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秋を味わいに、美術館へ

昨日は、久しぶりに母とふたりで美術館へ出かけた。
さわやかな秋風の吹き抜ける、お出かけにぴったりの日だった。

母とふたりで出かけるのは、随分久しぶりだ。
最近私は出かけること自体少ないし、母と出かけるとしても父や妹が一緒のことがほとんどだから。

母は、いつもだれかと連れ立って歩く。
母が一人で出歩くのが好きではないということもあるけれど、母がいっしょにいてくれると穏やかな気持ちでいられるから、みんな母と出かけたいのだ。

今回美術館へ行く約束をすると、母は美術館へ行く何日も前から何度も「楽しみだなあ」と言っていた。
私は、あまり「楽しみだ」とか、「楽しかった」とか素直に口に出せないので、母のように朗らかに感情を表に出せたらいいだろうな、といつも思う。出かける前から、母が楽しそうなので、私もつられて明るい気持ちになる。


母と赴いたのは、宮城県美術館で開催中の『東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展』。芸術の秋にふさわしい、お出かけ先だ。

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展示室では、会話を控えるように、という放送があったので、おしゃべりな母に寄り添われているのは、周りの目が気になり、鑑賞しづらくてしょうがない。私から誘っておきながら、めいめいに鑑賞しようというのも気が引けたが、結局「見終わってから感想を聴くからね」と母に告げて鑑賞することにした。


今回は、東山魁夷の展覧会だということは知っていたが、事前にそのほかの展覧会に関する情報を仕入れることなく会場を訪れた。

東山魁夷(1908~1999)といえば、もっとも人気がある現代日本画の巨匠といっても過言ではないだろう。絵本の挿絵にもなりそうな親しみやすい画題と日本画特有の瑞々しい色彩が、老若男女問わず人々の心を捉えている。

私も、東山魁夷の絵は好きで、よく図書館から東山魁夷の画集を借りて眺めていたし、何度か展覧会も訪れたことがある。だが、東山魁夷というと、伝統的な日本画の媒体(屏風や襖絵など)というよりも、タブロー(額縁に入った絵)のイメージが強かったため、障壁画の展覧会といってもあまりぴんとこなかった。

本展では、東山魁夷が11年の歳月を費やして完成させた唐招提寺の御影堂の障壁画全68面を、その下絵や準備デッサンとともに展示している。
唐招提寺といえば、鑑真が創建した寺として知られるが、御影堂というのは、あの有名な《鑑真和上坐像》を安置するために1964年に建立されたものだという。
御影堂は現在大修理のため、68面からなる障壁画のすべてを一堂に展示することが可能となったらしい。

展示室に入ると、畳や柱などのしつらえとともに、障壁画が露出展示されている。

あまりの迫力に、目を奪われた。

美術作品は、作品の状態によってはケースの中で展示されることも多いが、本来の場所で(in situ)置かれている状態に近いかたちで鑑賞できるということは、それだけ制作者の意図を読み取りやすくなる。

本展の第一室で、障壁画《濤声》を前にして、日本美術史の授業で教わったことをふと思い出す。

障壁画や屏風は、絵巻や掛け軸とは異なり、「3次元作品」だということを。

《濤声》の写真は、下記ページの1枚目と6枚目を見るとわかりやすい。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/18697

右側(北面)の沖では、大きな波が沸き起こり、岩に砕かれながら、波は左側(西面)の砂浜まで打ち寄せる。「沖から波打ち際へ」という一直線上の絵巻のようにも見えるが、1枚目の写真の位置では、海上から遠くの砂浜を見るようになり、6枚目の写真では手前の砂浜から、遠くの海上を見るようになる。絵巻のように流れているということだけでなく、奥行きや臨場感を3次元で感じとることができる。

俯瞰的な視点から描くことで、画面いっぱいに海が広がる。題名どおり波の音が聞こえてきそうだ。荒れ狂うというほどではないが、大きくしなった岩の上の松を見ると凪いでいるわけではないようだ。だが、緑青と群青を使って描いたというこの色彩には、冷たさというよりも、どこかあたたかさを感じる。

魁夷は、幾度もの困難を乗り越え、海を渡って日本へやってきた鑑真を偲びながら、鑑真が失明したために見ることのできなかった日本の風景を鮮やかな色彩で描いたという。

右から眺めれば、大海原の上で日本の陸地を目指す鑑真の気持ちに、左から眺めれば、海の向こうから訪れる鑑真を待つ人々の気持ちになれるだろう。この海は、鑑真を苦しめた海であるだけでなく、鑑真を迎え入れようとするあたたかな海なのかもしれない。

本展では《濤声》のほか、同じく日本の風景を描いた《山雲》や、鑑真の故郷を描いた《揚州薫風》、中国を代表する美しき景観を描いた《桂林月宵》、《黄山暁雲》が展示されている。

日本の風景は、魁夷らしい瑞々しい色彩で、中国の風景は水墨で描かれている。得意の色彩表現ではなく、水墨の表現を選択することへの葛藤を魁夷自身が吐露した文章も並べて展示されていて、これほどの巨匠でも不安に感じることもあるんだなと少し親近感が湧いた。

《濤声》以外の作品は、会場の面積のせいか、本来の配置ではなく、組になった障壁画がばらばらに展示されていたので、頭の中で作品をぐるぐると再構成しながら展示室を歩いた。本来の配置であれば、より一層の迫力があるのだろうなと少し残念に思う気持ちもあったが、じっくりと間近で作品を鑑賞できることに感謝したい。

宮城県美術館では、11月1日(日)まで、その後は、11月14日(土)から12月27日(日)まで岩手県美術館でも開催されるそうなので、興味を持った方はぜひ。岩手県美は、展示の自由度が高そうな展示室なので、本来の配置に設置できそうな気もするけれど、どうだろう。


ちなみに、今回の展覧会では、少し展示室の手狭さを感じたけれど、この美術館の建物の移転案に賛同しているわけではない。そのことについては、また別の機会に述べたいと思う。

でも、とりあえずこの美しいホールに足を踏み入れるたび、幸せな気持ちになるとだけは言っておこう。

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私は、あたたかみのあるこの建物が大好きだ。



美術鑑賞のあとは、母と宮城県美術館併設の「cafe mozart」でお茶をした。「cafe mozart」は、仙台市内に何店舗もある人気のカフェ。お料理も、お店のインテリアや雰囲気も、洗練されていて、とても素敵だ。

ここからは、芸術の秋ではなく、食欲の秋を味わう時間。

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いちじくとシャインマスカットのタルト。

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私好みの濃厚チーズケーキ。

交換して味見しよう、といって2つの味を楽しむ。
ひとりよりも、ふたりのほうが、おいしい。

ところが、私がそんなふうに幸せをかみしめながら、母のケーキをひとくち味見している間に、母は、私のケーキを半分以上食べてしまった。

でも、母がしあわせそうなので、まあいっか、と思う。
いつも母にしあわせを分けてもらっているし。


母は、家に帰ってきてからも、何度も楽しかったねと言っていた。
私も、母との久しぶりのお出かけはとても楽しかった。