見出し画像

「衣裳箪笥のアリス」公演パンフレット掲載【川野芽生・國崎晋(RITTORBASE)対談記事】の一部を公開!

はじめに

タイトルのとおり『衣裳箪笥のアリス』パンフレットに掲載している内容を、特別に一部公開いたします。
歌人・小説家でありながら文学研究者の顔を持つ川野芽生と、
『サウンド&レコーディング・マガジン』元編集長であり、
現在は『御茶ノ水RITTOR BASE』のディレクターを務める國崎晋による対談です。

素敵な装いのカラー写真は是非紙面でご覧ください。
(貿易条約結んだ写真みたいだねと盛り上がった写真です↑笑)

※なお本編の文字数は、この記事の……約4倍です!!
たくさん読めちゃいます。
気になる方は是非紙面でご覧ください。


対談はこちらから↓


國崎 川野さんのエッセイ『かわいいピンクの竜になる』、とても面白かったです。
川野 ありがとうございます。
國崎 夢中になって一晩で読んでしまいましたが、一番びっくりしたのは、『妖精に体はない』の章(P.174)の、「声とかたち」(P.179 )で。「私に声があることなんて忘れてくれ、と私は思った」とか、「声は、あまりに肉体的なものだったから」と書かれていて、あれ?それなのになぜ川野さんは朗読をするのだろうと不思議に思ってしまいました。ご自身の声でご自身の作品を読もうと思ったきっかけは、何かあるのでしょうか?
川野 別にきっかけがあったわけでも、認識が大きく変化したわけでもないんです。喋るときに自分の声が気になってしまうのはある一方で、声を朗読に使うことができるのはいいな、とも思うんですよ。
國崎 ご自身の声があまりお好きでない……「細くて高くて、ちょっと舌っ足らずな、媚びたような自分の声が私は嫌だった」とか「若い女性らしい声が嫌だった。』(P.180)とまで書かれていましたが、朗読は別だと?
川野 そうですね。喋るときは、自分の声を通すことによって、自分の考えがちゃんと伝わらなくなるんじゃないか、と感じてしまうんです。文字の方が純粋であるように思っているんですね。ただ、それは私がいた環境、特に大学時代の環境のせいでもあると思います。大学は学問の場なんですが、そこにいると想定されているのが男性しかいない、と感じていました。そこにいたからこそ、自分が純粋に知的な存在と見なされないことに対する苛立ちがあったんですよね。「◯◯と言ってはいるけれど、女性は本当は✕✕と思っているはず」というふうに、自分の言葉を言葉通り受け取ってもらえなかったり、あるいは言っている内容ではなく、本人の方に注意を向けられてしまったりするので、結構フラストレーションがあったんですね。その一方で、朗読っていうもの自体については、人に聞かせずに読む、っていうことをずっとやってたんですよ。
國崎 声を出して……目の前に誰もおらず、録音もしないで?
川野 はい。聞く人がいなければ別にそれは良かったんですよね、そこは矛盾がなくて。本を読んでて、すごく声に出して読みたい文章ってあったりして。戯曲とかもそうですね。「これはセリフとして声に出してみたい」みたいな。一人で部屋の中で読んだりは結構してて。多分、先に文字があって、その表現方法の一つとして声っていうのがある、ということは、別に元の言葉を傷つけたり、曲げたりしない気がしたのかな。
國崎 川野さんにとって、あくまでも大元は文字なんでしょうか? そこがすごく気になります。
川野 もちろん、無文字文化とかもあるし、言葉に文字が必ず不可分であるわけではないなってことも分かっています。それに、自分で文章を書くときに、「声」っていう概念で呼んでいるものがあって。「声」が聞こえないと書けないとか、「声」が掴めたから書ける、みたいなことがあるんですね。掌篇集の『月面文字翻刻一例』(書肆侃侃房刊)には、大体20歳前後のときに書いた作品が集まっているんですけど、その中のかなり初期の作品で、アイデアはもっと前からあったんだけども、冒頭書いてみて、そこから先続かないな、っていう感じのものだったのが、数年経って急に、語り手の声みたいなものが聞こえてきて、全然違う文体で書けるようになったっていうことがあって。
國崎 語られている言葉……聞こえてきているものを写し書いていらっしゃる?
川野 そうですね。なので、私の中に、純粋な、「肉体のない言葉」みたいな概念がある一方で、本当はそれだけじゃなくて、声っていうものや、言葉を発する存在がいる、っていう認識があるんですよね。言葉が人間から独立した透明なものであって欲しいって気持ちと、でもそうではないことの面白さがあるっていう気持ち、両方あって。自分の作品でいうと、朗読したいなって思うものと、別にこれは朗読しなくてもいいかな、っていうものがある。自分では、誰が喋っているのかいまいちよく分からない作品ほど朗読しがいがあるな、って思ったんですね。
國崎 なるほど。
川野 それは、全く無色透明な全知全能の語り手とかじゃなくて。誰かが喋っている感じとか、誰かがどこかの時点で書いている感じとか……そういう、どこかに生身らしさがあるんだけども、「こんなことを喋っているのはいったいどんな人なの?」とか、「いったいどこからこの声が聞こえているんだろう?」みたいな、そういうのが気になるような文体というか。そのような作品に、さらに自分の肉体の声を与えるっていうことによって、ここに声があるんだけど、それが別に、私という人間の肉体の声に集約されないという状況が生まれるというか。
國崎 ひょっとしたら、もともとは肉体がある誰かが語りかけてきていたものを拾って書き写したものに、自分の肉体を少し加味した形で声にされている?
川野 そうですね。自分の言葉と声が完全に一致していると思われるのが嫌なのかもしれないです。自分の言葉ですと言って、自分の声で語るっていうよりも、誰か分からない存在のよく分からない言葉を拾ってきて、ここ(肉体)からこの声帯とかを借りて発声しています、っていう。
國崎 それこそBluetoothスピーカーみたいに、実はどこかから発せられているのをキャッチして、自分のスピーカーを使って出していると。
川野 そう。それが正確に音が出せるわけじゃなくて、スピーカーごとに違いがあって。
國崎 ある種のフィルターが少しかかってしまう。
川野 元の声みたいなものがあるとして、そこに到達することは誰もできない、っていう前提があるといいのかもしれないですね。私は翻訳にすごく興味があるんですけど、翻訳で文章を読んでいると、訳された文、訳文そのものには何か瑕疵があったとしても、その向こうには『完全な原文』の幻影を見ることができるんです。本当はもっといい文章なんだ、と思って読めちゃうみたいな。すごくいい訳文とかも好きなんですけどね。一方で、初めから日本語で書かれた文章に瑕疵があると、いやちょっとこれは……みたいな気持ちになっちゃうんです。

