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【依頼記事】地域社会はイノベーションを起こせるのか?前編~「まちづくり」のトレンドから考える〜

 本記事は、京都市ソーシャルイノベーション研究所からのご依頼を受けて書かれたものです。2022年1月17日実施予定のオンライントークイベント「SILKの研究会」の内容と連動しています。

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 上記のような事情から、本記事はSILKトークイベント参加者向けに、イベントでの対話の理解を深めるための補助テキストとして書かれた内容となっています。いつもと書きぶりが違うのはそういう理由です。ご了承ください。

 依頼記事だけど、字数を気にせず好きに書いてください、と言われたので、好きに書いたら前篇でおよそ18000字、後編で10000字書いていました。長いですが、プレゼントとしては、内容はさておき、文量で有り難みが出るからいいかもしれないな、と思っています。それではどうぞお楽しみください。

本稿の狙い

 はじめまして、タニリョウジと申します。普段は自治体に勤めながら住民参加のまちづくりのお手伝いをしたり、大学で学生にまちづくりを教えたりしています。

 本コラムは「ソーシャル・イノベーションの文化形成を織りなす、個性と拡がりをもったテーマを扱うもの」と伺っています。そこで、私は今からまちづくりについて論じる予定です。

 「果たして、まちづくりがどのようにソーシャル・イノベーションとつながるのか?」と疑問にお感じの読者の方もおられることでしょう。というのも、まちづくりの例というと、典型的には、行政が行う都市計画だったり、町内会などの地域組織が行う清掃活動や福祉活動、商店街が行うイベントなどが示されがちですが、いずれも、どちらかというとルールや慣習、地縁の人間関係のしがらみが伴う、硬直的で保守的な営みとして説明されることがしばしばあるからです。おおよそイノベーションという言葉が持つニュアンスから遠いものであるように感じられるのではないでしょうか。 

 もちろんそれは、いわゆるまちづくりの一つの側面としてあるのは事実と私も思います。しかしまちづくりとは決して硬直的で保守的なだけの場ではありません。コラムの結論を先取るならば、むしろ極めてイノベーティブであったとさえいえるでしょう。

 ただ、この結論だけ聞いてもなんのことだかよくわからないと思います。今回のコラムでは、贅沢にも、前後編と二回執筆する機会を与えていただいたので、この枠を使い、「地域社会はイノベーションを起こせるのか」というテーマについて、私の考えをお伝えしたいと思っています。

 さて、「そもそもまちづくりとは何なのか」という哲学的な話は後編に譲るとして、今回は、とりあえず地域社会を能動的に作っていく営みという一般的な意味でのまちづくりの歴史について概観してみるところから始めましょう。

 なお、イノベーションの定義にも様々な考えがあるとのことですが、とりあえずここでは一般的な意味合いで、「社会に大きな変化をもたらす人・組織・社会の幅広い変革」というニュアンスで用います。

