2、住んでいたところ。

私と、祖父と祖母が住んでいた部屋は
10畳くらいの和室だったと思う。
べつに、1.5畳ほどのキッチンがついていて、
キッチンの後ろがその和室の入口になっていた。
その入口の扉を開けて部屋を出ると
目の前に1階へ上がる大きな階段があり、
右へ行けば 右側に大きなトイレがあった。
大きな、というのは、
その中にトイレが三つあったから。
ここは当時、
重症児センターという施設の地下だった。

おばあちゃんは、夜になると私をおぶって
この階段や廊下、トイレなどの掃除をしていた。
子守唄は、詩吟。
「世の中は~道道道の~多ければ
ふみな、迷いそう、人のゆく道~」
バケツに戻って雑巾をゆすぎ、
あちこちを拭きながら
おばあちゃんは よく、この唄をうたっていた。

この地下には、トイレの奥に
大きなお風呂もあった。
手前に脱衣所、中に入ると
大きな浴槽と小さめの浴槽がひとつづつ、
当時の私にこのお風呂は大きすぎて
今でいう、ちょっとした銭湯のようだった。

そうそう、この脱衣場には何故か、
キューピー人形が並んで飾られていた。
大きなものから、小さなものまで。
どうしてあんなに並んでいたのか、
今でも不思議だ。

たしか、お風呂に入っていたのは、
一週間に1度程度、だったと思う。
おじいちゃんは私に
いきなり熱いお湯を頭からかけるので
私はよく大泣きをしていた。
お風呂が嫌いだった。
あまりに私が泣き叫ぶと
そのあと、夜遅く、
仕方なくおばあちゃんが入れてくれる、
というのが ほとんどだったと思う。
ただいつも お湯は、とても熱くて
「がまん、がまん」と言われながら
頑張って湯船に入っていたのを思い出す。




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