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フリーランスになった私がグラレコを会社の事業としてできるまで

グラレコの始まり

2018年、グラレコを始めたのは興味からだった。

学生時代からの成功体験もあり、ハマるまで時間はそうかからなかった。

趣味から仕事へ

そんな趣味の時期は
些細なことでもとにかく”描きまくる”ようにしていた。

2018年10月〜12月 94枚
2019年1月〜6月 244枚
合計338枚 趣味として描き続けた。

そして、
2019年7月〜12月 371枚
2020年1月〜3月 57枚
合計428枚 複業フリーランスとして描き続けた。

作成枚数はこのようにどんどん描いた。
趣味から仕事へ変わった後は
1日に2~3本のグラレコをすることも少なくなかった。

でも、決して「数やりゃなんとかなる」わけではない。
その中でもフリーランスとして生きていくために
自分が意識して行ったことを紹介しようと思う。

また、複業フリーランスになった経緯はこちらのnoteで書いてます。


<1>ソーシャルもリアルタイムでも露出を増やした

グラレコができそうなイベントを調べたり、
今後につながりそうなイベントがあれば積極的に行った。
(公式SNSに絡みにいったりしたこともあった)

もちろん、人から声をかけられたら必ず行くようにする。
私はスポーツグラフィックレコーダーと名乗っていたので、スポーツ関連の人との接点が持てるような場には特に通った。

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↑第1回 スポピザの集合写真
スポーツグラフィックレコーダーとしての原点

また、人前で描くことも増えた中で
自然と取り入れてもらっていたのだが、
・グラレコを描いた後に数十秒話す時間を頂く
・模造紙を用いて人前で描いて必然的に見られるようにする
・iPadを用いて最後にプロジェクターで映してもらう

など、場の要望に合わせてスタイルを変えていった。

<2>連絡経由を増やした

これはどのような人にも当てはまると思うが、
連絡経由を整備したこと。

活動の軸であった『TwitterのDM』はもちろん、実名で行っている『Facebookのメッセンジャー』でも、公式HPを作成してメールでも連絡を取れるように整備した。

企業の方は『HPのお問い合わせ』からくることが多いし、その方が安心される。

SNSに強い方からはTwitterでバンバン連絡くれるし、
昔からの知り合いの方からはメッセンジャーの方が話が早い。

どんな媒体でもすぐに連絡が取れるようにすることは、かなり心掛けた。

<3>仲間を見つけた

同じ仕事の仲間とも知り合うことができて、
この世界の広さを知り、困ったときに話せる仲間ができた。

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↑小野照崎神社でのグラフィッカー達の集まり

実際に案件に対する向き合い方グラレコの目的や場の目的をどうすり合わせるかの打ち合わせに関してかなりお世話になったし、今でもその時の仲間とは仲良くやらせてもらってる。


繋がりを持っておくことは
精神面でとても助かった。


複業フリーランスになってから

さて、2019年の7月から複業フリーランスとして活動を始めたわけだが、
今まで勤めていた会社でも仕事を続け
空いた時間にグラレコを行うというスタイルで、
大きく生活が変わったわけではなかった。

それでも「会社の人たちに認められたい…」という考えから会社の人たちにも認められるくらい活躍してやろうという野望に変わった。

その結果が会社員グラフィッカーというわけだが、そのために行ったことを紹介しようと思う。

(あくまで一例であり、会社員グラフィッカーになることが
全ての成功ではないことは前提条件として念頭に置いておいてほしい。)

<1>手は一切抜かない、どちらも注力!体調管理!

