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ADHDについて

21歳秋、私はADHDだと診断された。

通院のきっかけ

きっかけはマルチ商法の詐欺被害にあったこと。昔から自分の行動や記憶力の無さに生き辛さとストレスを感じでいたけど、高校・大学と家庭科専門で消費生活も7年間学んでいるのに、自分のお金の管理の出来なさにとことん落ち込んでしまい、これはどうにかしなくてはと心療内科に行くことを決意。

涙ながらにカウンセリングを受け、ADHDの傾向(特に不注意)が強いと診断された。たしかに、昔から忘れ物が多く、毎日のように母に電話して学校まで持ってきてもらっていた。大学に入ってから忘れ物や期限を守れない(忘れる)ことが特に多くなり、日常生活やアルバイトにも支障をきたしていた。

お医者さんからは、「ADHDどうのよりも、あなたが困っていることを解決していけるようにしようね。」と言ってもらった。ずっと行きたかったけど周りの信頼する人からはみんな反対されていた。でも多分私はこの言葉を求めていたのだと思う。発達障害って名前が付いたらそれは「逃げ」だとか「甘え」だとか「言い訳」だとか言われたけど、私はそんなのはどうでも良かったんだ。とにかく普通に生きたかった。頑張っても工夫しても大切な物や人や言葉を忘れちゃう自分が嫌で嫌でしょうがなかった。ストレス抱えまくって大好きな演劇にまで支障をきたすようになってからは本当に自分は何ができるんだろうって思ったんだ。そんな私にも、希望の光が見えた気がした。

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私変なのかな…

一度、父と母にお願いして、病院に行ったことがある。ただしそれは心療内科ではなく、脳みそをスキャンしに行っただけだった。高校1年生の私は自分が忘れ物をしたりするのを脳みそが欠けていると思ったのだ。案の定「健康です。」と言われた。そりゃそうだ。「でも全然記憶ができないんです…」というと「そんなの誰でもあります。」と言われた。そうか、私はただ変でバカなやつなんだ…と思った記憶がある。実際、私は友達に「変わってる、変。」「なんかいつもフワフワしてるよね。」と言われるし、大学の先生からも「あなたの授業(家庭科教員の資格を取っている)の題材は変わってるから、自分でも分かってるでしょ?あなたはダメ。」と言われていた。自分ではそのつもりが無いのが辛いところだ。

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これから、自分の特性をもっともっと理解して大好きな演劇をもっと楽しくできるように、普通の生活ができるように、カウンセラーの先生と頑張っていく。

えいえいお!!🌿


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