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「いじめ社会契約」仮説

 オリンピックでも話題になった「いじめ」っていう現象がある。

 これ、いつも興味深いなあと思うのが、まず言葉からして別のものが使われていることからもわかるように、なぜか犯罪とは、なんとなしに分けて考えられているんだね。

 これを「いや、いじめだって、法律で裁かれるやないか」ということはできる。だけど、それはいじめの中のいくつかに、犯罪と定義されるものがある、ってことで。つまり、いじめのほうが犯罪より広い概念っぽいんだね。

 例えば、子供がやるものはいじめ、大人がやるものは犯罪、というような言い方ができるかっていうと、これもちょっと違ってて、大人の集団、例えば職場や老人ホームにだっていじめはあると聞く。大人だっていじめはするし、子供だって罪を犯すわけだ。

 テレビドラマなんかでしばしば見る、町工場が発注元の大企業から無理な値段や納期を要求され、「下請けいじめしないでくださいよ」みたいなことを工場の人が言う、みたいなやつもある。つまり、ビジネスの場面でも「いじめ」と呼ばれる営みは起きている。

 そして、いじめを擁護する議論もなんだかんだ根強いのも特徴だ。いじめを一種の必要悪とみなし、いじめの加害者を罰するべきだ、というようなことではなく、被害者にも落ち度があるよね、みたいな話に落着させようとする引力がどうもあるように思える。

 このように、いじめという現象には、独特の立ち位置が与えられているんだけど、それってなんだろうね、というと、たぶん、あまりに僕らの身近にあるためにうまく説明がついていないんじゃないかという気がする。

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