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紫陽花の花言葉。


雨露に濡れた紫陽花が、少し遅めの梅雨本番を告げる。
そんな涼しげな6月末も、夕暮れ時には夏の気配を漂わせた湿った風が私の体を包む。

仕事終わり、日々身体が重たくなるのを感じながら、今日も東京駅に向かう。華金の東北新幹線は、やはり少し混んでいるみたいだ。東京駅の新幹線乗り場を行き交うほとんどの人が、旅行というより、出張を終えたサラリーマンだ。世のお父さんたちは、本当によく働く。

お腹が楽ちんのキャメル色のロングワンピースに、黒いキャップを被り、ナイキの黒いスニーカーを履いてポーターの黒いボストンバッグを携えてる私は、一見遊びに出かける主婦のように見えるだろう。が、やっぱり仕事終わりのサラリウーマンだ。さらには、妊娠7ヶ月の妊婦でもある。退勤後、そのまま出かけられるように万全の準備をしてきたのだ。

このたび、福島県のとある町の家に嫁いだ私だが、まだ東京での仕事が残ってるので夏までは別居生活が続く。今は週末ごとに、あっちに行ったりこっちに来たり。身重だが、結構身軽に毎週出かけている。
まぁ、妊娠半年を超えると、さすがに動くのが大変になってきた。


何はともあれだが、ゴールデンウィークのど真ん中に、無事に挙式を終えてきた。

長いこと独身で、結婚にあまり興味を示さなかった私にとっては、式とか披露宴とか、ウェディングドレスとか新婚旅行とか、全くもって興味の対象ではなかった。なので、もし万が一結婚するとなっても、特別な式はせずに、書類を交わしてあとは夫婦仲良く一緒に暮らすもんだろう、と想像していた。

それが。
今回の私の相手のお家柄、儀式やしきたりをとても重要視されるお家だったので、ポーカーで言うとロイヤルストレートフラッシュ並みの総披露目会を求められる事態となってしまったのだ。

えー、まじか。

頭ではわかっていたが、実際準備を進めるうちに、どんどん苦手意識が強くなる。避けられないのはわかっても、やっぱり自分中心の感覚が抜けず、やりたくない、めんどくさい、気が進まない、なんて言って最初はかなり相手を困らせてしまっていた。しかし、だんだんと、自分がわがまましか言っていないことに気づいた。

私だって、相手の少し古風な家柄も、そんな家に育った相手のことも、心から好きになって結婚したのに、自分の気まぐれやわがままを、さも合理的な正論であるかのように言って相手を悲しませ、困らせていたのだ。本当に子供だったと思う。

ケンカにならなかったのは、私が何を言っても彼が怒らなかったからだろう。今までは、気に入らないことがあれば感情や言葉をぶっつけて、相手からも感情のお返しでケンカとなっていた。今回も別にそれでいいと思っていた私にとって、ただ悩み悲しむ彼の姿は、私を戸惑わせるのに充分だった。

私だって、なんでもかんでも自分の思い通りにしたい、いわゆる女王様タイプでは全くない。仕事も家事も進んでするし、普段から人への気配りは忘れないようにしている。ただ、肝心なところでは自分にとって意味のあることしかしたくなかったし、今まで触れてきたことのない世界には少なからず抵抗があった。誰もがそうであるように。

外界への抵抗を、簡単には捨てられない人間の私。
いや、捨てられなかった人間の私が、今ここにいる。

また改めて書こうと思うが、私の嫁いだ家はちょっと特殊だ。
その特殊な世界でさえ、私が少しずつ受け入れ、そして受け入れられている事実は、これからの自分に、そして生まれてくる子に、どんな影響を与えてくれるのか。不安がないと言えば嘘になるが、どちらかというと、今はその未知を心から楽しみに感じている。

そうそう、私の誕生花は紫陽花だった。そのせいか、昔から私の一番好きな花も紫陽花なのだ。花言葉は”うつろい”と、あまりいい意味ではなかったが、私にはぴったりだと思った。

ただ、今になって”うつろい”とは、”変化していく”ことだと気づいた。その変化の果てに、花がどんな色になるかは、その人次第だろう。


結婚式の披露宴では、色とりどりの大柄の紫陽花があしらわれた色打掛を身に纏った。人生で一度きりの晴れ舞台で、大好きな花に囲まれて大好きな人たちに祝福されるなんて夢にも思わなかった。式を挙げることで、これから夫婦になることの意味も深くわかったので、今は、本当にやってよかったと心から言える。


ゴールデンウィークの式からからひと月半。

東京での最後の仕事と引き継ぎに追われながら、夕方の東北新幹線に乗って、第二の実家へ向かう。車窓からぼんやり外を眺めていると、雲間に濃い青の空が見え始めた。

雨は、もうすぐ止むのだろう。 

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