愛という精神力で資源の貧困をカバーさせようとすることの貧しさ。

 面白い記事を読みましてね。

 世代間連鎖に関して専門家はどのような研究を行っているのでしょう。
 日本子ども虐待防止学会(Japanese Society for Prevention of Child Abuse and Neglect)は1994年に研究会として発足し、2007年に学会となりました。虐待にかかわる広範な職種の人たちにより構成され、世代間連鎖に関する研究がいくつも発表されています。
 それらの研究から浮かび上がる重要なキーワードは2つあります。ひとつは「アタッチメント」、もうひとつは「感覚否定」です。この2つの言葉から、世代間連鎖を防ぐことを考えてみましょう。
 「アタッチメント」はイギリスの児童精神医学者であるジョン・ボウルビィが提唱したもので、日本語では「愛着」と訳されます。 

アタッチメントは、「子どもが不安を感じたときに、養育者にくっつくことで安全と安心感を回復するシステムである」と定義されます。
 これをよく読むと、アタッチメントは「愛情」を表しているのではなく、むしろ危機的場面を切り抜けるために必要な「安心感」を表していることがわかります。
 つまり、アタッチメントは「親から子どもに与えるもの」(愛情)ではなく、「子どもの側が親に求めるもの」(安心感)なのです。
子どもの側の能動性が前提になっていることが重要です。この言葉は、しばしば親から子への愛情として誤解されますが、そうではないことを強調したいと思います。
 「アタッチメントが適切に発達する」ということは、子どもが出会う多くの困難や苦痛に対して、最終的に安心できる、つまり人生のよりどころとしてのイメージを持てることを表しています。
「安心感」の持てない子どもに起こること
 アタッチメントのシステムが子どもの成長とともに安定的に発達すると、満2歳ごろから、自分と他者との関係性について、心の中のイメージが構成されるようになります。これを内的作業モデル(Internal Working Model)と呼びます。
 「自分の感覚は世界から受容されるはずだ」「他者は自分に安心感を与えてくれる」という信頼感が育てば、子どもの心の中には、世界とは、他者とはそのようなものである、というイメージが形成されることになります。
ところが、そのような関係が得られないこともあります。
 求めてもケアが得られない、安心し切っていたのに突然それが恐怖で中断される、信頼しようとした存在がもっとも恐ろしい存在となる、やさしくされたかと思うと突然放っておかれ脅かされる、といった経験の数々は、子どもに混乱と恐怖、アンビバレンス(両立不能な感覚)を与えるでしょう。
一貫性がなかったり、まったく関心が払われなかったりする状態が続くことで、子どもは混乱するのです。
 内的作業モデルがうまく形成されず、安心できる定点のようなものがどこにもなかったとしても、子どもたちは成長せざるを得ません。それは親子関係、対人関係におけるさまざまな特徴を生み出すことになるでしょう。

 なるほど、子供にとって大事なのは、「子供が不安を感じて寄り添った時に受け入れがあるかないか」なんですね。これは極論すれば、「愛情はなくてもいい」ってことですし、翻って「愛情はあっても受け入れをできないなら必要な機能を果たせない」ってことなんですね。

 この認知が「優しい」なあと僕が思うのは、「親は子供を愛すべし」という規範にとらわれ、「私は子供を愛せていないのではないか」みたいな苦しみを生み出す心から人を解放するだろうと想像するからです。子育てにとって大事なのは、「子を愛せねばならない」ということではないんです。

 じゃあ、「子供が寄り添った時に受け入れられるかどうか」は、どうやって決まるのか。これが「愛情の有無」によらないとするならば、他の条件によるってことですね。端的にいえば「経済力や時間や体力の余裕」によるってことです。わかる気がするなあと。お金や時間や体力がなくてカリカリしている時に、子供が寄り添ってきたときに相手できるか、っていうと、難しいわけです。でもお金や時間や体力に余裕があると、「おー、どうしたどうした」と相手してやれるわけですね。これが子育てに必要な親の機能であると。

 この認知は、子育ては親でないとできないみたいな偏見から人々を自由にし、公的再配分の根拠となるだろうと想像します。

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