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「どうにもならん」からはじまる世界

8月になった。

と、いう感慨もあまりなく、むしろ「娘のコロナが無事に明けた」ほうにホッとしている。
なんだか、この1週間の記憶があまりない。コロナってやつはさぁ、ほんとにさぁ。
家族内の感染はなく、これもまた本当によかった。やはり隔離と徹底的な消毒は大切である。

わたしは、昨日から仕事に復帰。

で、あんな暑い日に、11000歩も歩いていた。
たくさん歩こうと思っていたわけでもなく、いつの間にかそんな歩数に達していたのだ。

自宅~駅まで5分歩く~職場最寄り駅から徒歩15分~仕事する~市役所へ向かう(ケース会議)~駅まで徒歩15分歩く~市役所の最寄り駅から徒歩10分~ケース会議する~また駅まで10分歩く~職場までまた15分歩く……

てな感じで、職場と市役所を行ったり来たり移動してるだけで11000歩に達していた。暑くて疲れてるよりも、今日はふくらはぎがこってりと疲れている。しょんぼり。

市役所では、地域共生課の職員さんや寄り添い支援担当の方たちと一緒に、ある不登校の子の今後の連携支援について話し合った。
支援というのはそれぞれの事業所で「ここまではできるけど、ここからはできない」という線引きがあるもので、利用する方にとってはその線引きがとても分かりづらいものだと思う。だからこちらから連携して繋いでいく。
それぞれの機関の知恵を持ち寄ってひとりの人を支えていくことが、その人の人生を支援するために必要だとつくづく思う。

それにしても、足が疲れた。

「冷凍食品のチャーハンが食べたい」

猛然と、帰り道に思う。
あのチャーハンだ。自分が作ったチャーハンじゃなく、冷凍食品のあのパラパラしたやつ。

迷わず西友に寄り(あのチャーハンは西友には必ず売っている!)、目当ての冷凍チャーハンをゲット。

今夜はチャーハンを中心に献立を組み立てる。
春雨サラダ、麻婆茄子、点天の餃子(これも冷凍のを買って焼きました)、キノコとトマトのわかめスープ。

夏バテジャパンではあるが、「これが食べたい」と思ったものをタイミング逃さず食べるとちゃんと食べられるし、ムクッと元気のようなものが湧くよね。

・・・

親しくしている浄土真宗のお坊さんであるタマモトさんから、お寺のたよりが届いていた。毎月発行されている通信で、オールカラー。なかなか力が入っている。

表紙を飾る「今月の言葉」に、なんと今月は、ムーミンのリトルミイのことばが筆文字で書かれていた。

迷わないことが強さじゃなくて、
怖がらないことが強さじゃなくて、
泣かないことが強さじゃなくて、
本当の強さって、
どんなことがあっても、
前を向けることでしょ。前をね。

そうして、タマモトさんのコメントとして、

「(前略)そう考えると自信がなくなってきますね。どれだけ大変なことがあっても前を向くのは至難の業ですし、何も大変なことはないのに前を向いていないとなると「それで生きているといえるのか」と言われそうな気がしてきます。
ということは、結局人間には限界があって、自分で自分をどうすることもできない、弱いもの、となりますね。
でも、そういう私たちに、自分で自分をどうにもできないことが、どうにもできないもののままに、「はじまる世界」があるのだ、と教え導くのが仏教なのです。そこにこそ真の「強さ」があるのでしょう」

とあった。

「どうにもできないものをどうにもできないままにはじまる世界」。
そうなのかぁ、と思う。
そんな世界にこそ本当の強さがあるのかもしれんと思った。

信じて頑張れば夢は叶う!でもなく、
1万回だめでも1万1回目には…!でもなく、
「いやこれ、どうにもならんな」からはじまる世界。
「1万1回目もダメでしたわ」からこそはじまる人生。

わたしはそんな世界にひそむ強さをこそ信じたい。

しかしこのリトルミイの言葉はいいな。
迷っても、怖がっても、泣いてもいいから、その後は前を向こう、という。
ミイはかっけーな。昔から思ってたけど。

前を向きながらもいつしか後ろを向いていたりして、わたしたちは悲しみや怒りや絶望から完全に立ち直ることはできないかもしれないけど、それでもふっと、「よし、前を向こう」と、前方から吹く風を額に受ける瞬間があって、そんな時に人はほんのすこしだけ強くなるのかもしれない。と、痛むふくらはぎをさすりながら思うのである。