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「地縁」とは「選択縁」ではないということ

 2010年代の初頭、僕は「シェアハウス」や「コレクティブハウス」に関心を持って、お友達と研究会をしたり、フィールドワークをしたりしていた。将来自分が家族を持って、誰かと住む、というとき、こういう居住形態に憧れがあったからだ。

 ところで、隣近所の問題のいくばくかは「誰と近接して住むかを選べないこと」にあると思う。誰と近接して住むかを選べない、というのは、つまり上野千鶴子のいうところの「選択縁」ではないということであり、じゃあそれってなんだ、というと、いわゆる「地縁」だよな、ということになる。

 私たちは「多様性」以前に「同質性」がない相手とは近接して暮らすのに不便を感じてしまう。同質性の有無で相手を選択できれば生じない種類のトラブルというのがあってそれが「地縁」では発生しやすい。

 こういうのを「隣席ガチャリスク」と呼ぶらしい。

 例えばシェアハウスとかコレクティブハウスでは当然ながら一緒に住むことを強制されたりはしないので選択縁としての性質が生じる。なので隣席ガチャリスクを比較的低く抑えることができる。しかし地縁でしか結びつきがない場合には隣席ガチャリスクが発生する確率が高くなる。

 思うに町内会の主な役割である「親睦」とは、この「隣席ガチャリスク」をヘッジする仕掛けの一つとしての側面があったはずで。つまり「キャッキャうふふの仲良しこよし」ではなく「お前と俺とは分かり合えはしない。だが最低限、一緒に住むために話し合いができなければならない。町内会とはそのための話し合いの場だ。だから、ここでは決して刀は抜くな」という約束であり、その約束をギリギリの同質性としてつながる枠組みとしての面があったはずで。

 それについては以前こんな話を書いた。

 最近、知り合いが、「コレクティブハウスをタウンにまで広げる」という提案をしていて、なんだかデジャブみたいな気分になった。このコレクティブハウスをタウンにまで広げればいいじゃん!という話は、まちづくり界隈では周期的に出現するトレンドのように見える。

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