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田舎の暮らし、人の暮らし

大人になってから故郷の良さが分かってくるというのはあると思う。

私は、山形で育ったが、あまり地元に馴染んでいた感覚がない。
父親の仕事で山形に引っ越したため、地元に親戚のいない中で暮らしていた。両親も山形の方言に慣れずにいたのではないだろうか。大学からは上京したため、大人になってから山形で暮らしていない。

今は山形というふるさとを持ててよかったと思う。

両親も今は仕事を引退して、山形にはいない。このため、山形に帰るときは、友人の家にお世話になっている。この友人の家にお世話になってから、山形の良さを改めて感じることができるようになった。

この友人の家は家業を営んでいる。近くに親戚縁者がいて、すぐに遊びに行ける距離に住んでいる。ご両親も近所に住んでいる。そして、4人の兄弟姉妹も近くに住んでいる。友人は、共働きであるし、そのきょうだいも働いている。

子どもたちは、家を行き来している。いとこであり、また、家族のように一緒に時間を過ごしている。友人はきょうだいどうして、お互いの子どもたちの面倒をみあっている。

核家族だった私の家とは大違いだ。私にとって従妹はめったに会えない存在だった。お互いに遠くに住んでいて、夏休みや冬休みなど、遠くに遊びに行って会いに行く特別な存在だった。

夏休みには心躍らせて母の実家に行く。5時間ほどかけて、電車に揺られていくのだ。はじめは楽しいけれど、1週間も一緒にいると本気の喧嘩が勃発する。送ってきた母は、すぐに家に帰るので、一人で滞在している。私は、いとこと喧嘩をして、くやしくて、いたたまれない気持ちになった。

今思えば、喧嘩も自然なことだ。いつもは会えないから、初めは楽しくて、お互いによそ行きな顔で遊んでいるが、次第に、自分の譲れないところができてき、ぶつかり合う。

それから、喧嘩して、仲直りして、この子はこんな子だから、ここは譲ろうとか、わかってくるんだろう。夏休みの滞在は、お互いを理解するか、しないかの時期に、家に帰ることになる。楽しい思いともやもやとしたものを両方抱えて、また5時間電車の旅で帰る。

友人の家でも、いとこ同士の喧嘩はよく起こっていた。子どもたちがたくさんいれば、何か起こる。仲良く遊んでいたと思ったら、誰かがふいにいなくなる。部屋に閉じこもって、出てこない。

でも、いつの間にか仲直り。夜は大人が集まって、わいわいがやがやしているうちに、今日は誰とだれが喧嘩して、こんなことがあって、あれは楽しかったよね、と話している。子どもたちも、大人たちの周りで、ずっと遊んでいる。

私の故郷には豊かな暮らしがあると思う。羨ましいなと思っていた。


最近は、どの場所でも、他人同士でも、豊かに暮らしていくことができるのではないか、と思う。



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