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日記とは

何となく思った事。僕の中で解ったような事がある。

ここに書いてあるような日記は、僕にとって自己理解や自分の変化による取扱説明書のようなものだ。

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僕はnoteで日記を書き始めた時に思った事。

それは、ここが、久しぶりに人様(不特定多数、大勢)に公開した日記という事。

19歳頃から僕は非公開、あるいは自分を知っているコミュニティに向けてだけ日記を書いていた。
色々な理由はあったけれど、どういう事かと言うと、僕に興味を持った人が、僕の条件と合えば僕の日記を見れる形だった。

ミクシィもそうだ。

友達限定で公開している日記は、僕の友達と言うより、僕の生きた叫び、幸せになりたい、辛い、と叫んだり泣いたり、のたうち回っているような日常風景を切り取った日記を見たい人が僕にメッセージをくれて、それを僕が見て、その人のプロフィールや日記を見て僕が共感や、この人なら、と許可した人だけだった。
当然、大阪や東京で出会った人で、僕の日記を見たいと言ってくれた人には見せていた。人となりが分かっていれば、というそれなりの制限や敷居を設けていた。

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そういう日記を書きながら今に至る。

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僕は最近自分が書いている日記を読み返して思った事は。

こんな日記を見て、誰が何の得になるのだろうか、という事。

僕も人の日記を見て【スキ】を押します。

けれど、それは僕の中で共感や、共鳴した日記だけにスキを押しています。

正直、僕の日記を見た人がどう感じているのだろうかと。

僕は自分が人の日記を見ている感覚(見ている時の感覚)と。
人が僕の日記を見ている時の感覚は違うんだろうなと、考えたのです。

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僕はここに自分が思った事、考えている事、そして、その過程や結果。
答えを書き続ける事で、
自分の中で日々の出来事を腑に落としているのだと思います。
だから、実は日記は自分に向けて書いているのです。

内容の中には、誰かに向けて言葉を指しているような時もあります。
正直に言えば、あると思う。

それは僕の心の叫びなのです。
僕の不安や悩み、怒りや喜び、感情を吐露している日記。
それは誰かを攻撃したいと言うより、どうしてそうなるのかを考える為に日記を書いているのかもしれません。

そんな自分に向けての自己理解や、その過程の記録。

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僕はどこの誰だか知らない人の日記を見るのが好きだ。

インターネット上にある、顔も名前も、今も生きているのか死んでいるのかも分からない。嘘か誠か(フィクションなのかノンフィクションなのか)も分からない。そんな人の日記を見るのが好き。

その他人の人生。人間模様を見るのが好きだった。

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僕を知っている人なら、僕が言っていた事を覚えてくれているだろうか。

「どこの誰かも分からない人の辛いとか、死にたいみたいな日記を見つけて、その人の日記の最初から見て、それをどんどん進めて今に近づいて、リアルタイムで見る映画みたいな感じ」

「更新が止まっている日記とか、途中で途切れてしまっている日記だったら、最後の日記を見て、ここで死んだのかな、こいつ今何してんだろう、って想像すると切なくなると言うか、感傷的になって感情的になって好きなんだよね」

僕はこのような言葉で説明していたと思う。

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僕の日記もそういう風に見てくれている人がいたら嬉しい。

そう思って僕も19歳から日記を書き始めた。

ナンバーガールと出逢い。
ナンバーガールの世界で生きて。
透明少女と出逢い。
日常に生きる少女と擦れ違い。
黒目がちな少女と軋轢。
最後はイギーポップファンクラブが流れて終わる。

これが僕のテーマだった。

今でも変わらない。現在進行中だ。

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