住民参加のまちづくり近代史年表

1871年 廃藩置県
1880年代後半 京都、コレラ流行。都市封鎖。
1888年 明治の大合併
1892年 京都で番組小学校が作られる
1940年 全国で町内会、部落会結成
1945年 敗戦
1947年 GHQ、町内会結成禁止
1948年 朝鮮戦争
1951年 日米安保条約締結
1952年 日本、主権回復、町内会再開
1954年 神武景気
1956年 水俣病(1964年 第二水俣病)
1958年 岩戸景気
1960年 四日市ぜんそく(~72年)
1964年 東海道新幹線開通 東京オリンピック
1965年 いざなぎ景気
1966年 三里塚闘争
 「成田のようにならないようにしよう」が合言葉になっていく→事前合意の重要性が刻み込まれる
1967年 公害対策基本法
1969年 国民生活審議会報告「コミュニティ~生活の場における人間性の回復~」、提出
1970年 イタイイタイ病、光化学スモッグ初観測
 大阪万博
 東北・上越新幹線反対運動
1971年 モデルコミュニティ政策開始
1973年 円が変動相場制へ移行、オイルショック
1974年 アンリ・ルフェーブル「空間の生産」
 原著は60年代フランスの都市景観の悪化をフィールドに、専門技術が権力として日常生活を支配する構造を批判
1975年 戦後初の赤字国債発行
1981年 ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』
 20世紀において再封建化が進み衰退した公共圏の理想的な姿を取り戻すためには、人と人が相互の了解を追求・達成するコミュニケーション行為によって人を理解し、普遍的な社会批判の根拠を成し、より民主的な社会伝達や交流を可能にする、と主張
1981年 神戸市地区計画及びまちづくり協定に関する条例
 わが国最初のまちづくり条例…まちづくり協議会形式で都市計画への住民参加の制度化
1982年 世田谷区街づくり条例
1985年 プラザ合意、急激な円高→土地への投資集まる→バブル景気
1989年 東西冷戦終結、グローバル化始まる
1991年 バブル崩壊、不良債権問題
1992年 都市計画法改正、都市マスタープランへの市民参加の制度化
 金子郁容『ボランティア もうひとつの情報社会』
1993年 環境基本法
1994年 乾亨、博士論文『価値づくりの計画プロセスにおけるコーディネーターの住み手側への浸透 』
1990〜1994年 栃木一三郎、チャリタブル(慈善的)ボランティアからレシプロシティ(互酬性)ボランティアへの移行を提唱 
1995年 阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件、「ボランティア元年」
1997年 アジア通貨危機、リストラブーム
1998年 ITバブル、NPO法施行
 京都、嵐山さくらトイレWS、市民参加ブーム始まる
 京都市、政令指定都市で初めて「ボランティア活動推進のための基本方針」を策定
2000年 社会福祉構造改革の実施
 社会福祉制度を措置制度から契約制度へ
 応能負担から応益負担へ
 民間企業を含む多様なサービス提供主体の参入を推進
 介護保険制度施行
 社会福祉事業法から改正し、社会福祉法へ
2001年 小泉内閣、聖域なき構造改革、三位一体の改革
 「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」
 横浜トリエンナーレ開始
 アメリカ同時多発テロ
2002年 円安背景による海外設備投資進む→いざなみ景気
2003年 京都市市民参加推進条例(政令市全国初)
 地方自治法改正、公営法人の民営化、指定管理者制度開始
 京都市市民活動総合センター開館
 京都市景観まちづくりセンター開館
2005年 京都市コミュニティセンター運営の民間委託化開始
2006年 行政手続法改正、パブリックコメントの義務化
 京都市、区基本計画策定のため市民参加に注力、まちづくりアドバイザー制度開始
2007年 サブプライムローン問題、リーマンクライシス
 総務省、コミュニティ研究会を設置、“地域力”の強化を最重要課題に掲げ、総務大臣を本部長とした「地域力創造本部」を立ち上げ
 夕張市の財政破綻
2008年 京都市未来まちづくり100人委員会開始
 国土形成計画全国計画が閣議決定。「新たな公」を基軸とする地域づくりを戦略的な目標の一つに掲げ、地域コミュニティ等の多様な地域主体の協働をうたう
2009年 地域おこし協力隊制度開始
2010年 瀬戸内国際芸術祭、あいちトリエンナーレ開始
2011年 東日本大震災
 情熱大陸に山崎亮出演、「絆」ブーム
 京都市基本計画発動
 京都市コミュニティセンターをいきいき市民活動センターに改正、指定管理者制度導入
 伏見区にて100人委員会型事業「伏見をさかなにざっくばらん(通称ふしざく)」トライアル版開始
 仁平 典宏『「ボランティア」の誕生と終焉 』にて、ボランティアの終焉を宣告
2012年 第二次安倍内閣
 アサダワタル『住み開き―家から始めるコミュニティ』出版
 京都市、100人委員会モデルを各区にデフォルト化に着手
 ふしざく、本格開始
 環境基本法改正、放射性物質による被害も公害物質に指定
2013年 大学COC事業開始(2015年よりCOC+)
 馬場正尊『RePUBLIC: 公共空間のリノベーション』発表
2014年 まち・ひと・しごと創生法
 安倍内閣、東京一極集中の解消のため地方創生(ローカル・アベノミクス)開始
 新規的な事業への選択的交付金配分開始
 藤田直哉『前衛のゾンビたち』で、地域アートと言う形で保守にすりより延命をはかる前衛芸術を批判。
2015年 京都市未来まちづくり100人委員会終了 
2016年 社会福祉法改正
 地域における公益的な取組を無料または安価で実施する責務が追加
 英国がEU離脱を住民投票で決定
 リノベーションブーム
2017年 アメリカでトランプ政権樹立、ポピュリズムが問題に
 田中元子『マイパブリックとグランドレベル』発表。
2020年 新型コロナウイルス感染症の流行、東京五輪の延期
 京都市、区基本計画策定遅れる。

明治維新~番組小学校~コレラ対策~国家総動員法と町内会

 私たちは一般に、人々の集まりを「村」と呼びます。この「村」というのは近世、つまり江戸期に400年かけて形成された自治単位でした。江戸時代が終わり、明治に入ってもこの村は自治の単位として生き残りました。できたばかりの明治政府には十分な官僚機構が存在せず、国民の末端まで行き届く行政システムを作るために、江戸期から受け継がれた村の仕組みを利用したためです。例えば、村長や名望家に、警察や郵便などの行政サービスを任せる、というようなことをしてきたわけです。

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