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人には伝わらない感情、だからこそ尊い

私は文章を書くのが苦手で
noteを書くときも割と気合を入れて書いてる。

というのも、
この気持ちをどう言葉で表せばよいかわからないことが多くあって
「きらきらというよりキラっって感じ」
「角がある感じじゃなくて、もう少しカーブがあるような」
そんな言葉を多く使っていて、

私の話す言葉は
『〜という感じ』
『〜のような』
『〜よりはこういうイメージが近い』
と、抽象的な言葉が多く出てくる

これらを文章にしようとすると、表現が断片的になってしまいそうで、自分の語彙力の乏しさを恨みたくなってくる…

それでも、伝えたいという気持ちが湧いてきて
このようにnoteを書いているのだけど、
この感じをどう言葉に変換すれば良いかわからなくなって、結局下書きのまま終わったり消してしまったりする。


アートや言葉などいろんな刺激を日々受けて
生活に彩りを受けているけれど、
それをどう表現しようか、どう言葉にしたらいいのか

noteを続けている今でも
やっぱり分からないでいる。

そんな嫌気がさしまくってきたある日、
ふと「この感情は"明確な"言葉にする必要があるのか」と立ち止まった。

人に伝えられることは
相手と共有することができて、それが極まるとライターなどの文章を仕事にすることができるのだと思う。できれば私もその境地にいきたいと考えたことが何度かある。

でも、言葉にできない(しない)からこそ、伝わることがあるのではないかと思うようになった。

私がやっているグラレコや、さまざまなアートがその代表格で、言葉で表さない(表せない)から別の形で表現する。それが表現力なのではないか、と。

そう思うと、わたしが行っている創作活動がとても意味のあることに思えてきて、これはこれでとても尊いものなんだろうかと感じるようになった。

言葉にする、しない
アートにする、しない
いろんな表現があるから、人の創造力が掻き立てられて、唯一無二になる。

言葉にすることが苦手、
そんな自分のことを愛せるようになり、そんな自分は尊い存在なんだろうね。

どんな自分も愛してあげようっ。

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