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「完全版 社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」を読んで

生活サイクル的な理由なのか、激レアさんを連れてきた、という番組にやたら遭遇します。「激レアさん」なだけあってゲストは逸材の素人さん、弘中ちゃんは言わずもがな天真爛漫自由奔放の天才で、それに対して一つ一つ的確にコメント・ツッコミをしていく若林さんを見ていると、テレビってやっぱり選ばれし者しか出られないんだな〜〜〜と何とも言えない気持ちになるのです。

自分で言うのもなんですが、わたしも昔はリアル(死語)も写メ日記(死語)もブログもTwitterもゴリゴリのブイブイ(死語)で、短文ポエムから小説・コンサートレポまで複数アカウントを使いこなすほど、とにかく文章を書くことが好きでした。
ただ最近このnoteを始めてからアウトプットの衰え、もはや才能のなさに絶望していて、本読まなきゃな〜と思っていたところにたまたま友人芸人のネットラジオを聴いて、数年ぶりに自ら向かった本屋で、更にたまたま目当ての本がなく、近くにあったこの本が気になったから買っただけ、なんですけど。

結論から言うと、今出会えてよかった。

冒頭で話した激レアさんもそうなんですけど、番組の中に誰もが認める天才がたくさんいて、その中で若林さん自身もたった一言で笑いを取りまくっていても、でも彼は絶対にわたしたちに近いところにいる感覚がある。「わたしたち側」の人間であるという安心感がある。
その感覚の謎が、この本を読んでスッと解けた気がしました。

わたしも、相当に肥大化した自意識があると自覚しています。だってそれをこうやって、誰に向けたわけでもないブログで細々と書いて昇華させてるんだから。笑
エッセイとして読んでいくうちに、いつのまにか若林さんの悩みは自分の問題になり、答えの書いてある明確な箇所を探し、咀嚼し、順当に「大人」になっていく若林さんに置いていかれないように必死に読み進めている自分に気付きました。
そして三年目、四年目…と着実に変わっていく若林さんの自意識を見て、気づくのです。「ヤバイ、終わっちゃう」と。
今までずっと隣にいると思っていた若林さんはどんどん前に進んでいき、気付けばエッセイは物語になり、確実にクライマックスに向かって進んでいく。


そして知らぬ間に願っているのです、「終わらないで、置いていかないで」と。


結論、私はまだまだ大人の「側」すら被れていませんでした。ただ、些細な事に腹を立ててしまった時、他人を攻撃してしまった時、感情的になりすぎてしまった時、過去の自分との折り合いが付けられなくなった時。そんな時に開いて、なぞりたくなるような、そんな本に今出会えて本当によかったです。

そもそもこうやって色んなことを文章にしなきゃなって思い始めたのが、何か自分の考えとか行動に対する記憶力が最近皆無だなって思ったからで。自分がいつ何が好きで、それに対してどう思っていて、何をして、何を言って、みたいなことを全然覚えてないんですよ。色々聞かれても、ほんとにこう思ってたっけ?みたいなこととかも最近多いなって思うようになって。それでちゃんとアウトプットをしようって思い始めたんだけど、この本まさに思考過程のアウトプットのお手本みたいな本だなって思いました。
若林さんは20代をひたすら牛丼食べて時間の浪費ばっかりしていたって書いてたけど、その時代に考えてたことはきちんと覚えてるし、1~4年生まで、その時その時に考えたことがちゃんと文章にまとまって、まっすぐ進んでいくのが本当に気持ち良い。


だからこそ終わり方が切ない。当然の結果なんだけど、浸かれば浸かるほど切ない。エッセイが物語になってしまう。やっぱり若林さんは、選ばれし者なんだな。くそう。


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