ったことにもなります。これに対応して読者の方は、文書作成者が自分が宣言したことを首尾よく成し遂げているかどうかを気にかけながら読むべきだ、ということにもなります。が、「成功しているか」の手前でまず確認すべきなのは「実行しているかどうか」です。なにしろ自分で宣言したことを実行しない文書作成者は実際に少なからず存在するのですから・・・

* 各章の先頭の方でも同様に、その章で行うことが予告されていますが、加えて、それ以前の章に対する回顧や、複数の章の関係の提示も行われています。

 このように、文書作成者が自分が取り組もうとしている課題の提示・宣言を行っていることを──そしてまた「宣言・提示された課題が実際に実行されているかどうか・成し遂げられているか」を──気にかけながら読み始め・読み進めることによって、読者は、〈文書を、その文書が自らを与えている仕方に即して読む〉という読み方の最初の一歩を踏み出すことができます。言い換えると、「自分にとって大事に見えるところを拾い読む」とか、「自分の興味関心に引きつけて読む」とか、「自分の経験や問題意識に照らして読む」とか、「自分自身の考えと比較しながら読む」といった読み方から卒業するための第一歩を踏み出せることになるわけです。

 以上で、本会が読解方針のために使う主導的な問い [P2]「そこで何が行われているのか」への答え方の例を、もっとも簡単には与えることができました。

 この例では問いに答えるのは極めて簡単でした。なぜなら、文書作成者自らが、「自分がやろうとしていることを言葉にして述べる」という活動をおこなっていたからです。先述のとおり、自分や他人が やっていること・やろうとしていることを わざわざ言葉にして述べることを、エスノメソドロジストは「定式化実践」と呼ぶことがあります。定式化実践は我々の社会生活における ごくありふれた振る舞いですが、しかし特殊な振る舞いでもあります。我々の多くの振る舞いは、それが なにごとかa を示すために行われる場合ですら、「何かb を為すことによって、何かa を示す」というかたちで行われます。「なにをしているか を言葉で述べる」という活動は、そうした諸実践に挟み込まれる形で──一連の実践の小さな部分として・一連の実践の制御を狙って──使われるのが普通です。つまり、この例は、特別にわかりやすい例ではあったけれど、特殊な例でもあった、ということなのでした。ともあれ、答え(方)の例を一つは示したところで先に進みましょう。

2-2. さらに「目次を読む」をする

 ところで、序章末尾第6節の第1段落における書籍構成の宣言を目次とセットで並べると以下のようになります。

 当たり前のことですが、こうして並べればすぐにわかるように、書籍構成の宣言は、目次を一歩敷衍したものであり、したがってこれもまた〈全体〉の提示の仕方の一つです。文書作成者の促しにしたがってこれを活用すれば、読者は、負担が大きくなりすぎない仕方で、目次をもう少し詳しく「読む」ことができる、というわけです。

2-3. 実践の階層的構成

 ところで、「文書制作者の宣言に注目する」という方針をとると、この本の場合、序論の先頭の一文も*宣言になっていることに気づきます。
* ここでは省略しますが、第1節「これが本書のねらいだっ」の末尾も同様です。

こんにちは。この本は「考える」ということについての本です。

戸田山和久, 2020.

これを序論末尾と上下に並べてみましょう。

これらの間には、次のような関係があります:

  • この本が [U]「考える」ということについての本として実現されるためには、下層の二つの部品 [L1][L2] を必要とする。上層の目的は〈下層の部品二つを・この順序で配置する〉という手続きによって実現される。

  • [L1a]「じょうずな思考とは何か」という問いに取り組むのは、それが [U] 考えることについての本を作るための部品となるからである。

  • [L1a]「じょうずな思考とは何か」という問いに答えを出そうとするのは、それが [L2] 思考の力を増強するためのノウハウを紹介するための準備となるからである。

もう一歩抽象的に表現すれば:

  • 上層は、下層の集合に対する要約を与える。

  • 下層は、上層に対する手続(部品とその配置)を与える。

  • 上層と下層は、相互に支え合うかたちで成立している。

 いま私たちが見ているのは書籍冒頭に置かれた予告ですが、仮に文書作成者が宣言した通りにきちんと仕事をしており、予告が実行されていなたならば、本書について以下のような紹介文が書けることになります:

  • 【要約的記述】本書の主題は思考である。

  • 【手続的記述】本書はこの主題に、[L1a]「じょうずな思考とは何か」を明確にし、[L1b] 私たちが考えることが下手であることを踏まえたうえで、[L2] 思考の力を増強するノウハウを提供する、という仕方で取り組んでいる。

 要素がこのくらい少ないと、わざわざリストに書き出すほどのことはなく、ありがたみも感じられませんが*、ともかくも、本書の最上層となるテーゼを要約的記述として、そのすぐ下の階層を手続的記述として取り出すことができました。「本を読み進める」という活動は、この同じやり方で・この延長線上で、つまりここから階層を下へと降りていくかたちで、実行していくことができます。──これで私たちは、私たちの読解方針にたどり着きました。

* と、書きたいところですが。実際に読解のトレーニングの場を設けてみると、この最初の一歩のところで躓く人は少なからず登場するので、やはりここから述べておかねばなりません**。
** トレーニングの場を設けてみるとわかるもう一つのことは、ここまでブレークダウンすれば躓く人がいなくなる、というわけでもないことです。

次回:2a-4. 読解方針:主導的な問いを文書について問う3/3—読解方針—

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