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「つたえる」 と 「つたわる」

ブログ才能まるで無いけど再開することにしました。再開と言ってもこのnoteも2年ぶり。やってたとゆうレベルではなく3日坊主で終わってたので再開も何も無いのだけど。。。10年くらい前からはてブもアメブロもそんな感じで継続出来なかったので本当に才能が無いんだな〜とつくづく分かっていながらも何故このような記述を始め流のか?は「思うことあって」と言うしかない。その思うこと3つの理由を書き出してみてせめて2年くらいは継続させる動機付けにしたい。

1. ストーリーが一人歩きしないためにここ数年なぜか大学や専門学校で講師依頼があったりTV出演の機会がある。そんな時に備忘録としてもそうだけどレジュメとして何かを論じてまとめてたりするとショートカットに役立つ。また限られた時間の中でだと編集する、編集されることがあるので物事の本意が十分に反映されないケースがある。ただ切り取られたキャッチーなワードだけでなく前後のストーリーがあることを残しておかないと言葉に語弊があり真意では無い。


" だれかが僕の邪魔をしても
きっと君はいい事おもいつく
何でもない事で
僕を笑わせる
君が僕を知ってる "


RCサクセションの名曲「君が僕を知っている」のように切り取られた断片だけでなく奥にあるトゥルーストーリーを分かっていてくれる人がいるのといないのとでは日々のモチベーションが変わってくるw性格的に結構受け流してきたのだけどそろそろリミットオーバーなのか?何かの節目か?襟を少し正して行こうかと思う今日この頃。

現在、正社員パートアルバイトさん合計25人が弊社や直営店舗で働いています。東京渋谷アトリエ&ショップ、銀座、大阪、姫路アトリエ&ショップと6箇所の離れた拠点で日常業務やプロジェクトが平行していると、だんだん会ったことのないスタッフが増えてきました。履歴書などで名前はもちろん知っているし日報での記述の仕方からメンタルや仕事への姿勢を想像はしているのだけど会話したことが無ければ意思疎通の困難さが生じてくる。noteを垣間見てもらうことで少しでもその抑止力になればと願います。

2. オンラインの住人の話
ネット上でバンバン発言してインタラクティブに活動している人はオンラインでポジションを築いている。しかしオフラインでしか発言していなければネット上では存在が無いのと等しい。今の10代はTVよりもyoutubeを観て育った時間が長い。TV地上波でどれだけ露出していても観ない層にはまるで認知度が無い。
これと言ったオンラインでの活動が無いのでそろそろ存在しないとな〜と20代と話しているとそのギャップからヒシヒシ危機感を感じているのも事実。
このnoteをファッションやパッション、製造業や会社経営に小売業に関わる方々、アパレル関係やプロダクトデザイナー、学生やこれから何か始めようと思う人達にとって何かしらのヒント気づきキッカケになれば幸いです。まだ見知らぬ者同士でもいつお世話になるか分からないのが世の常。世界は広いようで狭い。上り坂、下り坂、「まさか」とゆう名の坂もある。決して平坦ではないこの道もどこかで未知の人との交差点がある。オンラインはそんな交差点をオフラインよりも容易に作り出しやすい特徴があるかな〜とゆうOJT実験でもあります。

3. プレゼンテーションの訓練として
要約してご説明しなければいけないケースが多々あるのにも関わらず最適化して人に伝えるとゆう日常訓練が無ければ、いざとゆう時に言葉が出てこない。「伝える」「伝わる」は大きく異なる。本人は伝えているつもりでも相手側には伝わって無いことが多々ある。「言ったよね?」と言ったところで伝わって無ければ言って無いのと同じこと。「伝える」と「伝わる」の間はココと地球の裏側くらいの距離がある。
そもそも説明とかプレゼンテーションって一方的では意味が無い。しっかり伝える訓練を普段からしていないといけない。学校で習った数学の方程式や歴史の年号なんてのはテストが終われば忘れてる。しかし友達と話たアホな会話やバイトしてお金貯めて観に行ったライブはすごく覚えている。その違いは?頭で覚えたのか気持ちが呼応したのかの違いかな〜と。よくある商品説明でスペックや機能のことを言われたりマニュアル通りだったらすぐに忘れてしまう。しかし本音の発言やその人でしか知り得ないこと感情剥き出しの伝えようとする意思があると気持ちに訴えかけられて心のメモリーに刻まれる。人は気持ちが揺さ振られないと伝わらないし覚えられないのかもしれない。ブログ何度かトライしては続かなかった理由として「いいように思われたい」「ええかっこに見られたい」とゆうヨコシマな考えがよぎり当たり障りない文章だったり何ら変哲のないことで終始してた。そんな自戒も込めて。

花の美しさは一瞬
淡々と書き連ねられればいいのだけど、こうして心情を反映させるとどうにもこうにも恥ずかしい。自称、自傷羞恥プレイにも似てるwしかししかし、ああ〜これはいいこと思いついたな〜とか、ハッとしてGood!誰かにつたえたいな〜と思ってもメモって無ければ相当のことがないと覚えていない。花は寿命が短いから咲いた一瞬を愛でる。そんな思いつきの一瞬や真意やストーリー、その裏にある汗や涙をこのnoteに残せていけたらと願う。そしてこんな拙い文章力が時間をかけて少しでも「伝わる」ように育っていくことも。拝


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