「ソフトなまちづくり」の「ハードな工学」の話。

 先日、某・建設コンサルタント会社の新入社員研修で話題提供しました。主に橋梁や道路といったハードの建設を得意とされる会社だそうで、そのため社員も工学屋さんが多いそうなのです。しかし、これからの建設コンサルは、地域住民との参加や協働といった「ソフトのまちづくり」も知っていなければならない、ということを、新入社員には伝えたい!というご依頼で、白羽の矢が立った次第です。

 さて、ハード系まちづくりは、橋梁や道路といった、具体的な成果物が目に見えるので、何がどうなれば成功か、わかりやすい面があります。一方で、ソフトのまちづくりは、具体的な成果物がなんなのか、イマイチわかりにくいんですね。ハードの「わかりやすさ」を期待する感覚でソフトのまちづくりをイメージすると、途端に、サードプレイス作りだ!とか、ステージを組んで屋台を出してお祭りだ!といった、物理的な空間を伴うとか、非日常的なイベントをするとかいった、ある意味で「わかりやすい」ものが案として上がってきがちです。

 では、ソフトのまちづくりの本質とは一体なんなのか。僕は、まちづくりの本質にまで立ち返るならば、ハードとソフトをわざわざ分けて考えなくても良いと思っています。とすると、ソフトのまちづくりがわかりにくいのではなく、そもそもまちづくりという概念自体がわかりにくいものであるということなんですね。

 改めて、そもそもまちづくりとはなにかというところから話を始めます。まず「まちづくり」とは、様々な人がそれぞれの立場で好きに語る、いわば「手垢のついた」言葉なので、定義が必要であると考えます。

 僕はまちづくりとは「まち(の人なら誰でも使える財産やサービス)づくり」のことであると定義しています。これは経済学では「公共財」と呼ばれています。具体的に、特定のコネクションを持つ人だけだったり、大金持ちにしか使えない財を提供するサービスを、一般にまちづくりとは言いません。それはふつう、ビジネスと呼ばれるものになります。それに対し、まちづくりでは、まちの人であれば、コネがあろうとなかろうと、お金持ちであろうとなかろうと、誰しも使えて幸せになれる財を提供することを目指すものだろうと理解しているからです。

 この「まちの人なら誰でも使える財産やサービス」というものの、ハードに注目するなら、橋梁や道路などが思い浮かぶでしょうし、ソフトに注目するなら、清掃活動、コミュニティカフェ、地域ブランドづくり、都市の計画づくりなども含まれるでしょう。単にイベントをやればまちづくりだ、ワークショップをやればまちづくりだ、ではない、ということがこれで説明できるかと思います。

 さて、このまちづくり、ハードの面では、早い段階で工学的な体系化がなされてきたように思います。例えば、建設をするときはどんな素材をどう組み合わせるか、といったことや、橋をかけるならどんな調査をしてどんな工事をするか、といったことは、工学的な知識が蓄積されています。

 しかし、ソフトの面では十分体系化されているとはいえないんですね。例えば「建築士」資格みたいな感じで、「コミュニティカフェ運営士」資格ってのはないわけです。たいてい、地域のお母さん達が、手弁当で知恵を絞ってやってはるわけです。その結果、誰もが素人なので、運営や金策で「どうしたらええかわからん」といって苦労するわけです。建築士が、建築で「どうしたらええかわからん」は基本的にないじゃないですか。それが建築士っていう資格があるってことであり、工学的な知識が体系化されているってことです。もちろん、クライアントから無理難題を言われてどうしたらええかわからんくなる、みたいなことはあるでしょうけど。

 では、ソフトのまちづくりの工学化はなぜ進まないのでしょうか?それを僕は素材が「人」だからだと考えています。先程、建築士は建築に困らないけど、クライアントから無理難題を言われると困る、という話をしましたが、まさにそっち側の問題です。

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