「ラ」の音を鳴らす人
日曜日の夕方に、夫とふたりで近所でお茶することが最近の習慣となった。
今年の春にわたしが鬱になり、そして5月には仕事も休職し、日曜にもどよーんと横になり続けているのを見て、夫が「一緒に外を歩いてみよう」と、散歩がてらのウォーキングに誘ってくれるようになった。
で、体力低下ですぐに歩き疲れてしまうわたしが「お茶をしたい(休ませてくれ)」と言い、ミスドとかドトールとかスタバとか、そんな感じのところでお茶をするようになった。
その頃、日々どよーんとしていたわたしにとって、お茶をしながら自分の凹んだ気持ちを誰かに話せることはとてもありがたかった。
夫は性格的にまったく「寄り添い・同情型」ではないのだが、心ゆくまで話を聞いてくれる器のでかさだけはある。
いま思えば、あの時間があったから鬱から割と早期に回復できたんではないかと思う。それくらい、人に自分の気持ちをありのままに話すこと、ただ聞いてもらえることって必要だった。
で、元気になった今も、日曜のお茶だけが習慣として残っているというわけだ。
もう散歩(ウォーキング)はしない。お茶だけ。
夫は動物のお医者さんをしており、普段はかなり忙しくてほとんど家にいない。休日も日曜だけだ。だからゆっくりと話ができるのはこのお茶の時間くらいだ。
夫はわたしが知る限りの人の中でもっともメンタル強者であり、気分が上にも下にもズレず、音楽で言えばずーっと「ドーーーーー」と鳴らし続けてる……え、ほかの音ないの?ドしか出ない楽器なの?みたいな人である。
豊かなメロディも奏ず、フォルテもメゾピアノもなく、クレッシェンドもデクレッシェンドもない。ただ淡々とドを鳴らし続けている。
そんな感じで夫は特に自分のことを語ることもなく飄々と生きている人なので、話すと言っても内容はほぼ、わたしの愚痴である。
今日は前回の記事にあった、「気にしない!」と心の中で叫ぶ羽目となった研修会での件について夫に愚痴愚痴と話した。
黙って話を聞いていたド、こと夫は、ひととおり聞き終えてから、「その件についてはあなたは120%悪くないね」と冷静にコーヒーを飲んだ。そう?そうだよね?やっぱりそうだよね?とスタバで興奮気味に詰め寄るわたし。「そりゃそうだよ」と、ド。
そういうドが近くにいてくれるということは、メンタルブレブレで山あり谷ありのわたしにとってはなんというか、ハタと、元の位置に自分を戻してくれる。
いま思ったけど、音叉のような人、つまりドではなく「ラ」かもしれない。(どうでもいい)
弦楽器の調弦をする時に基準となる音を鳴らす音叉ってありますよね。
ラの音を鳴らす人。
わたしは夫のことを、この世の中で一番に客観的にわたしを見てくれて、同時に一番に味方でもあってくれる人だと思っている。
客観的だけど味方でもある、というのはすごくありがたい。サラッとしていてベタベタしていない。
そういうベタベタしていない距離感だからこそ、長年一緒に暮らせているのかもしれない。
まぁ、ド(ラ)は普段は犬猫さんたちのことで忙しくしていてほとんど家にはいないのだが。
音叉のラの人は、届きそうで届かない、そんな感じがする人だと結婚して20年たったいまでも思う。
・・・
ところで今日は娘のことでとても落ち込むことがあった。
中学一年から4年間一生懸命続けていた部活を辞めたいと言い出したのだ。(娘は私立の中高一貫校に通っているので、本来なら6年間部活に所属できる)
というか、それを誰にも言い出せず、でも今日の部活に行きたくなくて悩んでお腹を痛くして駅のトイレに1時間半もこもっていたという、「プチ行方不明事件」を起こした。
顧問の先生から「お嬢さま(と、娘の学校では生徒なことを呼ぶ)が来ていないんです」との心配の電話がわたしにかかってきて娘が部活に行っていないことを知った。慌てて本人に連絡をとっても電話に出ない。しばしあれこれ慌てて、ようやく本人から連絡があり、最寄り駅のトイレに一時間半もこもっていたことが分かったのだ。
なにも駅のトイレで1時間半も悩まなくても……!と思うのだが、わたしの娘はとても正直者で、適当に嘘をついて休む、とか、そういうことができない。というか嘘をついたところを見たことがない。
だからきっと、心配させてしまうことを懸念して「部活に行きたくない」と言い出せず、でも行きたくない気持ちに身体が反応して具合が悪くなってしまったのだろう。
かわいそうなことをしてしまった。
家に帰ってきてから、行きたくないなら辞めてもいいんだよ、部活なんて無理してやることではないよ、と話したし、本当にそう思っている。
でもその一方で、ここまで4年間、一生懸命に打ち込んできた部活だったのに、本当ににいますっぱり辞めてしまうのでいいのか?とも思ってしまうのだ。
でも、娘はふたつの部活を掛け持ちしており、高校になって授業も難化してすべてを両立することは大変そうだなとは思っていた。おそらく、ここにきてパンクしたのであろう。
部活を辞めたいという気持ちをよくよく聞いて、それならそれでもいいと思うよ、と話した。
本当は、今日が部活のコンサートの本番だった。昨日のリハーサルに、お腹を痛くして行けなかったのだ。わたしも本番の演奏を楽しみにしていたから、そのプレッシャーもあっただろう。
「辞めてしまって、がっかりさせてごめん」
と言う娘に、家族はあなたの味方なのだから、あなたがつらかったり苦しかったりすることが一番つらいし、辞めて楽になるならそれがいいと思っている。がっかりなんて全然しないものだよ、と伝えた。
もうひとつの茶道部は続けたいという。
それならそれでいい。
あなたの人生なのだからあなたが決めていいんだよ。
トイレで一時間半、どんなことを考えながら、腹痛に耐えていたのだろう。
もっと器用に立ち回れるようにならないとこれから困るんじゃないかなとか、そんなことも考えてしまう。不器用で、真面目すぎて、この先大丈夫だろうか。
それにしたって娘の人生なので、娘が自分で歩んでいかねばならない。
わたしにできるのは、夫がしてくれたように、話を聞くこと。ごはんを作って元気づけること。そして客観的でありながら一番の味方であることなのかもしれない。
娘にとっての音叉のラを鳴らす人でいられるように。
今夜はハヤシライスと、サラダ。
娘が明日はちょっと元気でありますように。