これは複業をやる上で大前提の条件だと確信している。

「もう一つの仕事が忙しくて…」と、
仕事の手を抜いたり、体調を崩したり、
遅刻をするようなことは当然ご法度。

大前提として、どちらの仕事も両立させること
出来なさそうであれば、そもそものスタイルや量が自分に合っていないということと捉え、できる範囲で調節する。

今、その仕事量ができてないのであれば
スケジュールをずらしたり
納期を調節させてもらったり

休息が必要であれば
帰宅後は仕事をせずにすぐに休むことも。

<2>noteの更新で自身の思考を整理&言語化

複業フリーランスになってからnoteを積極的に更新するようになった。

グラフィックで自身を表現することは得意だが、
文字や会話での表現方法はからっきし苦手だった。

しかし、人前で話したり打ち合わせをする際には
必ず誰かと文字や会話でコミュニケーションをとる。

自分の考えや想いを相手になるべく伝えられるように文章スキルを磨く必要があった。

そのためにもnoteを更新する決心をした。
(3ヶ月間、毎日更新をしたら、127本とそこそこ更新した)

<3>Twitterでの拡散でソーシャル営業

基本、描いたグラレコはTwitterですぐに拡散した。
自分自身の活動報告として。

その投稿を見て、案件に繋がったり
人を紹介してもらったり、Twitterには本当にお世話になった…

<4>Facebookでの更新で実施報告

これは、会社員グラフィッカーになるまでの大きなきっかけの一つだが、
Facebookで月間報告として
・描いた枚数
・携わった案件の数
・実際に描いたグラレコのデータ
これらを更新していた。

そうすることで、実際に社長や役員の人たちに
活動状況を見てもらえるような機会を増やした。
(会話ベースだけでは分かりづらいので
実際に活動状況を証明してもらうことは自然と行なっていた)

<5>話のネタに!Instagramでのポートフォリオ

「最近、グラレコの調子はどう?」
と会社で聞かれることもしばしば。

そういう時のために、スマホの写真アプリでアルバムを作成したり、
Instagramなどのアプリでポートフォリオを作り、すぐに見せられるようにした。

ポートフォリオとしてInstagramを使っていた理由としては単に多くの人が普段から利用しているアプリだから。

あわよくば、リアルの知り合いにも
知ってもらえるきっかけになると思ったから。
(ただ、Instagramだと写真のズームがうまく使えないのでグラレコの詳細を話すときには使いづらい)

<6>チャンスがあれば掴む、社内グラレコ

そして、これは会社員グラフィッカーとして活動することができた1番の出来事だが、社内で必要な時があれば前のめり気味でグラレコをした。

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社内ミーティングやセミナー。
とにかく「描く?」と言われれば答えはYes以外なかったし、むしろ「これ、描かせてください!」と自分から言った。

そうすることで自分自身のグラレコを
リアルタイムで見てもらえ、
自身の成長を肌で感じてもらうことができる。


チャンスは自分で掴む、そのための土台も自分で作る

グラレコを描き続け、
もう一つの仕事も手をぬかず向き合い続けた結果
会社員グラフィッカーとして活動を始めることができました。

色々と苦悩もあったけど、フリーランスとして
たった9ヶ月ですが数々の経験ができてよかったと思っています。


趣味から複業へ、複業から会社の事業へ。


フェーズが変わっても形態が変わっても
工夫することが少しずつ変わったとしても
やりたいことをやるために
自分で土台を作り
先回りして手回ししたり
チャンスが転がっていれば取りに行く。

会社の事業として認められるまで、
自分自身のスキルを高め、そのための工夫を行なってきた軌跡を今回は書かせていただきました。


きっと、どんな仕事にも通じるような
誰かにとっては当たり前なことかもしれない。

でも、どこかにこのnoteを読んで「ためになった」という人が1人でもいてくれたらいいな。

勢いのまま書いたnoteをここまで読んでくださって本当にありがとうございます!!


それでは、またどこかの場でお会いしましょう。

いつもご覧いただきありがとうございます!同時にサポートいただけると泣いて喜んでたぶんあなたのファンになる(かも)。 自分の気持ちを文章で表す、伝えられる人間になるべく、グラレコだけでなくnoteも頑張るので応援お願いします〜!!