國崎 B&Bで行われたトークイベント(本屋B&B 川野芽生×高田怜央 「文学はつねにすでに翻訳である」)でも、高田さんとそういうお話をされていましたね。翻訳された文章っていうのが好きだ、っていう。
川野 これが完全体だと思われない、っていう前提があると、自由な表現の一つとしてできるのかもしれない、と思いました。
國崎 川野さんという作者がご自身の作品を読んでいると、これが正解であり、幻影どころか本当の声であると思いがちですが、実はそうではない?
川野 1年くらい前、嬉野さんと一緒に、『月面文字翻刻一例』の朗読ワークショップ(WS『月面朗読会』〜耳と声を使って楽しむ文学〜 2023年2月25日、Gallery Cafe&Bar オンディーヌにて開催)っていうのを開催したんですよ。その時は私が朗読するんじゃなくて、参加者の方々それぞれが一人ずつ、『月面文字翻刻一例』からご自分の好きな作品を選んで朗読する、ってことをやっていただいて。そこに対して、「こうするのが正しい」みたいな、指導のようなことは一切してないんですね。ある一つの朗読の仕方が正解だ、っていうふうに思われたくなくて。それぞれのスピーカーというか、楽器で演奏してみてほしい、っていうふうに思って。
國崎 あくまでオリジナルの文章というスコアがあって、それを演奏者が解釈して演奏して、音になっていると。
川野 そうですね。
國崎 例えばバッハが書いたスコアがあって、「バッハが弾くこれが正しいんだ」というわけではなくて。他の演奏者が弾いて、それはそれで正解と。
川野 あんまり自分の文章を自分の文章だと思ってなくって。さっきも言ったんですけど、どこかから降ってきた、聞こえてきた文章を、自分の頭でというより、手の先の方で書いてる、みたいな気持ちがあって。書き上がった文章に対しても、あんまり自分の言葉っていうふうに思ってないんですね。なので、自分の作品を自分が一番分かっているとか、こういうのが正解だ、みたいな気持ちはなくって。人の文章を朗読するのと同じように、面白い文章だから、これ(自分の作品)の朗読にチャレンジしてみたい、みたいな。特に朗読って、表現するのが難しそうな文章だからこそ表現してみたい、って気持ちがあって。(自分の作品の)読者の中では、私はかなりこの文章に精通しているほうだし、できると思う、っていう感じでやってますね。
國崎 『月面朗読会』の後、2023年10月28日に御茶ノ水RITTOR BASEで「『奇病庭園』朗読ライブ 耳に就いて」になるんでしょうか? その前にも何か朗読はされていますか?……。



この続きはパンフレットで読めます!
ぜひご検討くださいね〜

公演のチケットはこちらから。

ロリィタ短歌朗読ライブ
衣裳箪笥のアリス
2024.03.30(Sat)‐31(Sun)
御茶ノ水RITTOR BASE

短歌 川野芽生
脚色 犬間洗
演出 嬉野ゆう

出演
鳥居志歩
大島朋恵(りくろあれ)
川野芽生
嬉野ゆう
じゃみー

音楽 じゃみー
振付 森永理科(PSYCHOSIS)
音響 人見ユウリ Nancy
映像 琴音
撮影 嬉野ゆう
配信撮影 國崎晋(御茶ノ水RITTOR BASE)
衣装協力 rubyBlossom
宣伝美術 千草ちゆ
当日制作 椎原静久

小説家、歌人・川野芽生による「ロリィタ短歌」を、優れた音響空間として知られる御茶ノ水RITTOR BASEにて、シアトリカルな演出を加えお送りする「朗読ライブ」。
声と音と視覚と身体で造る御茶ノ水の地下の〈衣裳箪笥〉で、朗読と短歌の世界をお届けいたします。

チケット
入場券 4,500円+税(配信アーカイブ付)
配信視聴券 2,000円+税(30日18:30開演回のリアルタイム配信。アーカイブ付)

3月30日 14:00開演/18:30開演
3月31日 13:00開演/17:30開演
※上演時間は60分を予定しております。
※受付開始は開演の20分前になります。

会場
御茶ノ水RITTOR BASE
JR中央線/総武線 御茶ノ水駅より徒歩2分
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅より徒歩3分
千代田線 新御茶ノ水駅B1出口より徒歩3分

〒101-0062
東京都千代田区神田駿河台2-1
お茶の水クリスチャン・センターB1

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?