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これまでで1番の後悔とチャレンジ

「恥の多い生涯を送って来ました」というほどではありませんが、それなりに後悔の多い生涯を送ってきたような気がします。

絵を描くのが好きだったけれど、自分より上手な人を見てあきらめてしまったり。

サークルの最後のコンサートでまったく音が出せなくなってしまったり。

留学前にもっと勉強をしていけばよかった、もっといいカメラをもっていけばよかった、もっとたくさんの場所を見ておけばよかったと何度も思いました。


そんな数々の後悔の中でも、私が生きていて一番後悔したことといえば、新卒で学芸員として採用された市役所を1年半で去ったことだと思います。

市役所を辞めてからもうすぐ4年が経ちますが、この4年間そのことを考えなかった日はほとんどありません。


少し前の私だったら、仕事を辞めたことを1番の後悔として挙げることになんのためらいもなかったでしょう。

でも、いまも後悔しているかというと、そうでもないのです。

もちろん、まったく後悔していないと言ったら嘘になりますが。
あのとき仕事をつづけていたら、もう少し胸をはって生きていられたかもしれない、といまでも思います。


けれど、「あのとき仕事をつづけられていたら」なんてことは、今の私だから言えることで、あのときの私にはそんな選択肢は存在しませんでした。

やめずにいようとする努力は、あのときの私も精一杯したはずです。
心身が限界だと叫んでいました。
あのとき無理につづけていたら、私は死んでいたかもしれない。

私はずっとあのときの自分のことを責めてばかりいましたが、今はあのときの私によくがんばったねと声をかけたい。

無理するなと言ってくれた人たちに感謝したい。

一緒に仕事をしていた人にも、家族や友人にもたくさん迷惑をかけました。それを申し訳なく思う気持ちは今もありますが、過去の自分を責めても迷惑をかけた事実が変わるわけではありません。

それよりも、いまは自分のできることを精一杯やって、まわりの人たちに恩返ししたいと思うようになりました。


仕事を辞めてからの4年間、博物館や大学や美術館で非常勤職員として働くことで、以前の職場ではできなかった経験をたくさん積みました。

大学院に入学して、美術史という学問と正面から向き合って、毎日必死に勉強して、修士論文も書き上げました。
大学院の授業料もこれまでに働いて貯めた貯金で払い終えました。

履歴書に書いたら、きっとただのモラトリアムとしか思われない。
でも、私は毎日必死に生きてきました。
この4年間でしてきたことに後悔はありません。


そして、いま文章を書いたり、絵を描きながら生きていく道を模索中です。

まだ恩返しどころか、まわりに迷惑をかけつづけています。

ごめんなさいと思う気持ちもありますが、謝る代わりに感謝することにしました。

まだいまの私にはお金を稼ぐほどの力がありませんが、それは私になんの力もないということではない。
まだ力の使い方をわかっていないだけ。

そんな図々しいことを言えるくらいの図太さは4年間で手に入れました。


たくさんの後悔をしてきましたが、心から悔やんで、悲しみに浸ったのちには、いつも何かを手にしてきたような気がします。


かつて絵を描くことを諦めたと思っていたけれど、私は今日も絵を描いています。

サークルの最後のコンサートを終えてから、二度とフルートなんて吹くもんかと思いましたが、社会人になってからフルートを買いました。
一緒にフルートを吹いていた先輩と結婚しました。
いつかきっと二重奏をします。

学部生の卒論の出来に満足できなかったけれど、もう一度学び直して、悔いのない修士論文を書き上げられました。
留学中に行きそびれた場所にもいつの日か行きます。


たくさんの後悔があったから、いまたくさんの夢があって、たくさん挑戦したいことがあるのだと思います。

大学受験、留学、就職、再就職、大学院への進学、そして、いま。

私は、そのとき、そのときに、人生最大のチャレンジをしつづけてきたと思っています。

いま自分が文章を書いたり、絵を描いたりしていることは、一生懸命働いている人からしてみたら、遊んでいるようにしか見えないかもしれません。

それでも、私には、いま目の前にある壁が、人生最大の壁のように感じられるのです。

これまで私の目の前に立ちはだかってきた壁たちは、登る前はとても大きく感じられても、あとから振り返ると、それはゆるやかな坂でしかありませんでした。
気づけば、いつの間にか乗り越えていました。

ときには迂回したり、来た道を戻ったり、道が途切れているように感じたこともあります。

でも、道はあとからつなげることもできるのだと、後悔のあとに手にしたものたちを振り返りながら、私は思うのです。

いま目の前にある壁も、少しずつ少しずつ乗り越えていきたい。
その先に、また大きな壁が待っているとしても。


後悔を乗り越えた先に、たくさんの挑戦を積み重ねて、
いつの日か「実りの多い人生を送ってきました」と言えたらいいなと思います。